どちらの方が大事かなんて、どちらかを失ってしまうまで判らない。 ため息をつく。 もう今日何度目のため息かわからない。 傷つけた。 ずっと、リョーマに転校のことを言い出せなくてただ無為に先伸ばしにして逃げていた結果がこれだ。 リョーマに強く掴まれた腕が痛い。 当然、それは錯覚だとわかっている。 本当に痛いのはリョーマの想いだ。 「やはり、転校のことで揉めましたか?」 巴の様子に横から声がかけられる。 「あ、す、すいません観月さん」 巴がルドルフへ転校する為のお膳立てを整えた観月が、少し心配そうにこちらを見ている。 今日も、細かい点に関しての説明に巴を呼んでいたのだが、肝心の本人が上の空なのだから仕方がない。 「別に構いませんよ。 当事者はあなたなのですから。 転校に関するゴタゴタをボクが肩代わりしてあげることはできない。 ……ただ、話だけでも聞くくらいはできますよ? ただの愚痴でも構いません」 優しい声に気が緩む。 巴に転校という力技を勧めた張本人であるという負い目があるからか、観月はこの件に関してはどこまでも優しい。 やがて、ぽつりぽつりと巴が話し始めた。 話すと言うよりも思いを一つずつ落として行くように。 怒るだろうな、とは思っていた。 青学を裏切ったと罵られるのならまだ覚悟はできていた。 だけど、アレは計算外だった。 『お前にとってパートナーは……俺は、そんな程度のものだったの?』 「……リョーマ君があんなに私とのペアを大事にしてくれていたなんて、思ってなかったんです」 むしろ、なりゆき上で仕方なく付き合ってくれているものだとばかり思いこんでいた。 それだけ言って口をつぐんだ巴に、少しの逡巡の後観月は言わなければならないと判断した言葉を口にする。 「巴くん、転校を取りやめようか悩んでいますか?」 その言葉に驚いて巴が顔をあげる。 そして観月の顔を凝視した。 転校を取りやめる。 それは今の巴にとってあまりに甘い言葉だ。 それをやってしまえば、リョーマを始めとした青学の面々とわだかまりを持つこともない。 すべて今までどおり。 ……夢なんて何年か後に考えればいい。 それが賢い選択なのかもしれない。 だけど。 きっと、今決断を翻してしまえばこの夢は手のひらから霧散して二度と取り戻せない。 それは彼女の直感だ。 そして、一度動き出したこの電車からはもう引き返せない。 乗り込んだ列車から降りる事は出来ない。 たとえ扉がまだ開いているとしても。 「やめません。 私が春から通うのはルドルフです」 そう言い切った巴に、観月が満足げな、また微かに安堵の入り混じった笑みを見せる。 「そうですか。 試すようなことを言いまして申し訳ありません。 ただ、今のボクと君は共犯者です。 ボクが誘い、貴方がそれに乗った。 貴方がルドルフを必要としたように、ボクもまた君を必要としたのだということを覚えておいてください」 共犯者。 そんな言葉を使ってなお、観月は強制するような台詞は一切言わなかった。 『必要とした』、その言葉すら過去形。 それは観月の思いやりなのか、将来巴がこの選択を後悔した時に対する保険なのかはわからない。 ただ、決めたのは巴なのだ。 どれだけ後悔することがあったとしても。 |