―――悪夢は二つある。 血を吹き、倒れる相手。駆け寄る私。 あの時と同じように、私は何もすることができない。ただ、命の灯火が消えていく様を見守ることしか。 夢。 ……だからといってやり直しはきかないのだと、目が覚めた後、いつも自嘲する。 遺す言葉も無く逝ってしまった人と、最後までやさしい言葉をくれた人。 残された私は恋に対して臆病になってしまっている。 再び取り残される恐怖に、脅えてしまっている…………。
跳ね起きたマリアは、けだるげに前髪をかき上げた。 まだ肌寒い季節だというのに全身に汗をかいている。あの夢を見たときにはいつもそうだ。 そのくせ、芯から冷えてしまったような感覚。 夢をはねのけるかのようにベッドから離れ、服を着ようとし、ふと鏡台に目がいった。 肩にはしる傷跡。―――銃創。 8歳の時から戦場を走り回っているマリアの身体には他にもいくつかの―――おそらく一生残るであろう―――傷があるが、この傷は特別だった。 傷跡に少し右手を添え、ひとつため息を付く。そしてまた何事もなかったかのように着替えを続ける。 心に重く圧し掛かっていることがひとつ。
私の価値はあの人の命の代償になるほど高いのだろうか。
「どうしたんだい? マリア」 大神の声に、マリアは我に返った。 顔を上げると、向かいの席で大神が気がかりそうにこちらを見ている。 「……申し訳ありません」 司令室での帝撃の定例会議中である。 叉丹を倒したとはいえ、今後何が起きるか分からないと言うことで指令と隊長は月に一度こうして現在の経過とこれからの具体策について講じあっている。 マリアは一介の隊員に過ぎないが、かつて隊長職を勤めたこともあり、この会議には毎回出席している。 嘗ては、藤枝副指令もこの場にいたのだが、彼女が抜けた穴は今現在まだ埋まってはいない。 「いや、別に謝らなくてもいいんだけど、顔色が悪いぞ」 「幸い今日は、いや今日も特別何かあったわけじゃねぇ。終わりにするか。大神、マリアを部屋まで送ってってやれ」 「はい」 大神がマリアのそばに行こうとしたが、慌ててマリアは立ち上がった。 「いえ、結構です。……大丈夫ですから……」 差し出そうとする大神の手を避けるようにしてマリアは足早にその場を立ち去った。
「……まいったなぁ……」 「……ありゃ、また何か独りで抱え込んでるな」 「やはり、指令もそう思われますか?」 「わからいでか。普段他の奴らよりなまじっか冷静なだけに崩れると始末におえねぇ。……で、大神。今回のあの件は、あいつには言わんほうがいい」 「はい。自分も同感であります。例の件ですね」 米田は背もたれに身体をもたれかからせると、深く息を付いた。 「まぁったく、雨後のタケノコみてぇに問題って奴は降りかかってくる……」
米田の『特別何かあったわけではない』というのは嘘であった。 いや、はっきりと表だって何か発生したわけではないのは事実だが。 ここ最近帝都で発生している殺人事件。 人が多くごった返す帝都。もともと事件がなかったわけではない。が、ここ最近起きている殺人は通常での発生数を遙かに越えている。 被害者も様々なら凶器も様々。共通した事件なのかどうかは不明。いずれも犯人は摘発できず。 しかしこれだけで言えば、それは警察の管轄であり、軍隊、それも帝国華撃団が関わる問題ではない。
帝国華撃団が関わる問題となったのはいずれの被害現場にも関知された微量の霊力。 偶然と言い切るには続きすぎ、確信と言い切るにはあまりに霊力が微弱すぎた。 この事は現在公には知らされていない。 ただ、ようやく訪れた平和を脅かす黒い影に民衆が脅えていることだけは確かであった。
「た……たす、け……」 男が口に出すことができたのはそこまでだった。 救いを求める言葉の代わりに口から夥しい血を吐き、何かに縋ろうとした手は目標もなく地に崩れおちた。 締め切った暗い部屋に血の匂いだけが充満している。 「こいつも違う、か……」 手に飛んだ血を無造作に舐めとり、独りつぶやく男が一人。 血塗れの部屋に、足元に転がる死体がひとつ。凄惨な部屋の中央に眉ひとつ動かさず立っている。 「どこにいるんだい、クィーンは……」
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