いつものように、巴は公園で伊武を待っていた。
平日に待ち合わせをするときは大体ここだ。
場所がら巴が先に到着する事の方が多い。
今日もそうだ。
いつもと同じ場所でいつものように。
ひとつ違う点をあげるとすれば巴の表情だ。
よほどの長時間ではないかぎり、巴は誰かを待つという行為がキライではない。
相手が来ると思われる方向をちらちらと見ながら待つのは、なんだかドキドキする。
それが好きな相手ならなおさらだ。
しかし今日の巴は、うつむいたまま暗い表情で、時折深いため息をつくばかりだ。
伊武がその場に到着したのにも気がつかない有り様で。
「お待たせ」
「……」
「巴?」
「……あっ! 伊武さん!」
二度声をかけられてはじめて自分に気付いた巴に、伊武は不機嫌な顔を見せる。
「なんだよ。そっちから呼び出しておいてその態度?
待たせた俺が悪い?
でも約束の時間ってまだ過ぎてないんじゃない。それで責められるんだったらたまんないよなあ……」
「ごめんなさい!」
伊武のぼやきが途中で遮られた。
巴が伊武のぼやきを遮る事などは日常茶飯事だがそれは大体巴の反論か、ただ流されただけの時であるので、伊武が少し驚いたように目を見開く。
「どうしたの。珍しく素直だけど」
いつもなら絶対に言い返すこの台詞にも巴は反応しない。
「あの、その、それじゃなくて、いや今のもなんですけど、それよりもっと謝らないといけない事がありまして」
その言葉に、微かに伊武が眉を寄せる。
謝らないといけない事?
「何」
そう言って何が飛び出して来るか判らない言葉に備える。
巴は眉を八の字にして情けない顔で唇を開いた。
「今日、バレンタインデーなのにチョコ用意出来なかったんです。ごめんなさい!」
言った内容は、これだけ。
「……なんだ」
拍子抜けとはまさにこの事だ。
随分暗い声を出すから、思わず最悪の予想までしてしまった。
気が抜けたあまり、いつものぼやきも出なかった。
が、それを巴は曲解する。
「あああ、やっぱり伊武さん怒った〜。ぼやいてさえくれないなんて……」
「は?」
「あのですね、本当は準備してるはずだったんですよ。
去年は衝動買いしたチョコをそのまま勢いで渡しただけだったから今年はちゃんと手作りしようって。
それが失敗しちゃって作り直す時間も買いに行く時間もなくて……」
聞いてもいないのに延々と事情を説明し続ける。
しかしどさくさに紛れて今去年のバレンタインに関して不穏な発言が飛び出したような気がするが。
「別に俺何も言ってないし」
「だからですよ!
いつもだったらなんでもない事だってぼやきまくる伊武さんが!
よっぽど怒ってるって事じゃないですかっ!」
「……俺普段どんな酷いヤツなんだって思うじゃないか。まあキミにはそう思われてるんだろうね……別にいいけど。
それにしたってチョコがないくらいでそんなに怒ったりしないよ。そんなに心狭いって思われてる?
大体暗い声で電話してきて、あげく会ってすぐに頭下げてきたりするからてっきり」
いつもの調子に戻ったのか盛大にぼやきはじめた伊武だったが、口をすべらした事に気付いて唐突に言葉を途切れさせた。
しかしこれを聞き逃す巴ではない。
「てっきり? なんだと思ったんですか?」
「……もう会わない、とか言われるのかな、と」
さすがに自分で言っていて情けない。
微かに巴から目を逸らす。
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
「俺の事じゃないんだから絶対無いとは言い切れなかった。
特にキミの行動が突発的なのはいつもの事だし」
だから、最悪の予想が外れたから他の事なんて些末な事だ。
そう思ったんだけれど、電話を受けてから今まで心配させられたと思うと少し嫌味のひとつもいいたくなる。
「あーあ、今日の俺って可哀想。心配だけさせられてチョコももらえないなんて」
「さっきそんなことで怒ったりしないって言ったくせに……」
口をとがらせる巴にしれっとした顔で答える。
「怒ってないよ。ただ、可哀想だなーって言っただけ」
「おんなじですよ! 週末には、ちゃんとリベンジしますから!」
巴の言葉に、期待しないでおく、と軽く肩をすくめてみせる。
少し気が晴れたのでここら辺で止めておこう。そう思った時、突然巴が伊武の腕を引いた。
つられて上体が傾く。
不意に片頬に触れた感触。
「え」
「と、とりあえず、チョコの代わりです!」
多分、今すごく間の抜けた顔をしてしまってる。
けどまあ多分それでも目の前で耳まで赤い巴に比べれば反応が薄いと言われるのだろうけれど。
「本当ずるいよなあ、キミって……」
「な、何がですか!」
こうやって、こっちの不安も何もかも帳消しにしちゃうんだから。 帳消しにされちゃうあたり俺ってチョロイよなぁ、と内心自嘲する。
でもまあ、それが嫌じゃないんだけど。
「…ところでさぁ」
「は、はいっ?」
「その、失敗したチョコはどうなったの?」
「リョーマ君がおなか空いてたからって昨日食べてくれましたけど」
「…………………へぇ、越前君が」
一瞬、伊武の周りの空気が冷え切ったような気がしたのは気のせいだろうか。
ひとしきり口の中でブツブツとぼやいていたようだがさすがに小さすぎて巴の耳にも聞き取れない。
また別のことで怒らせたかな、そう思っていると、突然伊武が此方を向き、巴の耳元でつぶやくように訊いた。
「まあ、とりあえず今日じゃないからいいか……ねえ、さっきのもホワイトデーには三倍返し?」
|