つい先日までの暑さが若干マシになり、風に微かな冷たさを感じるようになったら、もう夏は終わり、秋である。 全国大会という大きなイベントと共に、3年の最後の夏も終わる。 「や、ちょっと、いいかな?」 そんなことを言って千石が巴を呼び出したのは、そんな秋の初めの休日だった。 「どうかしました?」 テニスコートを眺めていると、巴が千石の方を向いて首を傾げる。 大会が終わってまだ間がない。 激戦を制した青学のレギュラーである彼女を急に呼び出したのは千石だ。 彼らしくもなく女の子とろくに話もしないでぼーっとコートを眺めていたら不審に思われても仕方がない。 「え? ああ、ゴメンね。 ……ねえ赤月さん、うちさ、昨日で引退だったんだ」 山吹ではどの段階でも夏の大会が終わった時点で3年は引退する。 早ければ地区大会で、早すぎる夏が終る。 それを思うと全国まで引退を伸ばせたのは上出来といえる。 「そうだったんですか。……で、なにか心残りなんですか?」 いきなりの巴の言葉に目をぱちくりとさせる。 千石は引退と言っただけだ。 それなのになんで「お疲れ様」等のねぎらいの言葉ではなく「心残り」なんて言い出すのか彼女は。 「え、あれ、私なんか見当違いのコト言っちゃいました? すいません!」 「いや、違う違う。じゃない、あってる。 何も言ってないのに通じてたからびっくりしただけ」 慌てて頭を下げようとするのを千石が押しとどめる。 そう、驚いた。 以心伝心なんてものが通じるほど巴と千石は親しくない。 もちろん、親しくしたい思いはあるのだが実際の所は今日呼び出しに応じてくれた事に内心驚いた程度の関係である。 「なんとなく思っただけなんです。 ですけど、なんだか単に寂しいとかいう感じじゃないなあ、って」 鋭いのか聡いのか。お見通しというヤツだ。 千石は苦笑すると軽く肩をすくめた。 「そうなんだよね。心残りなんて偉そうなもんでもないんだけど、なーんか、ね……」 この夏、千石は都大会関東大会と肝心な所で敗北を喫した。しかも、双方とも2年相手に、である。 自分が弱い選手だとは思わない。 去年Jr.選抜に選出されている自負だってある。 実力だけでいえば彼らより自分の方が上だと、そう今だって思っている。 だけど、負けたのは自分の方だった。 手を抜いたつもりも、気を抜いたつもりもない。 自分の限界ギリギリまでの勝負をしたつもりだ。 だけどそれは所詮つもりだったのかもしれない。 そして、桃城や神尾はそれこそ限界を越えた勝負をしたからこそ勝ったのだ。 そんな思いがあの後、頭の片隅にこびりついたまま、消えてくれない。 「全国で敗退が決定した時さ、俺、泣けなかったんだよね。 逆に室町くんをからかったりする余裕もあったりさ。 それって、全力を出し切ってなかったのかな、無意識に余力を残していたから悔しくなかったのかな、って思っちゃってさ」 バカみたいだ。 今更、何を思ったって、過去は変らない。 過ぎ去った夏は、もう戻らない。 なのにこんな風にどうしようもない繰言を口にする自分は本当にバカみたいだ。 しかも、それを、言っても仕方のない事を彼女に話してどうしようと言うんだろう。 年下の、まさに今一歩を踏み出したばかりの彼女に。 コートには、周囲の木々からセミの声が響き渡っている。 ツクツクホウシの声に混ざって、まだアブラゼミの鳴き声もする。 もう、千石にとっては夏は終っているのに。 「……私、千石さんの最後の試合、見てましたよ」 「え」 巴の言葉に、我に返る。 黙って千石の話を聞いていた巴が、少し怒ったような顔で千石を見上げていた。 情けない愚痴をこぼしている自分に苛立ちを覚えたのかもしれない。 そう思ったのだけど、巴の口から出たのは別の言葉だった。 「泣いてないから悲しくない、悔しくないなんてこと、絶対にないです! だって、千石さん、試合の後笑ってたけど、寂しそうでしたよ。……泣いているんだな、って思ったくらいに」 虚を付かれて言葉を失う。 悔しくなかったなんて、嘘だ。 あの後、他校の試合を見て何度も思った。 コートに立っているのが自分だったら。 どうして、今自分は観客席にいるんだろう、と。 白線の中で繰り広げられる熱戦と、ただ座ってそれを眺めているだけの自分。 その耐え難いほどの距離。 もっと、もっとコートの上に居たかった。 全国に数多あるテニス部の中から、全国大会に出場できる学校はほんの一部。 その一部に残れただけでも幸運なことだったのかもしれない。 けれど、内心では望んでいた。 そのほんの一部の中のさらに唯一の、頂点に立つ事を。 格好付けて隠していた本音。 あまりに上手に隠し続けていたせいで、自分自身でも見えなくなっていた本当の気持ち。 「……うん。そうだね」 格好悪い。 苦笑いして頷くと、気まずそうに巴が首を振る。 「いえ、あの、すいません、なんかわかった風にエラそうに言っちゃって」 「いやいや、そんなことないよ。ありがとう」 なんとなく、巴なら知ってくれるかと思ったからこんな風にらしくもない繰言を聞かせたのだ。 年下でテニス経験も浅い、千石との付き合いさえ薄い彼女に。 きっと、知って欲しかったんだ。 「ねえ、赤月さん。俺キミと試合がしてみたいな」 「え!? 千石さんと対戦ですか?」 「そうじゃなくて。キミとペアを組んで一緒に試合をしてみたい。 コートの上でキミと組んだらどんなテニスが出来るのか知りたい。 ……ねえ、いつか、俺と一緒にテニスをしてくれる? 山吹の選手の割には、それほどダブルスは得意でもないんだけど」 「はい! じゃあ約束ですね!」 そう言って、巴が小指を差し出したので、指切りをして約束をした。 その機会、千石にとって二度目の、そして巴にとっては初のJr.選抜選出が告げられるのは完全に夏の名残も消えた、これから数ヵ月後のことだった。 |