「よし、こんなものだろう」 「はい、ありがとうございました!」
練習試合後、手塚の言葉に巴はほっと息をついた。 手塚とのペアは一瞬たりとて気が抜けない。
ちらり、と手塚の表情を伺い見る。 先程の言葉が示すとおり巴の動きは及第点であったようだが、まだまだだと手塚を見て実感する。 巴は汗だくだが手塚は涼しげなものだ。当然息も乱れていない。
試合中も、巴のミスに動揺する素振りも見せない。 想定外の事態であろうと常に冷静に対処する。
部長って、感情を表に出しちゃったり我を忘れちゃったりとかってないのかなあ……?
巴が手塚の感情の動きを見るのはせいぜい怒った時ぐらいである。 それすら激昂とはほど遠い静かなものだが。
当然、静かだから怖くないのかといえば全くの逆であるのは言うまでもない。
そんな事を考えている時、こちらに近づいて来た人物がいることに気がついた。 巴は小首をかしげて考える。見覚えがない。 しかし相手は親しげな笑顔を手塚と巴の方に向けているので少なくともこちらのことは知っているのだろう。
「手塚部長、お知り合いの方ですか?」
巴の言葉に、手塚が背後を振り返る。 流石の手塚部長も背中に目は無いらしい。
その人物を目線に捕らえた瞬間、手塚が驚いた表情を見せる。
……珍しい。
「大和部長!」
部長?
部長に部長と呼ばれたその人は温和な笑顔でそれに応じた。 片手を上げると可愛らしく二人に向かって振る。
「やあ手塚くん、お久しぶりです。 君がミクスドでプロテニス杯に出ると聞きましたので、興味深さに様子を見に来てしまいました」
「お久しぶりです、大和部長。 まさかこんなところでお会いできるとは思いませんでしたので、驚きました」 「あはははは、ボクが部長だったのはもう2年も前ですよ。 部長は君でしょう?」
かしこまって挨拶をする手塚。 鷹揚に応える相手。 手塚が敬語を使っている。 いや確かにまあ竜崎先生とかにも使ってるんだけど。
「あの、手塚部長? どちらさまで……」
会話の邪魔をしていいんだろうか、と恐る恐る口を挟んだ巴に、初めてその存在に気が付いた、と言わんばかりに慌てて手塚が巴の方を見る。
「あぁ、すまん赤月」 「大和部長……っておっしゃってましたけれど、ひょっとしてうちのOBの方なんですか?」
巴の言葉に、大和と呼ばれた相手がにっこりと笑う。
「はい、申し遅れました。大和祐大と言います。 手塚君が1年の時に部長を務めさせてもらっていました。 君がパートナーの赤月さん……ですね?」 「あ、はい、そうです! 赤月巴です、宜しくお願いします! ……で、ちょっとお伺いしたいんですが」 「はい、なんでしょう?」
青学の元部長と聞いて思わず背筋を正した巴を大和は面白そうに眺めている。
「さっきの練習試合、観てらしたんですよね? どうでした?」 「赤月!」
窘めるように手塚が言うが、気になるものは気になる。 何せ元青学の部長なのだ。
そして大和が相変わらずの笑顔のままで言った感想は意外なものだった。
「そうですね、良かったと思いますよ。赤月さんは」 「……え?」
赤月さん『は』? 驚いたのは手塚も同様のようだ。
そりゃそうだよね。 この言い方ではまるで手塚部長がダメみたいな……。
「手塚君がやっているのはシングルスです。 ミクスドはおろか、ダブルスですらない。 パートナーがいるということをしばしば忘れているように見受けられますよ。 その点を少し気にしてください」 「はい……心します」
手塚が頭を下げる。 確かに一年の時からシングルスプレイヤーとして研鑚を積んできている手塚は技術こそ一流であるが、ダブルスの経験は足りない。 巴とのペアで微妙な違和感を感じる原因はそれであったことに気付く。
「負担をかけるのはまだ仕方ないとしても、それに気付かないようではパートナー失格ですからね」 「……はい」
横では巴が動転していた。 自分が注意されるのにはなれているが、手塚が注意を受けている姿など想像もした事がない。 居心地が悪くてどうしたらいいのかわからない。
と、急に腕を大和にとられる。
「巴さん、いっそのこと彼と組むのはやめてボクのパートナーになりませんか?」 「え? じょ、冗談……ですよ、ね?」 「さあ?」
巴の手を取りながら笑う大和は底が見えない。 ずっと笑顔なのに、いや、だから何を考えているのか読めない。
その言葉の意味を考えていると、大和から振り払うように手塚が巴の手首を掴む。 驚いて手塚を見上げると、怒ったような困ったような微妙な表情をしている。
なんだろう、今日は普段は絶対見ることがないような手塚ばかり見ているような気がする。
「大和先輩! 彼女を惑わすような事をいうのは止めていただきたい。 例え先輩といえども彼女のパートナーの座を譲るつもりはありませんから」
沈黙。
「……プ、あはははは……!」
後、爆笑。
「大和先輩!」 「いや、失礼……あんまり手塚くんが必死なものでつい。 冗談ですよ、冗談」 「……!」
手塚が抗議の声を上げる前に、急に大和は腕にした時計をみやるとわざとらしく声をあげる。
「ああ、もうこんな時間ですか! 残念ですが用があるので今日はこの辺で失礼させていただきましょう。 ……あ、そうだ、赤月さん」 「は、はい?」
「多少固すぎるところがありますが、手塚くんのことを宜しくお願いしますよ。 そして手塚くん」
軽く何事か手塚に耳打ちする。 つい耳を貸してしまった手塚の顔色がまた変わる。
「なっ……大和先輩!」 「あはは、では大会、楽しみにしていますよ?」
何を言ったのやらわからないが、動揺している手塚を尻目に楽しげに笑うと大和は去っていった。 らしくない素振りを見せてしまったことを取り繕うかのように一つ二つ咳払いをした手塚が巴の方に視線をやると、なにやら楽しげにこちらを見ている。
「……赤月、何が言いたい」 「いえ、別に何か言いたいわけじゃないですけど。 手塚部長もちょっと前にはやっぱり後輩だったんだなぁって」 「? それは当たり前のことだろう」
怪訝な顔をする手塚。 ある程度予想通りだったのであろう応えに巴は笑う。
本当に、今日は、とても貴重な日だった。
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