唐突に、眠りの淵から引きずりだされ、財前は布団から左手を伸ばした。 携帯が鳴っている。 一瞬アラームかと思ったが今日は休日だ。 それにアラームとは設定しているメロディも違う。 部活もない今日は駄眠をむさぼるつもりで昨晩は夜更かししていた。 別に早いというほどの時間じゃないが、自分で目を覚ますのと誰かに叩き起こされるのとは雲泥の差だ。 苛立ちをそのままに、着信相手を確認もせず(まだまぶたも開ききっていない)財前は不機嫌に通話ボタンを押した。 「……はい」 「おはようございます、財前さん! いきなりですけど今日時間取れますか? ちょっとだけでいいんで。 あ、申し遅れました。赤月です」 「…………!?」 滔々と流れるような言葉に一瞬セールスの電話かと思ったが、相手が誰だかわかった途端、目が覚めた。 しかしまだ回りきっていない頭では状況を理解するのに数秒要する。 「もしもし、もしもーし、財前さん、聞こえてますかー?」 その数秒間の間も待てない巴が、携帯の向こうで急かすように呼びかけてくる。 聞こえるどころか、むしろ声がデカイ。 「聞こえてる。 不意付かれただけや」 「良かった、もしかしたら寝てるのかと」 「……起きとるわ」 寝起きではあるが。 思わず、巴に見えるわけでもないのに寝癖を手で直す。 ついでに往生際悪くくるまっていた布団から這い出すと傍らに置いていた部屋着を肩にひっかけ、布団の上に座った。 「で、なんの用」 「ですから、今日時間ありますか? あ、ちょっとだけでいいんですけど。 本当に、ちょっとで」 「……なんか用があるんやったら今言うたらええやん」 「そうじゃなくてですね。 直接会えないかな、って話ですよ」 「は?」 直接? 『ちょっとだけ』の時間で会いにいけるほど近くに彼女は住んでいない。 と、いう事は。どういうことか。 「やっぱり無理ですか。急ですもんね」 自己完結しようとする巴を慌て遮る。 「そうじゃなくて。 自分、今どこにおんねん!?」 「梅田です」 まるでそれが当たり前のように巴から地元の地名が飛び出した。 思わず時計を確認する。 「早やない? いつからおるねん、こっちに」 「今朝ですよ。 昨日の夜に向こうを出て、さっき大阪についたところです」 夜行バスか。 確かに一番安く東京大阪間を行き来できるが。 「つーか、前もって言うとけや」 「いやあ、財前さん驚くかな、と思いまして。驚きました?」 「そら驚くわ!」 連休でも春休みでもないのに大阪にいるなんて思うはずがない。 腹立たしいくらいに行動を把握させない。 「けど、なんでいきなり」 「財前さん、今日はなんの日かわかってます?」 逆に問い返され、カレンダーを見る。 今日。第二土曜日。 いや、違う。 今日は。 「バレンタイン……」 「正解ー! 賞品はチョコですっ!」 楽しそうな巴の声。 と、いうことは。 「目的て、それ?」 「はい」 「尚更、おらんかったらどうするつもりやってん」 「その時は、まあ、四天宝寺の誰か一人くらいは捕まるかなぁ、と。 そうしたら言付けてもらおうと」 それは、高確率でチョコレートどころか巴が来ていた事実すら財前のところに届かない。 危ないことこの上ない。 「……もうひとつ、聞きたいんやけど」 「はい、なんですか?」 「それって俺にだけ?」 期待しすぎてガッカリするのを警戒しつつ、一番知りたいことを訊く。 「はい、もちろん」 「……受け取って欲しい?」 「受け取って欲しいから、持ってきたんですよ」 さっきまでのはしゃいだ声から、巴の声が若干緊張を含んだものに変わる。 そりゃまあ、伊達や酔狂で連絡してくるには距離が遠すぎる。 それでも、相手が相手だけに確認を入れたくなるのはしょうがない。 しかし、電話を引き伸ばしているのは自分だけど、それにそろそろ財前は苛立ち始めている。 なんで、今コイツと電話なんかしてんのや、俺は。 「そんなら、条件がある」 「条件?」 「絶対に、他の先輩らに連絡せえへんこと。ええな!」 それだけ言うと、彼女のいる場所を確認して早々に電話を切る。 すぐそばにいるのに、携帯越しに声を聞くなんてばかげている。 彼女がここにいる時間は有限なのに。 チョコレートを受け取ったら、きっとずっとこんな風に振り回されて、イラついたり慌てたりするハメになるんだろう。 けどまあ、正直今もそんなに変わらない。 たまの電話だけでも、充分引っ掻き回されてる。 そんな見えない感情に、カタチを与えてくれるのなら、それはそれで悪くないのかもしれない。 今までの人生最速のスピードで身支度を済ませると、財前は駆け足で家を出た。 少し浮き足立った気分でいることには、自分でも一応気が付いていた。 そして、欲しい物はチョコレートよりも、多分二人でいられる時間。 |