初めは、ほんのわずかな違和感だった。 そして、それが取り返しのつかない化け物に成長するまではあっと言う間だった。 「え?」 小太りの、少し生え際がヤバくなりつつある医師の告げる言葉が理解出来ず、 京四郎は何度も聞き返した。 しかし何度医師が説明をしようと、 言葉の意味どころか、その声すら耳には届かない。 目に映るのは、ただパクパク口を開閉する滑稽な医師の姿。 そう、そうだ。 こんなのは夢に決まってる。 目が醒めればまたいつものようにラケットを手にしてコートに駆け出すんだ。 また南次郎が遅刻しなけりゃいいんだけど。 『残念だけど、君の腕はテニスの選手としてはもう……』 長い夢だ。 いつになったら醒めるんだろう。 △▽△▽△▽ 始まりの話。▽△▽△▽△ 「おい、京四郎!」 遠くから自分を呼ぶ声に、緩慢に京四郎は振り返った。 予想通り、駆けてくる南次郎の姿が視界に入る。 「昨日の部活、何で来なかったんだよテメェ。 さてはアレか? 俺様に南次郎殺しを破られるのが怖さに逃げ出したな?」 軽口を叩く南次郎に、京四郎は答えない。 「おい、どうしたんだよ。 静かすぎて気味悪ィな。 ……そういや、何でお前制服のままなんだ? ユニフォームは?」 今頃そんな事に気がついた南次郎が不思議そうに訊ねる。 毎朝始業前に朝練を行なっているので、着替える手間も惜しく、京四郎はいつもユニフォームのまま登校している。 それが、今日に限っては学ラン姿なのだ。 そして、肩にはラケットケースがない。 その馴染まない姿に、はじめて理由のない不安を南次郎は覚えた。 なんでコイツは今、職員室の方から姿を見せた? 「レギュラージャージは返したから、ない」 「へ?」 「あれはもう、俺のじゃない」 多分アイツが着る事になるだろう、と京四郎は部員の一人の名を挙げた。 確かに次のランキング戦ではレギュラーを獲れるかも、といわれている奴だがその実力は京四郎と比べるべくもない。 いや、現在の青学で京四郎と並ぶ実力を持つのは、南次郎一人ぐらいだ。 京四郎の言葉の意味がわからない様子の南次郎に、苛立った声をあげる。 「察しが悪いな。 今、竜崎んとこ行って退部してきたんだよ。……それくらい判れよ」 「退部!? どういう事だよ、それ!」 苛立ちが募る。 ムカムカする。 放っておいて欲しい。 コイツに他意はない。ただ純粋にオレの事を気にしてくれているだけだ。 判っている。 判っているんだ。でも。 「うるせぇよ! もうテニスが出来ねぇからだよ! それだけ聞けば満足だろ? さっさと練習に戻れよ!」 どこにも行き場のない怒りを、南次郎に叩きつけると、その場を駆け去った。 完全な八つ当たり。 直後、後悔した。 けれど、これ以上南次郎の声を聞きたくなかった。 その姿を見たくなかった。 これからも自由にテニスができる、ヤツの腕を、見たくなかった。 |