「なんで、そこにいるわけ?」
普段ぼやいてばかりの伊武深司がハッキリ口に出して疑問を形にする。
まだ朝早い時間にやってきたせいで頭が惚けて幻覚を見たのかとも一瞬思う。
目の前に広がるは荒涼とした河川敷のコート。
そしてその真ん中にしゃがんでいる赤月巴。
彼女がコート内の小石を拾っているのはその姿勢とバケツにたまった小石で一目瞭然ではあったが、しかし何故彼女が一人でそんなことをしているかが分からなかった。
別にこのコートは河川敷にあり不動峰中の占有コートというわけではないけれど、使用するものは自分たち以外にはあまりいない。
従って、コートの整備も彼らが率先して行うことになっている。
目の前のライバル校の選手である彼女もこの春から何故か度々訪れては自分たちの練習に加わったりしているが、まさか彼女が一人でこんな事をしてくれるとは思わなかったし、
例え思ったとしても部長である橘は彼女一人にこんな事をさせるのは許さなかっただろう。
と、言うことは彼女は誰一人に知らせずこっそりと整備をしていたということだ。
「…………もしかして小人さん?」
想定外の出来事にうっかりメルヘンの世界に飛んでしまいそうになった。
あわてて、意識を引き戻す。
「で、キミは一人で一体何してるわけ……言っとくけど小石拾ってるのは分かってるから」
「はあ、まあ、ご覧の通り…ですけど?」
「「…………」」
小石を拾っていた巴にしても、何をしていると問われればそう答えるしかないわけで。
二人してイキナリ会話に詰まってしまった。
「…………あーあー参っちゃうよなあ……他校の女子に石拾わせてたなんて橘さんに知れたらどうなるんだろうなあ……。叱られる?そうだろうなあ……気付いちゃったし一緒に手伝うしかないんだろうなあ……朝は一人で壁打ちでもしてようかなんて考えて早く来ちゃった俺が悪いんだろうなあ。手伝ったら赤月は感謝してくれるのかなあー…あ、でもコート整備って基本的には俺ら不動峰の仕事だし、彼女のやってくれたことを逆に感謝しなきゃいけないのか、……善意の押しつけ……?それでも手伝う意思のある俺ってもしかしてめちゃくちゃイイヤツなんじゃない?」
「全部きこえてますよ、伊武さん?」
「それで、本当のところはどうなの?」
結局話は振り出しに戻された。
伊武は巴の近くにしゃがみ込んで一緒に小石を拾い始めた。
「なんて俺ってイイヤツなんだろ」と言う声がかすかに聞こえた。
巴は逡巡した後、何か決まったという顔でぽつりと話し始めた。
「えーと。せっかくの誕生日だったので、一人じゃイヤだなあって。
越前家の人たち今日はみんなで法事行っちゃったんですよ。
どうせ、一人になるなら誰かと会えないかなあと思ってここに来たんですけど」
誕生日一人で過ごしたくない。
確かに誰に出もある感情だとその点は伊武も納得する。
しかしながらそれはこの場所で小石を拾っている理由にはならない。
携帯電話だって彼女も持っているのだ。
誰かを誘って出掛けてもいい。
不動峰の連中と会いたいなら皆が揃う時間に合わせてくれば良いだけの話で
こんな朝早くからいる必要はないのだ。
もしかしたら巴は自分を待っていたのかもしれない。
しかし、そんな都合のいい話はないとすぐに否定する。
自分が最近は朝早くに来て壁打ちをしているなんて知っているのは
練習中に話した神尾ぐらいだからだ。
もっとも神尾に話せば橘杏にも筒抜けだと言うことまでは伊武も知らない。
「……会えないかなあ……って、先週もそんなこと思って来てたりしないよね?」
ふと、疑問に思ったことを口に出す。
先週は他校に出向いていて、河川敷には来なかった。
いつも約束したりしている訳じゃないので彼女の動きを把握していないが、
もしかしたら自分たちがいないときにも来ている可能性はある。
「先週は誰もいなかったんで残念でした」
巴はまったくもって気にしていない表情で答えた。
危惧していた答えをあっけらかんと言われ、伊武は頭を抱える。
まさか、本当に来ていたとは。
知っていれば自分たちがいないことを伝えることも出来たのに。
こんな時、巴と結構仲良くしている橘杏は何をしているのだと少し苛つく。
「…………先週は珍しく他校と合同練習していたからね」
色々と問題があり顧問にも放置されている我がテニス部と練習しようなどと言う酔狂な学校は普段まず無い。滅多に声はかからない。
しかし、先週は珍しく聖ルドルフから声がかかって共に練習していた。
あちらも新興チームだと言うことでそんなに他校と交流がないようだった。
巴はその伊武の発言に思い当たることもあり、「ああ」と手を打つ。
「そう言えば、この間観月さんに不動峰のこと話してみたら乗り気でしたからね」
巴はなぜか他校の人間との交流は深い。
実際この目で見たことはないけれど氷帝とも繋がりがあるらしい。
跡部と仲の良い巴など想像もつかないが、
神尾が知ったら煩いだろうなとなんとなくうんざりした気持ちになる。
それと同時に、巴にとって不動峰の存在は案外軽いものかもしれないと思うと、
仲のよい他校のテニス部の一つにしか過ぎないのかもしれないと思うと、
なんだか自分自身がそういう存在だと言われているように感じてなんだか寂しくなる。
理由は分からないけど、こんな彼女相手でも特別に想われたいのだろうか。
「で、先週も一人だったのにそれに懲りずに今日も来たの?」
「だから私の誕生日で、家には誰もいないので……それだったらここに来ようかなと」
先ほどと同じ理由を繰り返した。
寂しいと言うだけで誰がいるかも分からないこの場所に来たかったのか?
本当にこの女子は分からない。
何か目的があるんじゃないかとか穿った考えも浮かんでくる。
けれど、いつもボヤキがするりと出てくる口からは、
「誕生日だって知ってたら……」
自分でも思いがけない言葉が飛び出してしまった。
誕生日だと知っていたとしたらば。
なにをしようというのか?
この目の前の女子を祝うというのか?
ライバル校の生徒でたまにここで練習していくだけの女子を特別に祝う?
あの生意気な越前リョーマと一緒に住んでて平気な図太い神経のコイツを?
俺が?
伊武はここ数年味わったことがないくらいの混乱に陥ってしまった。
うっかりぼやくことすら忘れてしまうほどに。
この気持ちの行き着く先は、つまり━━━。
やはり、その、アレ…っていうかアレっぽいっていうか。
もしかしたら、そういう気持ちもあったり無かったり。
頭の中に一つの可能性が芽生えてしまった。
もしかしたら、今日ここに来なければ気付かずに済んだかもしれないのに。
うっかりやすやすと、とんでもない女子に巻き込まれてしまった自分に気付き
思わず目の前が真っ暗になってしまう。
こんなさりげない絶望、試合中でも味わったことがなかったのにと
正直苦々しい気分すらする。
「……まあ誕生日。来年まで覚えてたらその時はちゃんと今年とは違って祝ってあげてもいいよ。あーあ。俺ってホントイイヤツだな…感謝してもしきれないよね、キミ。来年の誕生日は立派だって事今から約束されているわけだから。何て言うの?『伊武さまありがとう』って言う言葉位じゃすまされないと思わない?っていうか俺、神?」
半ばヤケになってぼやく自分自身を自覚する。
これはよくない傾向だとも思う。
けれどその逆も、いい傾向だとも思ってしまった。
「やった!この先もずっとここに来ていいってことですか?伊武さん達と一緒にいても?」
さすがに他校との合同練習には加われないでしょうけど…と残念そうにしながら、
いい加減伊武の調子には慣れてきた巴は、都合のいい最初の言葉だけに反応する。
「そこまで考えてなかったけど、言ったものは仕方ないね。……キミが図々しいのは重々承知だし……」
巴の思いもかけない返事にすこし驚きながら、
言葉とは裏腹に悪くないというような表情で答える。
そうすると、彼女に言わなければならないことを思い出して話を続ける。
「で、これからもこういう事をするならあらかじめ誰かに連絡しなよね」
先週みたいに誰もいない場合だってある。
河川敷は寂しいところだから、
いくら彼女が女子を超越しているとはいえども気を付けるに越したことはない。
それにコート整備をすると言うことであれば、一人より二人の方が効率もいいだろう。
「じゃあ、伊武さんに連絡すれば付き合ってくれるってことですか!」
ぱっと、いつもよりもひときわ巴の顔が明るくなる。
その表情の正体も知らず、伊武はそれに答える。
「そうなっちゃうね…………………………………………そんなに嬉しそうな顔されると否定できないよね……ま、いいけど」
ニコニコと巴の顔は明るい。
何だか和む。
試合中や練習中のがむしゃらな表情も悪くないけど、こっちの方が彼女にはいいなと思う。
そんなことをボンヤリ思っているさなか、ふと先ほどの事よりも言わなければいけない大事な事を思い出す。
「…………………………………………赤月、誕生日おめでとう。とりあえず、石ころ拾いが終わったら昼飯でも食いに行く?……ほら、俺って気が利いてると思わない?いい男だと思うんだよね、キミはどう思う?……ま、答えは決まってると思うけど」
その時遠くから高くよく響く声が聞こえてきた。
普段リズムリズムと煩いその声が。
軽く舌打ちしそうになる自分を何とか押しとどめる。
「……ま、今年の誕生日は不動峰全員とのパーティー…だね」
「はいっ、そうですねー。じゃあ、伊武さんとの誕生日は来年に期待しますんで!」
期待してていいから、その言葉を声に出さずに手を挙げて答える。
その挙げた手はそのまま目の前にやって来る黒いジャージの集団に向かって軽く振られる。
来年の誕生日、自分と彼女の関係がどうなってるかはまだ分からないけれど、
それでも楽しみに思ってしまう自分がいる事をもう自覚せざるを得なくなっていた。
「…………………………………………まいったな」
普段のボヤキよりもさらに深く小さい声で、けれど全然まいっていない声でそうつぶやいた。
END
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