試合前、ストレッチをしていた巴の目が誰かを捕らえた。 途端、嬉しそうな顔をして観客のいる方へと駆けて行く。
それを目の当たりにしたパートナーのリョーマは、当然、面白くない。
別に、巴のこういう行動は初めて目にしたわけではないが、試合前にあの勢いで走り出していくというのは尋常ではない。 今度は誰だよ。 ルドルフのマネージャー? 氷帝の偉そうな部長? それとも不動峰か山吹か。 だいたい、あいつは顔が広すぎる。
しかし、彼女に笑顔で手を振り返した人物は、リョーマの予想したその誰でもなかった。 っていうか、中学生じゃないし。
茶色の髪に、紫色のスーツ。 恐らくブランド物であろうそのスーツの胸ポケットにはキザったらしくサングラスが引っ掛けられている。
誰だ、アイツ。
そのリョーマの疑問は、観客としてきていた他の選手も同様である。 ほぼ敵意に近い視線を受けていることに相手は気がついているのかどうか。 いや、ひょっとして気がついていてあえて無視しているのかもしれない。
「誰だぁ、アイツ?」 「いや…知らない」 「そういえば聞いた事があるな…。 モエりんにはうちの部活以外でテニスを教えているコーチがいる、と」
そんな場内の空気には当然気がつかない約一名。 嬉しげに声をかける。
「許斐コーチ! 見にきてくれたんですね!」 「そりゃそうだ。 他ならぬ巴ちゃんの晴れ舞台だしね。 幸い、今日は休みの日だったし」
幸い休み、だったのか、休みにしたのか。 爽やかに笑いながら言ってのける。 巴としては、実戦を許斐コーチに見てもらえることなど滅多にないのでいいところを見せたいと気合が入る。
「許斐コーチが見ていてくれるんだったら 格好悪いところは見せられないですね、頑張ります!」
と、そこについにリョーマが割って入った。
「赤月、誰、ソイツ」
言葉は巴に向けられているが明らかに視線は敵意を込めてコーチを見ている。 許斐はそれを真っ向から受け止め、ニコリと笑ってみせる。
「ソイツって、リョーマ君、失礼だよ」 「いや、いいよ。 僕は希望が丘テニスクラブで巴ちゃんにテニスを教えさせてもらっている許斐。 キミは、巴ちゃんが下宿している先の子だったかな? 確か…越前君、だったっけ」
子、という言葉にカチンとくる。
「アンタまともなテニス、教えられるわけ? パートナーにヘンなクセとかつけられたら、困るのこっちなんだけど」
「ハハハ、これは手厳しいな。 それにしてもさっきからいまどきの中学生は体格がいいから僕が混じってもわからないくらいだな、と思っていたんだけど キミは例外だね。 巴ちゃんと同じ年にはとても見えないな。 ……そう、まるでお姉さんにくっついてる弟みたいだね」 「なっ……!」
笑顔で痛烈な一撃。
「ほら、巴ちゃん、もうすぐ試合開始だろう。 ここで見ているから、頑張っておいで。 僕が教えた鉄人サーブがどれだけ上達しているか楽しみに見させてもらうよ」 「はいっ!」
あのサーブ教えたのはコイツかよ! 巴にしてはいいサーブだと思っていたら……。
「許斐コーチまで見にきてくれてるなんて気合入るなー。 頑張るぞっ! おーっ! …………あれ、どうしたの? リョーマ君。 テンション低いよ?」 「……ほっといてくれる?」
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