「巴? チョコ届いたで。ありがとうな」 「あ、いえ……大したものじゃないですけど」 金太郎ほど鈍くはないにせよ、白石ほど気は回らない。 そこは自覚している。 だから気を付けているつもりが、ついうっかりとその『兆候』を謙也は見逃してしまっていたのだ。 少し前までは春なんて暦だけのこと、と言わんばかりの気候だったのだけど、ここ一週間ほどで急に春を感じさせる気温になった。 冬物のコートももう必要ない。 目一杯テニスをしたあとでは尚更だ。むしろ暑いくらいである。 謙也が一緒にテニスをしていた相手は勿論、巴である。 休みを利用して東京にやってくるのはこれで何回目だろうか。……残念ながら、数えきれないというほど多くはない。 なにせ遠い。 それに加えてお互い部活に忙しい。夏休みだって大会があるから予定が空けられない。 しかも……彼氏彼女の仲でもないのだから。 この状況でよく諦めないものだと周囲には呆れを通り越して最近は尊敬の念すら抱かれている節がある。 正直なところ自分でもそう思う。 両想いでもこの遠距離は厳しいだろうに。 しかし一度フラれているのに。 とはいっても気持ちなんて理屈で何とかなるものではないのだからしょうがない。 ちらりと横に座っている巴を見る。 やはり彼女も暑いようで流れる汗をぬぐいながらスポーツドリンクを勢いよく飲んでいる。 普段はこうやって会っても一緒にテニスをして話をして別れるだけだ。 その現状で満足かと言われると困るがそれさえ失われてしまうのはもっと困る。 巴に誰か好きな奴がおるとかそういうんやったら諦めもついたんかもしれへんねんけどなぁ、などと考えていたら目が合った。 「……どうかしました?」 「いや、別に……あ、そうや」 慌てて首を横に振りかけて、ふと思い直す。 バッグの中からプレゼントの包みを取り出し努めて平静を装いつつ渡した。 「ホワイトデーのお返し」 「…………」 巴が若干微妙な表情を浮かべた。 自分は今おかしなことをいっただろうか? バレンタインにチョコレートをもらったお返しをするのは別段おかしなことではない。……たとえ、それが義理チョコでも。 と、巴が口を開いた。 「この間からひょっとしたらと思ってたんですけど……」 「え、なに?」 「謙也さん、こないだ送ったチョコ、開けてないんじゃないですか?」 ぎく。 「え、な、なんで?」 「答えてください。開けてませんね?」 ぎくぎく。 さっきぬぐったばかりの汗が一気に身体中から吹き出す。 なんとか取り繕おうとしたが、巴がこちらを凝視している状態では言い逃れもできない。 「いや、あの、堪忍や! 悪気はないねん!」 「やっぱり! おかしいと思ったんですよ! いらないんならそう言ってくださいよ!」 「いる! いるっちゅーねん! 開けてへんだけで家にはある! これにはちょっと事情が!」 「どんな事情があったらそういうことになるんですか!」 「それは言えへん!」 こんなに巴を怒らせたのは初めてだ。 平身低頭謝るが、それだけは絶対に言えない。 理由も言わずただ頭を下げるばかりの謙也に巴の怒りは一向に収まる様子を見せない。 「本っ当、信じられませんよ! 人がやっと覚悟決めて……!」 「え」 口を滑らしたとばかりにぴたりと巴が口を閉じる。 しかし一度出た言葉は取り戻せない。 『覚悟』ってなんや『覚悟』って。 「ちょお待って、あのチョコレートの箱、なんか入ってたん?」 「……し、知りません!」 「いやいやいや、知らんわけないやん!」 「家にあるんだったら帰ってから見たらいいじゃないですか!」 確かに巴の言うことももっともなのかもしれない。 すぐに中を見なかった自分が悪い。 けれど。 「家帰ってからやったらまたしばらく巴には会われへんやん」 「…………」 「もし、もし俺の期待してるようなもんなんやったらお願いやから今聞かせて。今、巴の口から」 余裕もへったくれもなく頼み込む。 両手を合わせて拝むようにして頭を下げる謙也に、巴はそっぽを向きながら「謙也さんずるいです」と赤い顔で呟くように言った。 そして、意を決したようにこちらに向き直る。 小さな、本当に小さな声で告げられた言葉。 それと同じ言葉を書いたカードはチョコレートの箱に入ったまま、永久保存されるべく謙也の家の冷凍庫の中で眠っている。 |