このところ、巴はテニスをしている時以外はずっと編み物をしている印象がある。
バレンタインの頃までは学校の休み時間に見るくらいだったが、今は隠すのをやめたのか家でも四六時中編み棒を握っている姿を良く目にするようになった。
今日も、そうだった。
リョーマが居間に入ると、すでに巴がコタツに陣取っており、その手には編み棒が見える。
一つ違うことと言えば、編み棒を握ってはいるが、本人はコタツに突っ伏してうたた寝しているということだろうか。
コタツの別の一角に入り、横目で巴を見ると最早うたた寝というより熟睡といった方が正しそうだ。
編みかけのマフラーは巴の顔の下敷きになってしまっている。
そういえば、夜遅くまで自室に明かりが灯っていると菜々子が心配していた。
教室でホワイトデーに間に合わすとかなんとか言っていたのを小耳に挟んだ覚えがある。
どうして女子である巴がホワイトデーに合わせる必要があるのかは知らないが、もうあまり時間が残っていないので焦っているんだろう。
それにもうそろそろマフラーは不要になる時期だ。
下敷きになっているマフラーが今どれくらいの進捗状況なのかはリョーマにはわからない。
ただ、このままだと編み棒をどこかに引っ掻けたり、巴がヨダレでもこぼしかねないと思い、ゆっくり彼女の手から編み棒を抜く。
これまでの努力を居眠りで台無しにしてしまっては少し気の毒だ。
「……」
手を掴んだので起きてしまうかと思ったけれど、やはり眠りは深いようで、巴は少し身じろぎした程度で起きる様子はない。
力の抜けている指から簡単に編み棒が外れる。
日頃ラケットを握りしめているその手のひらは、少し固い。
次いで、マフラーを引き抜こうとしたけれど、こちらは顔が完全に乗っているので多少引いたくらいじゃどうしようもない。
どうしようか。
放っておこうか。
そもそもわざわざ世話を焼いてやる必要は自分にはないはずなのだから放っておけばいい。
もしくは起こしてしまう方が簡単だ。
そう思いながらも、リョーマはマフラーをゆっくり手前に引く。
巴は、やはり起きる様子がない。
そっと、細心の注意を払いながら少しずつマフラーを引くと巴が自ら顔の位置を動かした。
当然起きた訳ではなく、寝返りだ。
コイツほっといたら朝まで寝続けるんじゃないだろうか。
マフラーは無事安全地帯に移動完了する。
代わりに、巴の長い髪がコタツの上に流れるように広がった。
その髪の奥で相変わらず、幸せそうな顔で巴は眠っている。
髪を少し払ってやると、巴の唇が少し開いたのが見えた。
「ん……」
起きたかな、そう思い慌てて手を引っ込めたが杞憂だった。
目蓋は開く様子がない。
何か夢でも見ているのか、微かな声がまた届く。
「……リョー…」
「…………!?」
心臓がひっくり返るかと思った。
っていうかそこで止めんな!
どっちだよ!
……まあどっちかなんてほとんど解ってるんだけど。
理不尽な怒りを胸に抱きながら、顔をあげてもう一度リョーマは心臓が止まるような思いを味わった。
「はい、そこまで〜」
呑気な声を出しながら、けれど半眼で居間に入ってきたのは、「どっち」のもう片方、リョーガだったからだ。
全く気配に気付かなかった。
迂濶にも程がある。
が、リョーガはリョーマに対して何か言うでもなくコタツに足を入れてくる。
「あー、寒い寒い。
ったく、まだこんなんじゃコタツ仕舞えねえなぁ」
そんな事を言うくらいであとは持参してきた文旦の皮剥きに熱中している。
しびれを切らして口火を切ったのはリョーマだった。
「ねえ」
「ん、いるか?」
差し出された文旦をつい受け取って食べる。
オレンジは外皮ごとかじってるくせに、妙にきれいに剥かれ、種まできれいに取り除かれている。
「そうじゃなくて。いつから見てたの」
ひと房口に放り込んでから何事もないかのようにリョーガが答える。
「バカヤロ。
じっと観察してるわけねーだろ」
それはまあ当然だ。
当然なのだが。
「……心配じゃないわけ」
自ら藪をつつくような真似をしていると思いながらも言わずにいられない。
巴にはともかく、こいつにはバレてることなんて確認するまでもなくわかりきってる。
「心配……、ねえ」
また薄皮を剥き終わった文旦を渡される。
会話内容との余りの噛みあわなさに気が抜けてくる。
受け取ると、こちらを向いてリョーガがにやあ、と嫌な笑い方をした。
「チビスケは大丈夫なんだってさ」
「……なにそれ」
「俺が言ったんじゃねーよ。
巴が。『リョーマくんは危険じゃない』んだってさ」
それは、嬉しくない。
なんの意味もないのがわかっていながらまだ眠っている巴を恨めしげに見る。
信頼されていると言えば聞こえはいいがとどのつまり安全圏だと思われているだけだ。
しかもどこでどうしてそんな話題になったんだか。
「ま、悪気があって言ったんじゃねーだろ」
「……アンタは、それで安心してるわけ」
まさに悪気があって言ったわけじゃないであろうそのフォローするようなリョーガの物言いがリョーマの勘に触った。
「大丈夫だなんて思ってるのはコイツだけでしょ。
俺は、油断していたらいつだってあんたから奪い取るよ」
リョーガよりも、ずっと自分の方が長い時間巴と一緒にいるのだ。
今までも、そしてこれからだって。
いつ手を離してしまうかわからないリョーガ。
いつか、巴の泣き顔を見ることになるくらいだったら、信頼を失う方がマシだ。
睨み付けるリョーマの眼光を、リョーガは口の端を歪めるような薄い笑いで受け流した。
「させるか、バーカ。全身全霊全力で阻止してやるよ」
そして、やってきた時と同様に唐突に立ち上がり、コタツから出る。
「どこ行くの」
「ゴミ捨ててくる」
いつの間にか持参してきた文旦は全て皮だけになっている。
襖に手をかけると、リョーガはこちらを振り返り、去り際にこう言い放った。
「チビスケ、お前こそ巴がずっとここにいるなんて油断してんなよ」
「な……っ!」
執着なんて知らなかった。
自分の他に大切なものなんて、なかった。
けれど知ってしまった今は戻れない。
執着するものを見つけてしまった。
もう、手放せない。
この手に欲しい物は、ひとつ。
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