恋する台詞

「あなたの事、好きになってればよかった」






 昨日、今日。そして明日。

 やっていることはさほど変わらない。
 学校に行き、放課後は部活に打ち込んで、家に帰る。
 家での行動だって毎日そんなに起伏のあるもんじゃない。
 そうやって同じような一日を繰り返して、それが一週間になり、一ヶ月になり、一年になる。


 なのに、少しずつ何かが変化していく。


 昨日と今日で同じものなんて何一つない。
 小さな変化は中々目に入らないから、気が付いた時には大きな違いになって現れる。




 毎日練習に打ち込むのだってそうだ。
 一朝一夕に上達するわけじゃない。
 日々の小さな積み重ねが次第に形になっていく。

 けれど、変わっていくのはいい方向とは限らない。
 徐々に何かが壊れていくことだってあるだろう。






 ―――そう、例えば人の気持ちも―――






「ほら」

 南が投げ渡したスポーツドリンクの缶を多少慌てながら、巴が受け取る。
 それほど勢い良く投げたわけではないので、落ち着いて取ればなんでもないはずなのに、わたわたと両手で缶を躍らせた。


 Jr.選抜合宿で知り合ってから、たまにこうやって一緒に練習をするようになってしばらくになる。
 いつも体中から元気を振りまいているような印象のある彼女が、今日はなにやらずっと上の空だ。
 今も浮かない顔で缶のフタにツメをかけるが、気がそれているのか、カチカチと空すべりさせている。


「……あ、お金払ってませんでしたね」


 やっとプルトップを開け一口中身を口にしたところで慌てたように巴が言う。


「別にいいよ、それぐらいおごってやる。……けど、今日はどうかしたのか?」

「へ?」
「ちょっとおかしいぞ」


 そう言いながらも、巴がおかしくなる理由なんて二つしか南には思い当たらない。
 一つはテニス。
 そして、もう一つは。



「……亜久津と、何かあったとか」



 これである。
 山吹で南と同じくテニス部に所属していた亜久津は、現在アメリカである。
 ひところの彼をしる南としては今の真面目にテニスに取り組んでいる亜久津が正直意外でならないが、かの地では投げ出すこともなくテニスに打ち込んでいるらしい。
 まあそれも目の前にいる巴からの情報であるが。
 テニスに亜久津を引き戻したのも、巴である。
 と、いうよりも巴がいるから、亜久津は一度離れたテニスの世界に再び戻ってきたのだろう。


 余計なことに口を突っ込んでしまっているな、と発した言葉を直後に後悔しはじめている南に、巴は抑揚のない声で答えた。


「何も、ないですよ」


 ならいいんだけれど、といいかけた南だったが、その後に続いた巴の台詞は南の思っているのとは逆方向の言葉だった。



「なーんにも、ないんです。
 電話だってまず来ないし、春に一度写真だけの手紙が来たっきりだし。
 いつまでこんな一方通行が続くのかなー、って思っちゃっただけで……アメリカは、遠すぎますよね……」



 何かがあったのではなく、何もないのが辛いのだ。
 そんなことは、きっと分かっていた。
 ただその事前予想以上に距離が遠すぎただけで。


 そうして黙り込んでしまった巴に、南もなんと言っていいのかわからず、ただ黙って隣に座っていた。
 そういう相談事に徹底的に自分は向いていない。
 何を言っても無神経になってしまいそうで、結局場を濁すようにスポーツドリンクの缶を口元に運ぶ。





 巴が再び口を開いたのは南が手に持っていたスポーツドリンクを全て飲み干してしまい、さらにその残った缶を手慰みにベコベコに潰し始めていた頃だった。


「すいません、変なこと言っちゃって」
「いや、別に」



 謝られても、何もしていないので困る。
 ほんの少しだけでも本音を洩らしたことで、巴の気が晴れたならいいのだけれど。
 こういうとき、千石だったらもう少しなんとかなったのだろうな、と思う。


 空になった缶を捨てに行くべく立ち上がると、ぼそりと小さな声で巴が呟いた。





「南さんの事、好きになってればよかった」





「赤月」

 振り返り思わず上げた声に、咎めるような調子が含まれていなかったとは言い切れない。


 口にしたつもりはなかったのだろう、巴ははっとしたように顔をあげると、羞恥と狼狽の入り混じった泣きそうな顔をした。
 やはり、南はなんて言っていいものかわからない。


「ご、ごめんなさい!
 私やっぱり今日ちょっとおかしいみたいです。帰ります!」


 そういうと、大慌てでラケットケースを肩に抱え、頭をさげて逃げるように駆け去った。






『で、俺にどうしろって?』

 受話器の向こうで千石が言う。

「亜久津の連絡先、お前なら知ってるだろ? 教えてくれないか」
『……それ知ってどうすんの?』


 連絡先は連絡を取るから知りたいのだ。
 それ以外に目的なんかない。


『そうじゃなくって。余計なことしないほうがいいんじゃないの?』
「そうかもしれないな」
『っていうかさ。南はそれでいいわけ?』


 千石の言いたいことくらいはわかる。
 けれど。


「……赤月と一緒に練習をしていると、必ずと言っていいくらい亜久津の話題がでるんだよ」
『は?』
「大抵、他愛のない話なんだけど、いつも楽しそうでさ。
 それ見てると、俺もちょっといい気分になれるんだ。いつも」



 その、楽しそうな巴を見るのが好きだ。
 だから、それを壊してしまいたくない。
 壊れてしまうのを黙って見ているのが嫌だ。

 余計なことだなんて事はわかっている。
 だけどこれは自分のためだ。



 距離に負けてしまいそうな彼女につけいったとしても、きっとあの笑顔は手に入らない。
 きっと後悔する。
 悔恨の種を植え付けるような真似はしたくない。



『はぁ〜、損な性分だね。南』
「ほっとけ」
『……けどまあ、南らしいか。俺が女だったら南にほれてるかもよ?』
「やめろ、気持ち悪い」
『南くんヒドイ!』


 気味の悪い裏声を出す千石に、南は思わず吹き出した。
 亜久津のアメリカでの連絡先を教えてもらい、電話を切る。



 損な性分、か。そうかもしれない。

 時が経てば、全ては変わってしまう。
 けれど、変わらないものがひとつくらいあってもいい。







   数週間後、再び一緒に行った練習で南は前と変わらない、いや、より元気に笑う巴を見て、この後に続く話に初めて知ったような顔をして相槌を打った。



 けれど、こんな事をするのは二人が遠く離れているからだ。
 もし近い将来、物理的距離は元に戻っても巴と亜久津の心の距離が離れるような事があったとしたら、その時は仲人役をしてやるつもりは毛頭ない。

 そんなことは、誰にも言うつもりはないけれど。










アンケート結果
南  22票
不二 17票

一騎打ちでした。

こういうお題=アメリカ留学組。うわぁ安直!
書き始めは千石はいなくて、かわりに亜久津がいました。
私南はただ単なるいい人じゃなくてしたたかさも持っている人だと思ってます。

2009.4.20

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