合宿最終日、最後の合同練習。 生憎の曇り空である。 練習終了まで天気がもてばいいけれど。そう思いつつ練習を開始した選手たちであったが、今は別の懸念が発生している。 この試合の途中で、雨が降ってしまいはしないだろうか。
コートの一面で激しいインパクト音が響き渡る。
「ラブ・サーティ」
ボールを追いきれなかった巴に、跡部が揶揄の言葉を投げつける。
「どうした、巴。 このままじゃストレートで終わっちまうぜ」 「なっ……! 跡部さんこそ、油断している余裕なんてありませんよ!」
始まりは、跡部だった。
「おい巴、試合やらねぇか」 「今からですか? いいですけど、誰と組んでですか?」
突然の跡部の言葉に当然巴はミクスドでの練習試合だと思って返答した。 が、跡部の思惑は若干巴の考えとは違っていた。
「いや、シングルスで、だ」
一瞬、冗談を言っているのかと思ったが、跡部のは大真面目のようだ。
「そんなに時間は裂けねえから1セットマッチ。 それとも、到底勝てねぇから恥はかきたくない、か?」
最後の一言は、当然挑発だ。 が、その手に一番引っかかりやすいのが巴でもある。
「そんなわけないじゃないですか! いいですよ、試合しましょう」 「ちょ、ちょっとトモエ!」
慌てて那美が制止しようとしたが、もう遅い。 2人ともやる気満々である。
「スムース…サーブはもらうぜ」
カラン、と音を立てて倒れたラケットを掴むと早々に跡部はサービスラインへと下がる。 ボールを中空へ放り投げると、大きく腕を振り上げ、サーブを打つ。
―――来る。
コースはある程度予測できたはずだった。
が。 そのスピードが予測外のものだった。
「……フィフティーン・ラブ」
静かに告げられる声。
「ノータッチ・エースか……跡部のヤツ、初っ端から全開で攻めとるな」
動けなかった。 普段一緒に練習しているときの『打たせる』サーブとは比べ物にならない。 本気だ。
続いて打たれたサーブは球速こそ先ほどのサーブより劣るものの、バウンドした後ほとんど弾まない。 何とか拾い上げたボールは高く跳ね上がってしまい、そのまま軽々とスマッシュを決められる。
「サーティ・ラブ」
「あっというまに3ゲーム先取か…勝負にならねーな」 「しかもそのうち2ゲームがラブゲーム。 段々とリターンはできるようになってきているものの…やはり巴くんには荷が勝ちすぎているようですね」
ルドルフの二人の会話を小耳にはさんだリョーマがちら、と桃城を見る。 同じく、会話が耳に入っていたらしい桃城が口角をあげる。
「そりゃそう思うよなあ。 …シングルスでトモエとやった事があるのは、俺たち青学だけだしな」 「ん、どういう意味? それ」
その言葉を聞きとがめた千石に、簡潔な答えが返ってくる。
「ダブルスとシングルスは違うってことっすよ」
もう、既に2ポイント先取されている。
「…やっぱ強いなぁ、跡部さん……」
でも、まだ3ゲーム。 まだまだ大丈夫。
「おっしゃあっ!」
自分の顔を叩いて気合を入れなおし、コートに向き直る。
「勝負はこれからですからね!」
そんな巴の様子をみて橘が苦笑する。
「あれは、微塵も諦めちゃいないみたいだな」 「一歩も引いてないっすよね」 「……っていうか勝つ気だよね、アレ。やっぱ生意気すぎ……」
「吉川さん、止めないんですか?」
杏がからかうように言った言葉に多少不機嫌に返答する。
「止めてもいいのかしら?」 「私としては、止めて欲しくないですけど」
苦笑する杏に、独り言のように吉川は呟いた。
「跡部さん相手だったらすぐ終わるんじゃないかと思っていたんだけれど……段々、長くなってるのよね」 「え?」
「ラリーが……長くなってる…」 「ウス」
1ゲーム目は、まともにボールを相手コートに返す事すら覚束なかった。 2ゲーム目、なんとか返球できるようになったものの、ポイントを取るまでには至らない。 3ゲーム目、ボールを返す体勢がまともになってきた。
そして、4ゲーム目。
防戦一方だった巴は徐々に前に出始めている。
跡部さんの打ってくる球は、速くて、重い。 だからベストな位置から返球しないとラケットは弾かれるし、ボールはとんでもない方向へ飛んでいってしまう。
まずは確実に相手コートに返す事だけを考えよう。 いつか、必ずチャンスは来る。 いくら跡部さんでも、100%完璧なプレイをずっと続けられるわけじゃない。
「ねえ、小鷹」 「何?」 「あのコ、シングルスではいつもこういうプレイなの?」 「うん。……ちょっと意外でしょ」
ミクスドでの巴は、本人の性格そのままにアグレッシブなプレイを見せる。 積極的に前に出てがむしゃらなまでに攻撃を続ける。
が、それを知っている身にとって、今目の前で展開している巴のプレイスタイルは別人のそれであった。
慎重にボールを受け、コントロール重視でまた慎重にそれを返す。 しかし押されているばかりと言うわけでもない。 チャンスボールは見逃さず、深く踏み込んで腕を振り、軽いなりに返しにくい球を放つ。
「サーティ・オール」
さっき抜かれたコースも、次は入れさせない。 さっきネットしてしまったストレートを、今度は決めてみせる。
一人、離れて試合を見ていた海堂が舌打ちをする。
パートナーがいると、無意識に依存してしまうのだろうか、全体を意識する感覚が薄い。 そのせいかシングルス戦ほどのクレバーな試合展開が望めない。 ミクスドでの巴の現在一番の課題はそれだ。 もっとも、シングルスの場合は序盤の立ち上がりがどうしようもなく悪い。 この欠点をどうするかが青学現部長である彼の抱えている一番の難題である。
「デュース」
跡部の打った軽い球がコードボールとなり、ゆっくりと巴側のコートに落ちる。 ネット側に向かって走ったが、拾い切れない。 多分、偶然じゃない。狙ったボールだ。
サービスブレイクされるわけにはいかない。
気合を入れて放たれた巴のサーブを打ち返す。 パワーこそないものの、充分に力をためて打たれた球はスピードのあるいい球だ。 当然、サーブだけでなくリターンも目を見張るものがある。
さすがの跡部も内心舌を巻く。
これで、まだテニス歴は1年足らず。 この先一体どこまで伸びるんだ、コイツは? ……なあ。
…………ああ、もったいねえ。
「アドバンテージ・赤月」
ついに、懸念の雨が降り出した。 大粒の雨でたちまちコートが水浸しになる。 屋内練習場へ向かうようにとの指示が出された。
今のラリーが終了した時点でこの試合も中断されることだろう。
そのことに二人は気がついているのかどうか。
ライン際に跡部がショットを放つ。 なんとか返した巴だったが、すかさず反対方向のライン際にショットが返される。
ああ、これは決まるな。
誰ともなしにそう考えた。
だけど巴は違った。 これは、返せる……!
フォア側に向かって疾走しながらラケットを振り上げ、右足を踏み出し左足を踏み込んでボールを打つ。 巴の打った球は、跡部のラケットの横をすり抜け、ライン際ギリギリでバウンドした。
ラインズパーソンは既にいない。 巴にその結果を伝えたのは跡部の役目だった。
「イン。サービスキープだ」
「よ、お疲れさん」
タオルを手渡される。 無言でそれを受け取り、座り込む。
「どやった。感想は?」 「ああ、惜しいな」
微笑を浮かべているかのような表情で返された言葉に、忍足は怪訝な顔をする。
「巴が男だったら公式戦でいくらでも対決できる。 一対一、シングルスで」
「成る程ねぇ。 ま、傍から見ててもおもろい試合やったな。 正直巴ちゃんがあんなにできるとは思わんかったわ」 「ああ」
「でもなぁ、巴ちゃんが男やったらそれはそれでもったいないで。 せっかくあんなに可愛い子やのに」
「…バカヤロウ」
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