軽く夜のトレーニングを済ませ、水分補給に自販機で何か買おうと休憩所にやってきた橘だったが、そこに巴の姿を見かけた。
声をかけようとして、一瞬躊躇する。
自販機の横にある長椅子に腰掛けて、どうやら携帯でメールのチェックをしているようなのだが その表情がやけに嬉しそうなのだ。
結局、逡巡している間に巴の方が橘に気がついた。 二つ折りの携帯を畳んで軽く手を振る。
「あ、橘さん。こんばんはー。 今までトレーニングしていたんですか?」 「ああ。軽くな」 「私は今日はちょっと苦手分野のおさらいを…」 「そうか」
巴の隣に腰を下ろしつつ相槌を打つ橘に照れ笑いを浮かべる。 さすがに『ミーティングの時間にぼーっとしていて皆に怒られたんで反省しておさらいしていました』とは言いにくい。 幸い、橘はそれ以上立ち入って訊いては来ない。 自分で振った話だが、これ以上深みにはまるとまずいので話題を転換させる。
「あ、そうだ、橘さん、聞いてくれます?」 「ん、なんだ?」
何の話かは知らないが、いかにも嬉しそうな巴の顔に思わずこちらも笑顔がこぼれる。
「さっき、手塚先輩からメールが来てたんです!」
瞬間、橘の表情が笑顔のまま凍りつく。
手塚? あの、手塚か? 今はアメリカにいるんじゃないのか? わざわざ向こうからメールを送ってくるような仲なのか?
「前にJr選抜選手に選ばれたって報告したら、心配してくれたみたいで。 『特に山吹の千石と氷帝跡部には注意するように』って。 やっぱりこのお二人は去年も選抜選手に選ばれていたくらいですもんね。 私も注意して観察して二人の技術を少しでも身に付けなくちゃいけませんね!」
いや、違うだろう! 注意の意味が! 巴は別の意味であいつらに注意しなきゃいけないんじゃないのか? 手塚ももっとハッキリ書かんからこういう誤解を受けるんだ!
内心動揺しまくりの橘には気づかず、巴は浮かれている。
「でも本当に、千石さんと跡部さんだけでなく皆さん強いから勉強になります。 私も負けませんよ!」
その『強い皆さん』が一様に昼間巴に付きまとっていたことを思い出して橘はそこはかとなく不機嫌になる。 あと一日半この状態が続くのだ。
「……橘さん、どうかしました?」
返答のない橘に、気遣わしげに巴が顔を覗き込む。 何も自覚のない巴が非常に心配である。 苦笑しながら橘は軽く巴の頭にぽん、と手を乗せた。 そして呟くように言う。
「ぬしゃおっのこつしこ見てっとよかばい」
巴は何を言われたのか分からず、きょとんとした顔をする。
「今の…九州の言葉ですか? どういう意味ですか?」 「知りたいか?」 「当たり前です! 気になるじゃないですか! せめてもう一回! もう一回言ってください!」 「……覚えて杏に訊きに行くつもりか?」 「うっ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、橘は立ち上がった。
「その時がきたら、改めてお前に言うよ」
……ちなみに、遠く離れたアメリカでは忠告したメールに対してまったく見当違いの返答が返ってきて頭を抱えている手塚がいた……。
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