ひとつ深呼吸をして、携帯の通話ボタンを押す。 何度繰り返しても慣れない。 繋がるまで緊張しっぱなしだ。 とはいえ、繋がるまでそれほど時間がかかるわけではない。 巴が電話をかける時間は大体決まっているせいもあるのかもしれないが、今日もコール三回を待たずに携帯の向こうから声が届く。 「はい」 「こんばんは、白石さん。 赤月ですけど、今大丈夫ですか?」 「こんばんは。勿論ええよ」 携帯電話なのだから、電話を受ける前に液晶表示でかけているのが誰かなど分かりきっているのだけど、毎回同じように巴は名前を名乗る。 習い性になってしまっているのだが、それだけでなく、いつも同じセリフを言うことで緊張を解きほぐせているような気もする。 かくして、今日も巴は同じセリフを繰り返し、白石はそれに関して何か言うでもなく同じように受け入れる。 大丈夫、という回答をもらってやっと少し安心する。 本題に入るといっても中身なんてあってないようなものだ。 学校での話、部活での話、世間話。 とりとめなく話は続く。初めの緊張などどこへやら、である。 また、白石は話を聞くのが巧い。 絶妙のタイミングで相づちを打ち、次の話題に繋がるような話の運びかたをする。 結果、 「あ、すいません。 一人で喋り倒しで」 と、なることもよくある事である。 なんとなくはしゃいで喋っている自分が子供だなぁ、と恥ずかしく思う瞬間だ。 正確にははしゃいでいるというより、浮かれている。 話の内容はどうでも、白石と話すという事が特別なのだ。 こうして電話をかけるのは毎日ではないが、迷惑かな、とも思う。けれど滅多に会えないのだ。勘弁して欲しい。 巴の言葉に、苦笑混じりの返事を返す。 「いや、気にせんでええよ。 巴の話聞くん好きやし」 正確には“聴く”である。 勿論話も聞いているが、それ以上に巴の声を聴いている。 日常の何気ない話、部活での出来事。 その話題の中に頻繁に青学の男子選手、特に巴のパートナーの名前が出てくるのが全く気にならないと言えば嘘になるが、まあ致し方ない。 とりとめなく話す彼女の口調はトーンが上がったり下がったりと目まぐるしく変化する。きっと表情も同様にくるくると変わっているんだろう。 そして、隠し事は元来苦手なんだろう。 何か押し隠そうとしている時も声ですぐわかる。 だからその小さな変化を逃さないように、白石は巴の話を“聴く”。 基本的に電話をかけるのは巴の方だ。 毎日ではないが、かかってくる時間は大体決まっているので、その時間帯は大抵自室にいるようになった。 こんな風にして、二人の付き合いは続いている。 実際会った事など数える程しかない。 これを男女交際と言えるかといえば、首をかしげられる率の方が高そうだ。 実際、きつくないのかと言うとそんなはずはない。 好きだから付き合っているのである。好きな相手に会いたくない筈がない。 会いたいと思った時に会えない距離は、虚勢を張れるほど容易いものではない。 けれど、近くのすぐに触れられる誰かよりも、こうして声だけを届けてくれる巴がいいのだからしょうがない。 「……ああ、もうこんな時間やな」 少し前から気が付いていたくせに、今初めて時計を見たかのようなセリフを白石が吐くと、電話の向こうの巴の声のトーンが少し下がる。 楽しい時間というのは夢中になればなるほどあっという間に過ぎてしまう。 そして、最終的に必ずどちらか片方がその終わりを宣告しなければならない。 気付かない振りでずるずると引き延ばしても、幕引きは避けられないのだから。 「長々とすいませんでした。それじゃ……」 「ちょい待ち」 電話を切ろうとする巴を引き止める。 自分から時間の終わりを告げてしまうと、どうも切り上げたがっているような印象がぬぐえない。 「? なんですか?」 「ちょっと言い忘れ」 言い忘れも何も、元々巴からかかってきた電話なのだが。 まあそんな事はどうでもいい。 伝えたい事があるという事実は事実なのだから。 「好きやで、巴」 さらりと言うと、携帯の向こう側で一瞬沈黙が走り、すぐにそれは動揺しまくった声に変わる。 「な、ななななななんですかいきなり!」 「なんでて、電話やと態度で示すんは限界あるから」 「ふっ、不意打ちは卑怯です! こっちにも心の準備ってものが……!」 若干支離滅裂の抗議が少し続いたあと、急に携帯の向こうの声が小さくなる。 「…………私も、好きですよ。それじゃ! おやすみなさい!」 耳を澄ませた瞬間にコレだ。 言うと同時に乱暴に電話が切れた。 それこそこちらが『おやすみ』いう間もなく。 とりあえず、しょんぼりとした幕切れにはならなかったのだけど、と言いそびれたメールと打ちながら白石は思う。 挨拶どおりに眠りには、まだしばらくつけそうもない。 |