第四話 付喪




 五つ半。
 一軒の妓楼で三味線の音が鳴り響く。
 それとともに小気味良く耳に届く女の声。

 一曲終わったところで京梧がいささか大げさなくらいの拍手を贈る。
「よ、お見事!
 流石は吉原一の三味線弾きだ」


 先日支奴なる男に貰った吉原細見を片手に不精がる龍斗を半ば無理やり引きずってやってきたというわけである。
 当然のごとく雄慶はいない。
 女遊びなどというものは一人でやるものだ、とは龍斗の言で、龍斗をわざわざ同行させる京梧は彼に言わせると臆病者だという。


 しかしまあ、この遊女の三味線はそれでも来た甲斐があると思える程のものだった。
 横で酒を飲みながらそう心中で思う。
 顔は並。
 遊女独特の化粧が良く映えているが化粧を落としてしまっても感じのいい町娘に見えるだろうと思わせる。


「それにしてももう五つ半だってえのに外はまだまだ賑やかだな」
「大門が閉まるのは夜四つ。
 それまでの最後の逢瀬を楽しんでいるんでしょう」

 窓のほうに視線をやりながら遊女、お葉といったか……が答える。
 もっとも障子は閉まっているので外は見えない。
 ただ喧騒のさざめきが耳に入ってくるだけだ。


「ってことは俺たちもそろそろ行かなくちゃいけねぇんじゃねえか?」

 慌てて腰をあげかける京梧だったが、龍斗は相変わらず腰を据えたまま酒をのんびりと飲んでいる。


「うろたえるな山猿。
 妓楼には妓楼なりの抜け道ってのがある」
「……は?」

 けんもほろろな態度の龍斗に代わり、二人の会話に苦笑しつつもお葉が答える。


「一応大門が閉まるのは夜四つですが
 そこから帰るのは素人の方だけ。
 裏口からお役人の方も融通をしてくれますのでまだまだ吉原の灯りは消えませんよ」
「へえ、通は無様に急ぎやしねえってことだな」
「……お前は通でもないし、充分無様だがな」
「龍斗、てめぇ…」


 二人の会話を微笑んで見ていたお葉だったが、不意に顔を歪めると咳き込み始めた。
 嫌な咳だ。
 無理に止めようとしているのがありありと分かる。

「おい、お葉ちゃん、大丈夫か?
 具合が悪いなら無理しねえ方が……」

 京梧の言葉に、お葉は弱弱しく笑って首を振る。 
 医者に診てもらえ、という言葉もこの吉原ではいうだけ無駄なことだ。



「京さん、龍さん、私ねぇ、吉原が好きなんですよ。
 子供の頃にここへ売られてきてから、吉原は私の生活の全てですから」
「つらくねえのか?」

 馬鹿な質問をする、そう思いつつ龍斗はまた手酌で酒を飲む。

「ここにいれば、お客さんたちが私を必要としてくれます。
 遊女にならなければ誰の役にもたたないただの娘として一生を過ごしたかも知れない。
 そう思うことにしているんです」


 そう答えるお葉の弱々しい姿とは対照的な三味線の小気味良い音が再び部屋に響き渡った。





「ふあぁ……あっ」

 よく顎が外れないものだと感心してしまいそうなほどの大あくびと共に京梧がこれまた大きくのびをする。

「よう、おはよう…」


 こちらを見ていた龍斗と雄慶に寝ぼけた顔で挨拶をするが、確実に目がさめていないことは焦点の合っていない目を見るまでもなく明らかだ。


「何がおはよう、だ。もう昼だぞ。少しは龍斗を見習え」 

 不機嫌な表情で雄慶に言われ、龍斗には無言で濡れた雑巾を顔に投げつけられた。
 水の感触でやっと目が覚めてきた。
 それにしても確かに自分と同じ時刻に帰ってきたはずなのに龍斗はどうしていつもどおりに目を覚ますことができるのか。
 いやそれよりも前になぜ濡れた雑巾を傍らに持っていたのか。
 訊いても鼻で笑われるだけなのが分かっているので訊かない。


「すいません、龍泉寺ってのはこちらですか?」

 そんな折に突然、外から声をかけられた。

「龍泉寺は確かにここだが?」
「ああ、じゃあ蓬莱寺さんと緋勇さんってのは……」
「俺とこれだ」
「おい、龍斗。いくらなんでもこれ、はねえだろうが」

 不満声をあげる京梧を無視して訪問者との会話を続ける。


「お葉って人からこの手紙を届けるよう頼まれましたんで……確かに渡しましたよ。じゃあ」

 用件だけを済ますと男は早々に去っていく。
 まあここいらでは評判の幽霊寺なので当然といえば当然の話である。
 こんな所に人がいることすら恐怖の対象なのかもしれない



 
「何、お葉ちゃんから手紙?
 俺だけじゃなく龍斗にも、ってのが気になるが、まあ開けてみりゃわかるか」



 お葉の名前に反応した京梧がいち早く龍斗の手から封書を奪い取る。
 どうやら目はすっかり覚めたらしい。

 
 封書の中身は昨日の晩のお礼が書かれており
 是非また近いうちに尋ねてきてくれ、という旨のことが書かれてあった。

「あのようなやさしい言葉をかけてくれたのは貴方だけ……か。
 くうっ! 男冥利に尽きるねぇ。 じゃあ龍斗、早速行こう!」
「……山猿。お前、あの女に居場所を教えたのか?」
「さあ…言ったような言わねえような…。
 でも手紙が届いたってことは言ったんじゃねえの?」
「ああ、人並みの頭をお前に期待した俺が馬鹿だった。
 勝手に行って来い。
 昨日も言ったが女遊びは一人でするもんだ。二日も付き合う気はない」
「あ? 変な奴だな。
 じゃあ俺一人で行って来るぜ」



 起きた所であるのに早々に出かけようとする京梧に雄慶が夕七つまでには帰るようにとしっかりと釘をさした。
 市中の見回りをするのだそうだ。



「まったく、昼日中から遊郭通いとは……ん、どうした、龍斗」

 雄慶は単に呆れているだけだったが、横にいる龍斗の様子は呆れるのとはまた微妙に違っていた。

「三味線の弦の切れぬうちに……か」
「?」
「先程の手紙の文末だ。
 待ちかねている様子を表したのかもしれんがどうも気にかかる」

 しばらくして、腰をあげた。


「ちょっと瓦版屋の女の所に行って来る。
 どうも嫌な予感がする……」
「ん、お杏殿のところに行くのか。
 ならば俺も同道しよう」


 先を行く龍斗を見て、雄慶は首をかしげた。
 京梧の比にならないほどのやる気のなさとものぐさを誇るこの男が、珍しいこともあるものだと。




 杏花が住む長屋に足を踏み入れた途端に、龍斗の表情が苦々しげなものに変わった。
 藍と小鈴がいたのだ。

「これは、藍殿に小鈴殿。
 こんな所で出会うとは奇遇だな」 
「藍がお薬を届けに行くのに付き合ってたんだ。
 ひーちゃんたちは?」

 小鈴の言葉に、思わず雄慶が吹き出す。
 龍斗の表情はさらに険しくなる。

「なんだその呼び名は……」
「え、緋勇だからひーちゃん。親しみやすいでしょ?」
「やめろ」
「いいじゃん、ひーちゃんだって皆のことまともに呼んでないくせに」


 今度は藍までが吹き出した。
 そのとおりである。


「子犬とじゃれ付く趣味はない。行くぞ僧兵」
「ほら、まともに呼ばない」



 と、突然長屋の一室の戸が勢い良く開き杏花が姿を現した。
 龍斗に負けず劣らず不機嫌な顔をしている。



「ちょっと、大声で騒いでるんじゃないわよ!
 寝られやしない…」

 言葉だけでなくいかにも寝起き、といった風体の杏花に驚いたように小鈴が声をあげる。

「……もう、とっくにお昼だよ?」
「明け方まで瓦版刷ってたのよ……ふあぁ」

「ふむ。実はお主を訪ねてここまで来たのだが、出直したほうがいいか?」

 雄慶の言葉に、少し杏花が考える仕草をする。
 ここまで率先してやってきたはずの龍斗はこういうときに何も言わない。


「んー、まあいいわ。
 目も覚めちゃったし、あんた達これからいろいろ情報くれそうだし」

 入りなさい、と手招きされて杏花の部屋に入る。
 ちゃっかりと小鈴と藍もついてくる。


 部屋の中には杏花が明け方まで瓦版を刷っていた、という言葉を裏づけするようにあちこちに瓦版が吊り下げられており、墨の匂いが充満していた。
 この部屋は彼女の住居件作業場らしい。
 もっとも、そのほとんどが作業場と化しておりどうも彼女の生活スペースといえば寝床ぐらいのようだ。
 杏花がその作業場にある唯一の椅子に腰掛ける。

「で、何を聞きたいの?」

 雄慶がちらりと龍斗のほうを見たが
 龍斗は出入り口に一番近い場所で明後日の方向を向いている。
 やはり気分屋だ、と内心ため息をつく。

「ここ最近、江戸周辺で何か変わったことはないだろうか。
 怪異…というか」
「あんたたち、前にもそんなこと言ってたわねえ。
 なんでそんなことに急に興味を持ち始めたの? …まあいいわ」
 
 そういうと、傍らにあった覚書のような冊子を手に取る。
 おそらく瓦版を作るにあたっての下調べに使っているのだろう。


「ここ最近に起きた変わった事といえば、
 つい最近小石川の井上という屋敷の主が変死したこととか」

 一瞬、龍斗以外の全員が反応する。

「数日前の夜に町外れにある龍泉寺って寺から恐ろしい哭き声が聴こえたとか」

「それって藍たちが……」

 思わず声をあげた小鈴の口をいち早く龍斗が塞ぐ。
 京梧の口の軽いのにも閉口したがこいつの口の軽さも同等だ。
 まったく、時諏佐は人選を誤っている。
 別に龍閃組の存在が発覚して彼らが困ろうと全く興味はないのだが今杏花に尻尾を掴まれれば今以上に面倒に巻き込まれることは想像に難くない。

「何、あんたたち何か知ってるの?」

 案の定、杏花の目の色が変わる。

「いや、今俺たちが間借りしているのがその龍泉寺でな……」
「え、あそこは幽霊寺ってここいらでは有名なのよ?」
「外目には古くてそんな風に見えるかもしれないけれど、中は案外綺麗なのよ」
「綺麗、ねえ……」

 場をとりなそうとしている雄慶と藍が横槍を入れる龍斗を軽く睨み付ける。


「それよりも」

 龍斗が話題を強制的に中断した。


「吉原に関する話は、ないか?」



「吉原の話?
 ……ああ、そういえばあったわね」

 杏花が手にもっていた冊子を何枚かめくる。

「遊郭の中に幽霊が出るって話。
 もっとも流石のあたしも吉原に入ることはできないからこれは吉原にいった客から聞いたんだけどね」

 誰もいないはずの部屋から三味線の音が聴こえたり、
 女郎が壁の向こうに姿を消したりするのに何人もの者が遭遇したそうなのである。


「……三味線……」
「吉原か。蓬莱寺が今しがた向かっている筈だな。
 何かに巻き込まれていなければいいが……」
「あたしとしては巻き込まれてくれているほうが記事になっていんだけど」

 無責任に杏花が言い放つ。


「すまんな、情報感謝する」

 それだけいうと早々に龍斗が部屋を出る。
 杏花は単にまた情報があれば教えてくれ、とだけ言って見送ったが
 他の連中は付き合いが長くないとはいえ龍斗が礼を言ったということに少なからず驚いていた。
 龍斗としては別に意味のある言葉ではなかったのだが。


「吉原に幽霊か……」
「別に目新しい話ではないがな。
 あんな場所は人の怨念が集まって当然だ」



 身内に売り飛ばされ、あの狭い空間から逃げ出すことも適わず男の相手をする為に残りの一生を捧ぐことになる。
 出ることができるのは死んだときか身請けをされたときのみ。
 遊郭は、華やかな牢獄である。



「に、しても困ったわね。
 吉原には私たち女は入ることができないわ」
「え、そうなの?」
「遊女が一般の女に紛れて抜けることを防止するためだ。
 ちなみに、当然だが俺のような僧侶も入ることはできん。
 ……龍斗と京梧だけに任せるというのも、なあ……」

 雄慶としてはこの二人に任せて果たしてきちんと仕事をしてくれるのかどうか甚だ疑問であるらしい。


「失礼。
 この様な狭い通路で固まっていられるといささか邪魔ではないか?」

 突然、背後から声をかけられて振り向くとそこにいたのは一人の女性であった。
 ただ、袴姿で腰には二刀を帯びている。
 髪を三つ編みにまとめ、その顔はいかにも勝気そうで、上からものを見るのに慣れきってしまっている者のそれであった。

「ああ、これは失礼」
「あ!、ひょっとして桧神美冬さん?」

 小鈴の言葉に女剣士が軽く目線を上げる。

「いかにもその通りだが」
「小鈴殿、知り合いか?」
「知らないの? 臥龍館の桧神って言ったらここらへんでも相当強いって有名な……」


 小鈴の言葉で龍斗も思い出した。
 確か京梧が手合わせしてみたいといっていた剣士の一人に桧神という名前が確かにあった。
 女性にえらく人気があるとは聞いていたが、まさか本人も女性であるとは。
 あの時の話し振りからしておそらく京梧も知らないのであろう。


「ほう、女だてらに。見事なものだな」

 感嘆して何気なく呟いた雄慶の言葉に美冬の片眉が上がった。
 龍斗はその様子を見て嘲笑うように口角を上げる。
 得てしてこのような人種は矜持ばかりが高い。

「御坊、無礼なことをおっしゃる」
「え、何か無礼なことを言ってしまったか?」
「自覚もないとは……仏道も地に落ちたものだな」

 大げさにため息をつく。
 まだ心当たりがないらしい雄慶が慌てて取り繕おうとする。
 が、この場合は火に油のようなものだ。

「わが道場は女だ男だという卑小なことで評価をしたりはしない。
 常に強いものが上に立つ道理だ。
 女だてらに、などと軽々しく口にするそなたたち男こそ
 男だてらに軟弱な輩が多すぎるのではないか」

 矢継ぎ早に言われ、雄慶が目を白黒させながらしどろもどろに謝罪をする。
 これでは軟弱といわれても仕方がない。
 龍斗が声をあげて笑う。
 それを見て当然のように美冬の怒りの矛先は龍斗へと向かう。

「何がおかしい!」
「いやご高説確かに拝聴いたしました。
 その続きはあんたに実力が伴ってからまた聞くこととしようか」
「そなた、愚弄するか!」

 思わず、腰の刀に手が伸びる。
 が、よくよく見れば相手は無手である。
 ここで刀を抜くのは卑怯ではないか。

「本音を口にしたまでだ。
 人の言葉尻を一々気にするのは余裕がない証拠。
 ……そうだ、俺の知り合いの田舎剣士が一人あんたと勝負をしたがっていたな。
 いずれまた会う日もあるだろう。そのときにその高い鼻が折れてしまわぬようにせいぜい精進することだ」

 そういうと、背を向けて長屋を後にする。
 美冬がまだ背後で何か言っていたような気もするが、軽く聞き流す。



「龍斗、今のは言いすぎなのではないか?
 そもそもは拙僧が悪かったのだし……」

 気がかりそうに雄慶が背後を振り返る。
 追いかけてくるほど美冬も暇ではないのだろう。その姿はもうない。


「別に庇いだてしたつもりはない。
 思うところを言ったまでだが?」
「…本当にお主は狂犬のようだな……」

 誰彼かまわず噛み付く。
 言い得て妙だ、と龍斗は軽く笑った。




 ふ、とその笑い声がとまる。




「どうした?」

 そう問うた雄慶もまた龍斗の視線の先を見て言葉を噤む。
 何か話していた小鈴と藍にも、それは目に入った。




 道端に立つ女。
 大ぶりの簪をいくつも挿し、派手な柄の着物を襟元を大きく開けて身につけている。
 袖口からのぞくその襦袢の色は、赤。



 すぐに背を向けて歩いて行ってしまったが、確かに今の女の顔は……。




「後を追うぞ」



 表情を一変させた龍斗は女の消えた曲がり角を駆けていった。 




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