ガタン、と音をたてて電車が不意に減速した。 次の駅にはまだ距離があるのに。 千石の胸によぎった嫌な予感は直後車内に流れたアナウンスが確定させた。 『恐れ入りますが前の電車で乗客の方のトラブルが発生しました関係で只今この電車は待機させていただいております。 御乗車のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが何卒ご容赦願います』 なんだってまたこんな日に。 慌てて携帯を取りだし、巴に遅れる旨の連絡をしようとしたが、メール画面を開く前に携帯には別の画面が映し出される。 《充電してください》 嘘でしょ。 思わず天を仰ぐ。 昨日携帯サイトを覗いたあと充電をしなかったけどいつの間にそんなにバッテリーが弱くなっていたのか。 どうしようもないので、ため息をつきつつ用を成さなくなった携帯をカバンにしまいこみジリジリとしながら電車が再び動くのを待つ。 今、何時なんだろうなぁ。 とりあえずわかるのは絶対遅刻って事だけなんだけど。 元々電車がスムーズに動いていてもギリギリだったのだ。 普段の千石ならそんな事はあり得ない。 多少交通機関のトラブルがあったとしても影響ないくらいの時間の余裕を持つ。 巴との約束で彼女を待たせたことなんてない。 それが今日に限ってギリギリなのは、目覚ましが遅れていたからだ。 こちらも電池が切れかけていたのだろう。 慌てて家を出たので、格好も適当、頭は寝癖でハネている。 電車の中で直せないかと少し格闘してみたが、すぐに諦めた。 深くため息をつく。 我知らず苛立ちから右足を小刻みに動かしてしまう。 あー、ホントにツイてない。 日頃ラッキーを自認している身にはあり得ない不運だ。 昨晩携帯サイトで見た占いも良くなかった。 今日はそんなものを見る余裕もなかった。 巴ちゃん、怒ってるかなぁ。 ……まさか変なヤツにナンパされたりしてないよね。 自分が自分なだけに心配になる。 初めて会った時より絶対今の方が彼女は可愛い。もちろん最初から可愛いかったけど。 なんていうか、女の子っぽくなった。 それは単に最初に会った時が合宿中だったからって事もあるんだけど。 あんな可愛い子が一人でいたら声かけちゃうでしょ。 ヤバい。段々不安になってきた。 車内で千石がどんなに焦ろうと、電車は中々動く気配がない。 あー、なんで今日に限って外で待ち合わせなんかにしちゃったかな。 どっかの店内とかにしてればまだ安心だったのに。 何気なく窓の外を見て、空の暗さにぎょっとする。 これひょっとしたら降るんじゃないの? 『お待たせいたしました。只今より運転再開いたします』 止まった時と同様に、ゆっくりと電車が動き出す。 同時に、千石が懸念していたように窓ガラスにポツリポツリと細かい雨粒が落ちる。 最悪だ。 やっと目的地に電車が到達すると、自動ドアが開ききらぬ前に千石はホームに飛び出した。 全力疾走で改札を通り抜け、約束の場所にたどり着くと、折り畳みの傘を広げてそこに立っていた巴が驚いたようにこちらをみる。 「赤月さん、ごめん!」 とりもなおさず頭を下げると、その上に傘を差しかけられた。 顔をあげると巴が少し困ったような顔で笑う。 「いいから、早く屋根のあるところに移動しましょう? 千石さん、それ以上濡れたら風邪引いちゃいますよ」 大急ぎで家を出たので、当然傘も持っていない。 息を切らせて、寝癖でハネた頭で。 格好悪い事この上ない。 自己嫌悪に陥りそうだ。 折り畳みの小さな傘は、二人で差すには少し足りない。 巴から傘を受け取ると彼女に気付かれない程度に傘を向こうに差しかける。 近場のファーストフード店に入り、腰を落ち着けたところでしどろもどろに言い訳を開始した。 「それは、大変でしたねえ」 オレンジジュース(当然千石のおごりである)を飲みながら巴が相槌を打つ。 そう、大変だったと返答しそうになる。 それは自分のせいで雨の中待たされた巴に言うことではない。 「……」 「? どうかしましたか?」 「いや、赤月さん、初めから怒ってなかったなと思って」 そうだ。 何の連絡もなく待たされて、あげく雨にまで降られたのに、巴が発した第一声は千石を気づかう言葉だった。 怒って当然なのに。 「だって、千石さんはいつも私より先に待ち合わせにきてくれてるし、遅れそうな時は絶対連絡をくれるじゃないですか」 「だから」 だから、今日はそれをしなかったのに。 「はい、『だから』絶対何か理由があるんだろうな、って。 心配だったから顔見て安心しました」 なんと言葉を返していいものやら分からない千石に、巴は何を思いついたのか、向かいに座る千石の左手を取った。 「ちょっと失礼」 「え?」 千石の手を、それより一回り小さい巴の両手が包み込む。 そのまま額に当て、ぎゅっと力強く握り締めた。 「はい、これで大丈夫です!」 「……は?」 訳がわからない千石に、巴はにっこりと笑う。 「今まで千石さんにいっぱいもらってるラッキーをちょっと返しました。 だから、きっともう大丈夫です」 何の根拠もない言葉。 だけどその笑顔に釣られて千石も笑った。 「ありがとう、赤月さん。 でも、キミがいるだけでもう俺にはラッキーだよ」 「あはは、そういう軽口がでるようになったらもう大丈夫ですね」 あっさりと流される。 本気の言葉なんだけど、どうも彼女にはイマイチ信用がない。 かすかに苦笑を浮かべる千石の視線の先で、不意に外へ目をやった巴の顔が明るくなる。 「あ、もうあっちの方の空は明るいですよ。 これだったら予定通り午後はテニスできそうですね!」 ガラスの向こうを巴が指差した。 千石の手から巴の両手が離れる。 残念、と少し思う。 彼女の指が指し示す方向は、確かにもう晴れ間が見えていた。 |