ここは、どこなのだろう。 私は、なぜここにいるのだろう。 ……そして、なぜここから動こうとはしないのだろう……。 あまり治安がよいとは言えない地域を、大神はしらみつぶしに歩き回っていた。 一人で探すのには自ずと限界がある。 ある程度の目測とカン、これに頼るしかない。なんとも心もとない話である。 「……大神少尉ですね?」 小さくかけられた声に振り返る。 道端に座っている靴磨き。 いや、月組だ。 「……何か手がかりはつかめましたか?」 「いえ、残念ながらこれといっては」 「ひとつ、調べてもらいことがあるんだ」 「はい」 「事件が起きる少し前に帝都に来た外国、……米国から来た人間のリストを」 ひとつの、賭けである。 『お加減は、いかがですか?』 部屋に入ってきた人物の方を見る。 『私を拘束して、私があなたに協力するようになると思うの? これはただの時間の浪費よ』 マリアの言葉にも、男は揺らがない。 『さて、そうでしょうか? ここしばらくの貴方の方がおかしかったのだと、そう思ってくれるかもしれません』 『そんなことはありえないわ』 『ではどうして、貴方はここから逃げ出そうとしないのですか?』 ここしばらくで随分と増えたビルの一室である。 事務所の一角の倉庫のような感のあるこの場所にマリアはずっといた。 窓はなく、扉は鍵がかかっている。 しかし、マリアの五体は何の拘束も受けてはいない。 彼の言葉どおり、本気で逃げ出そうと思えばそれは叶うのかもしれない。 マリアはそれを試して見ようとはしていなかった。 無論、ここにいることを望んでいるのではない。 しかし。 それ以上に今マリアは帝劇にいることを拒んでいるのだ。 大神のいなくなる帝劇。 いや、たとえ大神がずっといたとしても、この男の刺した言葉に今も深くマリアは拘っている。 この血にまみれた手で、彼に触れることは、できない。 そして結局のところ帝劇を離れてしまうとマリアには居場所など存在しなかったのだ。 『僕は、待ちますよ。 気は長いのでね。 そして、貴方には、貴方のその力にはそれだけの価値がある』 マリアは返答をしない。 もうあとは時間の問題だと思っているのだろうか、ここに連れてこられてからから男は饒舌になったような気がする。 ふと、男が口をつぐんだ。 目線を扉のほうに少し投げかける。 『招かざる客が、お見えになったようですね』 その足音は、すぐにマリアの耳にも入った。 急くような足取り。 扉をノック、というより叩くのと同時に声をあげる。 「マリアっ! マリア、そこにいるんだろう!?」 「隊長……どうやってここが……」 マリアが驚きの声をあげるのが聞こえたのかどうか。 すぐに銃声が耳を刺す。 乱暴に、扉が開かれる。 廊下側の蝶番が破壊されている。先ほどの銃声はこれであろう。 手ではなく足で扉を蹴破り、手に銃を握り現れたのは、やはり大神であった。 やっとのことでマリアを見つけ出したものの、その顔にいつもの穏やかさは見られない。 『やれやれ、乱暴な方だ。扉を壊してしまうとは』 『お前が、マリアを連れ去った張本人か!』 大神を前にしても、やはり例の調子は崩さない。 手に持った小銃を大神の眉間に照準を合わせ、微笑を浮かべている。 互いに銃を構えたまま、微動だにしない。 『これは人聞きの悪い。僕は彼女をふさわしい場所にお迎えしようとしているだけですよ』 『相応しい、だと?』 『ええ、人には相応の場所というものがあります。 あなたのような日向の人間と僕たちのような闇の人間、住まうべき場所は異なるのですよ』 「マリア、君も、そんな事を考えているのか?」 答えは、ない。 肯定をするつもりはないが、はっきり否定もできない。 「マリア」 マリアは、無言で俯く。 「マリア」 再び、呼びかける。 意を決して顔を上げたマリアの目に移った大神の顔は、予想に反したものだった。 大神は、微笑んでいた。 「光と影、そのどちらかのみの人など、存在しないんじゃないかな。 そして、俺の影を知っているのは、マリア、君だろう?」 その哀しげな微笑と、言葉に、ひとつの光景がマリアの脳裏に甦った。 さくらの悲鳴と制止、アイリスの泣き声。 それを耳にしながらも引き金を引いた、隊長。 空に響き渡る銃声。 大神が言っていることが、そのことがどうかはわからない。 しかし、あの時彼は自分の敬愛する人物の生に、自らの意思で終止符を打ったのだ。 光と影。 彼に影を感じないのは、彼がそれを見せないからにすぎない。 ただ日向のみに見せることは、とても難しい。 そして気がつく。 ただ、過去にとらわれている自分と違い、大神は未来を見据えているのだと。 『マリアは俺たちにとって必要な人だ。連れて帰らせてもらう』 男の顔が、不機嫌に歪む。 『日本人風情がこの力を手に入れてどうするつもりだ。 僕が一人でここにいると思っているわけでもあるまい』 『力なんてどうでもいい。 たとえ霊力がなかったとしても、俺たちには、……俺には、マリアが必要だ』 それに、と大神は付け加えた。 『こちらも一人だと思ってもらっては困る。 お前が今敵に回しているのは、帝國華撃団だ』 半分はハッタリ、半分は真実である。 公の帝撃の協力は月組からの情報のみの完全な大神の単独行動である。 が、私的部分では。 大神は紅蘭から発信機を預かっている。 花組全員が、マリアの為に動くことは明白だった。 男の顔から、ついに余裕が消えた。 怒りに任せて銃の引き金を引いたが、大神のほうが一瞬早かった。 利き腕を撃たれ、銃はカラカラと回転しながら床を滑っていった。 全ては決した。 連絡を受けた警官により男が連行され、部屋にはマリアと大神が残った。 「さあ、帰ろう」 何事もなかったかのように言う大神に、マリアの表情が歪んだ。 「申し訳ありません……隊長……」 やっとのことでそれだけの言葉を口から吐き出すと、後は言葉よりも先に涙があふれ出てしまう。 大神はそんなマリアの頤に手を当てる。 「マリア、これだけは、忘れないでほしい。 今まで、そして、これから何があっても、マリアには絶対の味方がいるのだということを。 それは、どこにいても変わらないよ」 たったそれだけ。 大神は何も訊こうとはしなかった ゆっくりと歩き出し、部屋を後にする。 あれほど抵抗を感じた心が、ゆっくりと外に向かって歩き出す。 そして、体は帝都へと向かう。 自分のことを思ってくれる人たちのいる場所へ。 |