山間に櫻の白が目立つ。 もう春である。 そんな周りの景色を愛でるでもなく、またわき目も振らず足を進めるでもなくただ惰性のように歩きつづける一人の男がいた。 おそらく、今日中には江戸へたどり着くだろう。 そう思いながらその男、―――名を緋勇龍斗という―――は何気なく顔を上げ、そして顔を顰めた。 「……血の匂いがする。 あの爺、何をおれに押し付ける気だ……」 それは、一月近く前までさかのぼる。 高僧円空に呼び出された龍斗は突然の命を受けた。 曰く、今すぐ江戸へ行け、と。 「何をたくらんでいる?」 そう訊ねた龍斗に、円空は何も、と平然と答えた。 ただ、江戸へ行けばお前の求めるものがあるだろう、と。 「お客さん!」 突然かけられた声に龍斗は回想を中断し目蓋を開いた。 人心地つくために入った茶屋である。 ……どうやら、熟睡か、もしくは行き倒れと勘違いされたらしい。 龍斗が行倒れではないことを確認した店主の親爺はそのまま最近の世間に関して愚痴を言い始めた。 鬱陶しいことこの上ない。 龍斗がまともに相手をする気がないことを見て取った親爺は店に居座るつもりなら注文をしろ、と言い渡して去っていった。 やっと開放された、と思う間もなく再び、今度は別の方向から違う声がかけられる。 「あの、どこか具合でも悪いんですか?」 女だ。しかも若い。 酔狂なのか度を越した御節介なのか。どちらにしてもいい迷惑である。 「別に」 はっきりと意識して無愛想に接したのに女は引こうとしない。 なんでも内藤新宿の診療所で手伝いをしているらしい。 「どこも悪くないのに診てもらう必要はない。 こんな薄暗い茶屋の中で顔色が悪く見えても、それは気のせいだろう」 「そうかしら……あ、私、美里藍と言います。あなたのお名前は?」 「答える義理はない」 「でも、このままじゃあなたの事、なんて呼んだらいいかわからないわ」 ……しつこい。 しばらくの問答の末根負けしたのは龍斗だった。 「緋勇。緋勇龍斗だ」 「緋勇さん、ね。 やっぱり顔色がよくないからこの漢方薬を……」 「ここで会ったばかりの素性もわからん輩からもらったものを口にするほど世間に疎くはないんでな。お断りする」 「……そう。それじゃあ私と一緒に内藤新宿の診療所で診てもらった方が……」 「何ともないといっているだろうが!」 思わず声を荒げた龍斗に、ちょうど茶を持ってきた店の少女が小さな悲鳴を上げる。 そこまで言って、やっと藍は龍斗を診療所へ連れていくことを諦めたようだ。 「おー、怖い怖い」 今度は男の声だ。 武士、浪人か。 腰に刀を一本だけ差している。 少なからず、龍斗はげんなりした。今日は厄日らしい。 「緋勇、だっけ? 俺は蓬莱寺京悟だ。あんたも江戸にいくのかい?」 「盗み聞きとはいい趣味だな」 龍斗の言葉にも京悟はどこ吹く風である。 自分も江戸へいくということからその理由まで聞いてもいないのに話続ける。 剣の腕を試すために上京、よくある話である。 しかし話の最中に店に入ってきた浪人三人に反応した当たり、見込みはあるといったところか。 どうでも良いような話をしていると、藍が席を立った。 浪人衆の目線が不自然に動く。 と、突然京悟が一緒に立ちあがった。 「なあ、あんたも内藤新宿へ行くんだろう? だったら旅は道連れ、一緒に行こうぜ」 「え、ええ……、私はかまいませんが」 戸惑う藍を余所に上機嫌で代金を払うと京悟はともに茶店を出た。 半ば無理矢理に龍斗まで引き連れて。 「……で、どうして俺まで巻き込んだ」 茶店を出て少ししたところで龍斗は立ち止まった。 すこし開けた道。 人通りはあまり多くはない。 「さっきも言っただろ? 旅は道連れってな」 「そこの仁医の娘の護衛をするつもりはない」 「あぁ、やっぱりお前も気がついてたか。 一目惚れにしても随分熱心すぎるしな」 そう言って、振りかえる。 視線の先には先ほどの浪人三人。 「面倒事に首を突っ込むのは貴様の趣味か、山猿」 「ま、軽い準備運動ってところだ。 あんたがどうしても嫌ってんなら一人でもいいぜ?」 と、いいながら明らかに嬉々とした様子で刀を構える。 龍斗は、一つ、溜息をつく。 「無関係だ、と言っても聞きいれてはくれないみたいだな……」 そう言う間に浪人の一人が振りかざした刀を左手にした篭手で受ける。 そのまま右から鳩尾に一発。あっさり相手はその場に沈み込む。 「なんだ、あっけねぇ」 「まだ次があるようだぞ。よかったな」 無感動に答える龍斗に、京悟は振りかえった。 反応する間もなく一撃を食らい、その手に持った刀が弾き飛ばされる。 孤を描いて宙に待った刀は、少し離れた地面に突き刺さる。 それを行ったのは、一人の僧だった。 まだ、若い。 余裕ある仕草で手に持った槍を京悟の喉元につきつける。 明かに先ほどまでの男たちとは腕も風格も違う。 しかし彼が口にした言葉は理解不能のものだった。 「一つ、教えておいてあげよう。 鬼は菩薩眼の娘を追っている。護るつもりならその傍を離れんことだ」 「……何の事だ?」 「……てめぇ、何もんだ……!」 僧は、軽く笑うと槍を京悟から放した。同時に、自分自身も身を遠ざける。 「九桐尚雲。縁があればまた会うこともあるだろう。じゃ」 それだけを言うと、そのまま姿を消す。 謎だけを残したままで。 成程確かに江戸では何かが起きているらしい。 高見の見物、というわけにはどうもいかなそうだ……。 〜第二話へ続く〜 戻る SS総合入り口へ戻る |