いつものように、巴は公園で伊武を待っていた。
いつもと同じ場所でいつものように。
しかし今日の巴も一ヶ月前とは別の方向にいつもと違っていた。
一言で言えば挙動不審。
一人で顔をあげたり下げたり赤くなったりいきなり首を振ってみたり妙な声をあげてみたりと怪しい事この上ない。
しかし、当の巴としては今現在人の目なんて正直かまっていられないくらいにいっぱいいっぱいなので自分の奇行に自覚もない。
「あああ、来ちゃった、ホワイトデーが……!」
さらりと言われた爆弾発言から一ヶ月。ついにその日が来てしまった。
別にあれ以来会っていなかった訳ではない。
バレンタインのあった週末には改めて今度こそきちんと仕上げたチョコレート菓子を渡した。
そして、その時は数日前の事など何もなかったかのような伊武にこれ幸いとばかりに巴も知らない振りを通したのだ。
だって思い出すのも恥ずかしい。
咄嗟に自分はなんて事を。
自分のしでかした事だけでも許容量限界で顔から火が出そうなのに。
三倍って。
しかし、あれが必ずしも本気とは限らない。
むしろその場限りの伊武の冗談と受けとめるのが正解なのかも知れない。
あまり表情が変わらないからか伊武の冗談は冗談に聞こえないことが多い。
今回もそのケースなのかも。
うん、きっとそうだ。
そう結論づけて勢いよく顔を上げたところで、少し離れた向かい側のベンチに伊武が腰掛けているのが目に入った。
「伊武さん!」
巴と目が合うとゆっくりと立ち上がりこちらへやって来る。
「……終わった?」
「終わった、って別にはじめから何もしてませんよ。
気付いてたんなら声かけてくださいよー!」
「声かけたら俺まで不審者の同類と思われるじゃないか」
ずいぶんな言われようである。
しかしある意味いつも通りだ。
巴の隣に腰をおろすと、鞄から小さな包みを取り出して渡す。
「はい、ホワイトデーのお返し」
「あ、はい! ありがとうございます!
開けてもいいですか?」
既にリボンに手をかけつつ尋ねる巴に伊武がため息をつきつつ頷く。
いつも「どう答えたって開けるくせに」と言われるのだが様式美というヤツだ。
つい尋ねてしまう。
なにはともあれ伊武の許可を得て小さな箱を開くと中に入ってたのはペンダント。
細かい金の鎖に、トップには柔らかい色調の石があしらわれている。
一瞬で巴は魅せられた。
「わあ……ありがとうございます!
大事にします!
……これ、伊武さんが一人で買ったんですか?」
「当たり前だろ。誰がキミへのプレゼントを買ってくれるって言うんだよ」
「いえ、杏さんとかに相談したのかな、と。あんまり可愛かったから」
「……一人で選んで、一人で買ったよ」
伊武がこういった品を店頭で選んで買っている姿が想像しづらい。
そしてそれを自分の為にやってくれたんだな、と思うと嬉しくて思わず笑みがこぼれてくる。
「今付けてみてもいいですか?」
「別に好きにすればいいと思うけど、それつけてテニスなんかやったら邪魔だし無くすよ」
「あ、そうですね」
伊武の言葉に今日これからの予定を思い出し、少々名残惜しく思いながらペンダントを再び箱にしまう。
また別の機会までのお楽しみだ。
「じゃあ、行こうか。……巴。頬になんかついてる」
「え? どこですか?」
「そこじゃない。じっとしてて」
当てずっぽうに頬をこする巴を制して伊武が巴の顔に手を伸ばす。
あれ、頬のゴミを取るだけの割には顔が近いな、と思った時にはもう巴の唇は塞がれていた。
「……………………!」
呆然自失で数秒。
状況を理解するのに数秒。
そこまで経過してやっと解放される。
「ちょ、な、なななっ……!」
「言っただろ、こっちも三倍返しって」
口を開いたものの言葉にならない巴にしれっと伊武が告げる。
「忘れてると思った?
生憎だけどキミと違って記憶力はいいんだよね」
そう言うと、思わぬ寒の戻りで今年も未だ仕舞う事ができない自分のマフラーにちらりと目線をやった。
もっとも、巴にそんなことにまで気がつく余裕はなかったが。
「だだだ、だからってこんないきなり……!」
「キミだって不意打ちだったじゃないか。アレのお返しだし」
「それはお返しじゃなくって仕返しじゃないですか! は、はじめてだったのにーっ!」
自分でも混乱しているのが分かる。
顔が火照りすぎて今にも倒れそうだ。
「俺も初めてだったけど。巴は俺とじゃ嫌だった?」
いきなりのこの伊武の言葉に、これ以上ないと思っていたのにまた更に頭に血が昇る。
本当に伊武のこのポーカーフェイスはずるい。
自分ばっかりが取り乱してる気分になる。
「そ、そうじゃないです。
ないですけど、シチュエーションとかそういうのがあるじゃないですか」
巴がしどろもどろに言い訳すると、「なんだ、そういう意味」、と伊武が小さく呟くのが聞こえた。
ほっとしたように見えたのは自惚れかもしれない。
「じゃあ、やりなおそうか。まだ三倍には足りてないと思うし」
そんなことない。
三倍どころじゃ、ない。
絶対にもらいすぎ。
そう思ったけど、やっぱり言葉にならなかった。
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