第ニ話 妖變




 内藤新宿へ到達したときには既に暮れ六つ、日も落ちた後であった。


「さて、まずは宿でも探すか、緋勇」
「……何故貴様と行動を供にする必要がある」
「いいじゃん別に。別れる必要もねぇって」


 あげく家の方向が同じだとかで美里までついてくる。
 鬱陶しいことこの上ない。
 さっさと宿を決めて寝てしまうに限る、と龍斗は歩を早めた。


 と、反対側から歩いてきた女と軽く衝突する。


「ああ、すまない、大丈夫かい?」

 娘、というには少し年をとりすぎているが造作の整った女だ。
 そのくせ、思想を語る志士のような目をしているのが印象に残る。


「生憎と女と軽くぶつかった程度でどうにか成る程軟弱ではないつもりだ」
「そうかい、そりゃよかった」


 女は龍斗と京梧を一瞥する。
「あんた達、江戸の人間じゃないね?」
「わかるかい? つい先刻着いたところで宿を探してるんだ」
「江戸じゃ今怪異が相次いでるって知らないのかい?」

 そう言うと、一枚の紙を差し出す。瓦版だ。
 ちらりと眺めた京梧があきれたような声を出す。
「……なんだこりゃ。瓦版じゃなくてお伽草子じゃねぇか」
「そう思うだろう? だけど、それが今の江戸さ。
 おかしな事ばかりが起きて、皆鬼の影におびえている。
 戦目当てか、報奨金目当てか知らないが、長生きしたければ早々に江戸を出るんだね」


 女の言葉に龍斗は答えず、代わりに薄く笑う。
 立ち去り間際、女はふと訊ねた。



「あんたは、鬼は本当にいると思うかい?」
「いるさ」


 龍斗の返答は、横にいた京梧、藍にも意外なものだった。



「いるが、それは人だ。
 人という生き物が最も恐ろしく、禍禍しい。……そうじゃないか?」




 結局、気をそがれたのか宿を探すのは腹ごしらえをしてからにしようと京梧が主張しはじめ、藍もそれに同道し、必然的にそれに付き合わされた龍斗も、近くの蕎麦屋に入ることになった。

「腕試しと言って、江戸でさし当たって何をする?」
「そうだなぁ、とりあえず、そこいらの有名どころの道場でも尋ねてみようかと思ってる。
 良かったら緋勇、お前もつきあわねぇか?」
「看板を集める趣味はない」
「あっそ」


 酒を傾けながらとりとめない話をしていると、突然、悲鳴が上がった。
 続いて男の声。


「鬼だ! 鬼が出たぞ!」


 その声に、京梧は思わず立ちあがったが、店の中にいた他の客は、何も聞いていないような振りをしている。


「成程、江戸の人は鬼に良く慣れている」
「お客さんも悪い事は言わない。
 命が惜しけりゃ妙な野次馬根性はださずに中でじっとしているのが賢いやり方だよ」
「悪いが親爺、俺はちょっと鬼とやらを拝んでくるぜ。ほい、お代!」

 京梧は手早く店主に代金を払うと刀を握り締め外へ飛び出す。
 その後を龍斗がゆっくり立ちあがり、やはり、店主に代金を払って外へと出ていった。


「俺も田舎者でね。
 鬼というのを一度は拝んでおくよ」


 外に飛び出した龍斗達の目に入ったのは地に倒れ伏す一人の男とその傍に立つ数人の男であった。
 顔には、鬼の面。
 龍斗達に気がつくと塀の上へと移動する。


「しっかりしてください!」


 背後の声に振り向くと、いつのまにかついてきていた藍が倒れていた男に声をかけている。
 一瞥しただけでも傷は深い。おそらく助からないであろう程度には。

「危険を犯してわざわざついてくるとは、さすがは仁医の娘だ」

 龍斗の皮肉も耳に入らない様子で、藍は男の体勢を楽にさせている。
 何事か呟いている言葉は、励ましの言葉ではなかった。
 異変に気がついたのはその時だ。



「この川が流れていくところはどこでも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる」


 藍の身体から何かがあふれる。微かな燐光。


「この水が入ると、そこの水が良くなるからである。
 この水の入るところでは、すべてのものが生きる」


 痙攣していた男の体がしだいに落ちついて行く。


「主よ、どうか、この者を救い給え。
 そして、どうかその傷を癒し給え」


 やがて、微かだった男の呼吸が緩やかに整い出す。



「……こりゃあ……」
 思わず京梧が声を漏らしたが、彼女の力を見たのは二人だけではなかった。
 立ち去りかけた鬼面の連中が引き返してきたのだ。
 狙いなどわかりきっている。藍だ。


「そなた、切支丹か。
 思い出せ、迫害の歴史を、幕府に復讐するのだ!」

 藍の腕を掴もうとしたが、一瞬京梧のほうが早かった。
 その先に回りこみ、刀を構える。
 反対側からきた手勢はその場から動いてさえいない龍斗が軽く殴りつけた。


「緋勇の言う通り、鬼は人……か。
 じゃあその御尊顔でも拝ませてもらおうか」

 ことごとくを地に伏せさせた後、京梧がその一人の面に手を伸ばそうとした途端、煙幕が張られた。
 当たり一面が白く濁り、視界が遮られる。


「うわっ……! なんだ、これ!」
「馬鹿が!」

 咄嗟に龍斗は目が慣れる前に傍にいた藍の腕をつかむ。
 すぐに視界は開けてきたが、はっきりと周囲を認識できるようになった時には当然鬼面の男たちの姿は影もなかった。


「ちっ、逃げられたか」
「あ、あの……」

 もの言いたげな藍に、京梧は簡単に言い放った。

「安心しな。俺はあんたの使った力なんかに興味はねぇよ。
 ……たとえそれが、切支丹の妖術だったとしてもな、あんたもそうだろ? 緋勇」
「……」

 龍斗の沈黙を、京梧は肯定と受け取った。
 実際には、興味がないということに関しては肯定ではなかったのだが。
 彼女が切支丹であると言うことには、興味はない。
 が。



 あの力は、切支丹の力では、ない。



 深く沈み込みそうな思考から無理に自分を引き戻す。
 今はそれを考えるときではない。


「後を追うか?」
「は? どこいったかわかるのかよ」
「血の跡がある」


 龍斗の言葉に、よくよく見ると、地面に点々と血痕が見える。
 夜道のこんな小さな痕跡に良く気がつくものだと内心舌を巻きながら京梧はその跡を追っていくこととした。
 これだけの怪我をしているのだ。そう遠くへは逃げられまい。



 しばらく血痕を追っていくと、たどり着いたのは古い寺であった。

「いかにもああいう奴らが潜んでいそうな場所だな、おい」
 そう軽口を叩いた京梧が、背後に立てられた物音に、警戒しつつ振りかえる。
 そこにいたのは、一人の僧侶であった。


「今日はよくよく坊主に縁のある日だな」
 投げやりに龍斗が呟く。
 日中に出会った九桐と言う僧侶も、今目の前にいる僧侶もかなり鍛え上げた体格をしている。
 ただ違うのは九桐はしなやかな柳のような感覚を覚えるのに対し、目の前にいる僧侶は巌のような重厚さを感じさせた。


「おい、あんた、鬼面の男がこっちに来なかったか?」
「さあ、拙僧も今こっちへ来たばかりだからな。
 ああ、……あれ、か?」

 僧侶が指差した方向へ振りかえると、確かにそこにいたのは鬼面の男だった。


「へっ、見つけたぜ?」

 そう言って近づこうとした京梧だったが、不意にその足を止めた。
 様子がおかしい。



……目醒めよ……



 低いうなり声を上げ、男の身体が膨れ上がったと思うと、目の前にいたのは、鬼面でもなんでもなく紛れもない、鬼であった。
 通常では有り得ない色の皮膚。
 鋭い牙。
 そして、頭から見える角。


「どういうことだぁ……?」
「どうやら、それを追求している暇はなさそうですぞ」

 そう言って僧が構える。
 その言葉通り鬼はこちらへ向かって襲いかかってきた。
 咄嗟にかわす。
 その速さ、そしておそらく力も先ほどまでとは比べ物にならない。

「流石、やるじゃねぇか……」

 呟くと、剣を構えなおす。
 京梧にもまだまだ余裕がある。
 と、なると勝負は見えた。


 僧が正面から蹴りを入れたところへ京梧の刀が鬼の身体を薙ぐ。
 それだけで、鬼はそのまま崩れ落ちた。

「これで、とどめだ!」


「止めて!」


 京梧が刀を振りかざしたそのとき、藍が制止に入った。

「もう、この鬼は動けないわ。殺してしまうことはないでしょう?」
「何言ってるんだ。こいつがこのまま助かったらまた何をしでかすかわかったもんじゃないぞ」
「それでも、傷ついて動けないものにとどめを刺してしまっては貴方も、鬼と同じではないのですか?」


「阿呆」


 と、今まで黙っていた龍斗がぽつりと言った。

「さすが、仁医の娘は慈悲深いお考えをお持ちでいらっしゃる。
 今、ここで鬼にかける情けはお持ちでも、この鬼の傷が快癒したときに再び凶刃に倒れる誰かのことは頭にない。
 さしずめ傷ついた狼を逃がして村に放つようなものだ」
「……私は……っ!」
「違う、とでも言うのか?
 世間はお嬢様の考えるほど善良でも清廉でもない。
 ただお前は自分の目の前で殺生が行われるのを見たくないだけだ」
「私は……そんなつもりは……」


 そう言うと、藍は唇を噛んで黙り込んだ。
 悔しい。しかし、反論する術を持たない。


 その場に漂った沈黙を破ったのは、僧であった。


「そのぐらいにしておくが良かろう。
 それに……とどめを刺す必要は、ない」


「何故だ?」
「見ろ」


 鬼の周りに瘴気のようなものが見えたかと思うと叫び声と供に鬼の身体は弾け飛ぶように霧散し、消えた。
 そこには、はじめから何もなかったかのように、なんの痕跡も残さず。



「……どういうことなんだ? こりゃ……」 
「拙僧にも確かなことは言えぬが、陰の気に押しつぶされたのであろう」
「陰陽五行の陰か」
「左様。
 この世の全てのものは陰陽の均衡によって成り立っている。
 その均衡を崩せば先ほどの鬼のように尋常ならざる力を手に入れることも出きるが、長くはもたぬ。
 やがて陰の気に押しつぶされ、このように消滅することになる」
「良く知っているじゃないか。」


 突然、背後から藍とは違う女の声。
 振り向いた彼らの眼前にいたのは先ほどであった妙齢の女であった。

「あんた……さっきの」
「時諏佐先生でいらっしゃいますか?」

 僧は驚いた様子もなく女の前に頭を垂れた。

「円空殿の申しつけにより高野山より参りました、醍醐の雄慶と申します。
 先生のお力になるようにと」
「円空殿の、…そうかい」
「なんだ? おまえら知り合いなのか?」


 頓狂な声をあげた京梧に、雄慶は妙な顔をした。
「お前達もそうではなかったのか?
 こんなところにいるから俺はてっきりそうなのかと……」


「あんた、何者だ?」


 京梧の問いに、時諏佐と呼ばれた女は軽く微笑んだ。

「答えてもいいが、あんた達深みに入ることになるよ。
 それでもいいのかい?」
「おうよ! お前も知りたいよな、緋勇?」
「いや、俺は面倒ごとには関わる気はない」

 しかし京梧も時諏佐も龍斗の意見は端から聞いていない。



「このところ江戸におきている怪異を秘密裏に解決して江戸の治安を護るよういいつけられた……公儀隠密だよ」



 公儀隠密、この言葉に京梧はのけぞり、龍斗は溜息をついた。

「知ったからにはあんた達にも協力してもらうからね。
 ……聞かなきゃ良かったと、思っているだろう?」

 楽しげに言った時諏佐に、京梧は頭を抱えている。
 龍斗は、


「はじめから聞く気はなかったんだが。
 …やはり、踊らされるか……」


 最後の呟きは誰かに向けた言葉なのか、それとも独り言なのか。
 それは誰の耳に入ることもなかった。




〜第参話へ続く〜

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あとがき

ふふふ……どんどん長くなるよ……(自棄)。
前回よりは楽にキャラクターを動かせたので良しとします。毒舌絶好調ですし。
気を抜くと名前を出すのを忘れるので注意要です(爆)。