回想録



「みんなの……か」

 ひとり、ボーマンは呟いた。


 以降も彼はいつもの定食屋に通ったし、そこにはいつもニーネがいた。
 はじめの頃はひたすらにニーネが質問攻めにしているだけと言った感じだったが、しだいにぽつりぽつりとボーマンも会話を交わすようニなった。
 それに従って、一つの、黒い染みのような曇りがボーマンの胸に生じ出したのだ。



 初めて会ったときにニーネが口にした言葉。


『薬学って、おくすりのお勉強ですよね。
 皆の病気を治すための研究なんですね』


 聞いた時には一笑に付しただけの言葉だったが、時が経つにつれてこの言葉が引っかかってくる。
 彼女の言葉は正しい。
 しかし、まったく現実とは噛み合わない。

 研究所にとっての薬学は、王室のためのものだ。
 決して他の誰かの利益のためでは有り得ない。
 ……何故だ。

 王室の直営だからと言ってしまえばそれまでである。
 だが。
 自分の研究は、では、何の為に?



 そんな時であった。
 店から、ニーネの姿が消えた。
 一日目は、そんな日もあるだろう、と気にも留めなかった。
 二日目。
 三日目。
 四日目。

 ボーマンが理由を聞いたのは五日目になってからだった。


「ニーネは、ずっと病気で寝込んでいるんだよ」

 店の主人からそれを知らされたボーマンは、そのまま店主から訊いたニーネの家まで駆けた。
 家族への挨拶もそこそこに、ニーネの部屋へ向かう。


 …ベッドで横たわっている姿は、常日頃店で見せている明るい姿とはまるで正反対だった。
 熱で朦朧としているのだろう。目は開いているがボーマンの姿を捉えてはいない。

「……ニーネ」

 声をかけると、若干反応はあったが、それだけだ。
「ずっとこの調子で。お医者様にも原因がわからない、と……」
 途方に暮れたような母親の言葉。
 町医者程度では手におえない、と言うことか。

 脈を取り、口を開けさせて舌の色を見る。
 医学も一応は大学でかじった。
 だが、所詮はスキップした学科だ。
 単位だけを取得したしても何になる? 

「何か、わかりました?」
「……おそらく。ただ、ここでは物が足りません」
 診立ては不充分かもしれない。しかし、薬学ならば自信がある
 しかし、知識があるからこそ知っている。
 処方の為の薬草は、この国では、手に入らない。


「待ってろよ、ニーネ。
 絶対に、お前を助けてやるから」

 ボーマンの言葉が理解できたのかどうか。
 ニーネは、少し微笑んだように見えた。



 研究も、仕事もまるで頭にはなかった。
 何もかもを放りだし、彼はその日のうちに船に飛び乗った。


 行く先は、クロス。
 紋章術師の村、マーズへ。







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