「あれ、まーた寝てる」 うたた寝をしている巴を見つけて、思わず千石の口からそんな言葉が飛び出す。 一緒に練習の約束をして。 なのに時間になってもコートに現れない巴を不審に思って捜しに来て見たらこれだ。 彼女がいたのは待ち合わせの場所からさほど離れていない木陰。 察するに早く到着してしまってここで休んでいるうちに眠り込んでしまったというところだろうか。 初めて会った時もうたた寝している彼女を見つけたところからだった。 なんだろう。 よっぽど自分は彼女の寝顔に縁があるのかな、なんてことを考える。 ……それにしても。 「まあ、無防備な寝顔しちゃって」 こんなんじゃ狼に狙ってくださいと言わんばかりの羊じゃないの? なんて事を思う、狼の筆頭。 あまりに幸せそうな顔をして眠っているのですぐに起こしてしまうのには忍びなく、ゆっくり彼女の横に腰を下ろす。 しかし、本当によく眠っている。 ふ、と千石の脳裏に嘗て自分が言った言葉が蘇る。 キスしても、目を醒まさないんじゃない? 目の前には熟睡している巴。 いやいやいや、いくらなんでもそれは! あの時も冗談で言ったんだし。 だいたい彼女もさすがにそんな事をされれば起きるって言ってたし。 でも。 本当に? 起きちゃったら絶対に軽蔑されるだろうからやらないけど。 でも、本当にキスしたら起きるのかな。 ちょっと考えた末に、唇の代わりに人差し指を彼女の唇にそっと当ててみる。 左手の人差し指に触れた彼女の唇の感触に、心臓が飛び出るくらいに緊張する。 ここまで動揺するんだったらキスしちゃっても同じだったかも、なんて思ってしまうくらいに。 姫君は、目を醒まさない。 目は醒まさなかったが、何故か寝顔が笑顔になった。 …………。 ……………………。 別に彼女に意識があってやっていることじゃないのはわかってるけど。 そーいう顔を見せられると、その……非常に困る。 そんな幸せそうな顔で、どんな夢を見てるんだか。 カタチのない物にまで、嫉妬したくないんだけどねぇ。 「巴ちゃん、巴ちゃん」 「ん……?」 「ほーら、そろそろ起きないと、練習する時間、なくなっちゃうよ?」 「…………!」 その言葉に一気に目を醒ました巴が慌てて身を起こす。 横を見ると、そこには楽しそうな顔をした千石。 約束の時間にはまだ間があるから、って日向ぼっこをしているうちに、眠っちゃってたんだ。 あげく寝顔を千石に見られるなんて……恥かしい……。 ……って、さっきまで見てた夢は確か……まさか。 「あ、あの、千石さん」 「ん? なに?」 「私、何か寝言とかなんて言ってなかったですよね?」 必死の形相で言う巴に、千石が答える。 「うん、寝言は何も言ってなかったよ。 ラッキーだったね? もし誰かの名前なんて寝言で言ってたら大変な事になってたよ〜?」 大変な事? 確かに恥かしいけど、大変な事とまでは言わないんじゃ……? そんな疑問を巴が顔に浮かべていると、千石はいつもの人懐こい笑みを浮かべた。 「俺以外の誰かの名前なんて聞いちゃったら、俺はキミに何しでかしてたかわかんないよ?」 冗談半分、でも後の半分はバッチリ本気の千石。 何しでかすって、何をするんだろう、とイマイチ判っていない巴。 そしてちょっと心に浮かんだ疑問をそのまま巴は口にした。 「あのー、もし、もしですよ? 寝言で言った名前が千石さんだった場合は……?」 言ってしまってから後悔した。 千石の笑みが、イタズラっぽいそれに変わる。 「そりゃもう、 そんなの聞いちゃったら理性が飛んじゃって何するかわかんないなぁ」 聞くんじゃなかった。 それじゃ、どっちにせよおんなじなんじゃ。 赤い顔のまま勢いよく立ち上がって傍らに置いてあったラケットを手にする。 「ごめんなさい、お待たせしまして。さあ、練習始めましょう、千石さん! もう絶っ対に千石さんと待ち合わせしてうたた寝なんてしませんから! ええ、絶対!」 そう言うとズカズカとコートの方に向かって歩いていく。 さっきまで大人しく眠ってたのが嘘みたいだなー、なんて事を思って千石は苦笑しながら彼女の背中を追いかける。 まあ、うたた寝をしていなくても、キケンがないとは言いがたいんだけど。 |