「……もし、もしですよ、今……すぐ会いたいって言ったら……」 思いもかけない巴の言葉に、白石は珍しく返答に詰まった。 いや、正確には違う。 思いもかけなかったんじゃない。 こう言われたら困るな。 そう思っていた言葉を告げられたからだ。 「んー……」 意味を示さない返答を返す白石に、はっと息を呑むような反応が受話器越しに伝わった。 きっと、何か考えて口にした言葉ではなかったんだろう。 何気なく、何の気なしに口から出てしまった言葉。 「あ、いや、すいません、冗談です! 忘れてください!」 せわしなく巴が電話を切る。 もともと用事らしい用事があっての電話じゃない。 通話を終了するのは簡単だった。 携帯電話をぼんやりと眺めながら、白石はため息をつく。 まずった。 白石の躊躇は確実に巴に伝わっていた。 『じゃあ、会いに行くわ』 そう言えない自分を嫌悪する。 こんな時、例えば金太郎だったら簡単に言ってしまうのだろう。 そして、電話を切った直後それを実行に移す。 彼のようになりたい訳では全然全くないのだけれど、時々その直情さが羨ましい。 白石には、無理だ。 大阪から東京への距離、時間、費用。 『今すぐ』が不可能な事を知っているし、行動にも移せない。 来いだなんて、もっと言えない。 窓際の壁にもたれかかり、顔を上げると、住宅街の屋根の隙間に夜空が見える。 この間、部活帰りに随分と星が綺麗だった夜、ふと思い立って東京の天気を調べてみたことがある。 東京の天気は、雨だった。 天気の話すら共有出来ない。 新幹線でたかだか三時間。 交通の便だって他の地域に比べてずっと いい。 けれど、やはり中学生の白石にとっては気軽に行ける場所じゃない。 そう、気軽に行けるような距離じゃない。 だけど。 腰を上げ、財布と通帳の残高を確認する。 気軽なんかじゃない。 今日の巴は、初めから様子がおかしかった。 彼女だって、大阪がそれほど近い場所じゃないことなんてわかりすぎる程に分かってる。 それでも、口をついて出た言葉。 普段一緒にいられない。 会いたい時も会えはしない。 それでも、会いたい。 普段話す相手なら学校にいくらでもいる。 テニスの練習相手だって、少なくないだろう。 けれどそれとは別に、会いたい相手。 巴は思わせ振りな事は言わない。 泣いて困らせるようなことも言わない。 その彼女がぽつりと洩らした本音に応えられないんだったら、自分は無価値だ。 携帯を鳴らす。 予想どおり、素晴らしい速さで巴に繋がった。 「あ、巴?」 「あの、本当にさっきのは嘘ですからね! 冗談!」 「巴」 「真に受けたりしたら、ダメですよ!」 「いや、巴」 「私、白石さんに会いたいとか、寂しいとかそんなこと全然思ってないですから! ええ、ぜんっぜん!」 「……巴、そこまで完膚なきまでに否定されると傷つくねんけど」 電話に出ると同時に早口でまくしたてる巴の間を縫ってからかい半分、本音半分の口をはさむ。 「え? ……あ、いえ、その、そういうつもりじゃなくて、あの、でも」 弁解をしてよいものやら悪いものやら分からなくなってきた巴が混乱しているのが手に取るようにわかって、こらえきれず白石は吹き出した。 「ぷっ……、はは、あはははは!」 「ちょ、なんですか急に!」 いきなり笑いだした白石に、電話の向こうで巴が怒ったような声を出しているのが聞こえるが、一旦出てきた笑いの発作は簡単には収まらない。 むせるように咳き込んで無理矢理に笑いを引っ込める。 「悪い悪い。 ……ところで巴、今週末って空いとる?」 「へ? 予定はないですけど……、って、白石さん、まさか」 「うん、そのまま予定空けといてくれへん? そっち行くわ」 白石がそう告げると、沈黙が走った。 絶句しているのだろうか。 呆れているのだろうか。 電話は顔が見えないから、簡単に不安を煽られる。 「だ……だから、言ってるじゃないですか! さっきのは冗談だって!」 耳に密着させていた携帯から悲鳴に近いような大声が響き渡る。 油断していたので耳に衝撃が大きい。 「巴、トーンダウントーンダウン。耳痛い」 「だって……私が変なこと言っちゃったから……あんなこと、言うつもりなかったんです、本当に」 若干声を小さくしながら、同じ言葉ばかりを繰り返す。 目の前にいたら、泣きそうになっている巴を笑って慰めてやれるのに。 声はこんなに近いのに、体だけが遠い。 「……巴、ちゃうって」 「え?」 「俺が、巴に会いたい。今すぐ。 だから会いに行く。……アカンかな」 静かに告げた、掛け値なしの本音。 財政的にも、スケジュール的にも、厳しくないと言えばウソになる。 だから、本当だけを口にする。 「白石さん」 「ん?」 「さっきの、訂正します」 さっきの、とはどのことなのか。 答えはすぐに白石の耳に届いた。 「私、寂しいです。 白石さんに、会いたいです。 だから、私が行ってもいいですか?」 その後、二人でひとしきりどちらが向かうのか、いやいっそ名古屋か浜松にすればいいとか、それだと却って交通費がかかるとか、そんなことでもめることになるのだが、そんな言い争いは、ひどく、楽しいものだった。 |