八月。 激戦の続いた全国大会も残すところあと決勝のみである。 地方から来ている四天宝寺は準決勝で既に敗退しているとはいえ、夏休み中でもあるので滞在しての観戦を決め込んでいる。 「なんやここんとこ謙也暗ない?」 「あ、白石さん、あんま忍足先輩にかまわん方がええですよ」 横から口を挟んできた財前に白石がけげんな顔を向ける。 「フラれたんやって」 財前ではなく、反対側から小春が声を潜めて言う。 潜めて、と言っても丸聞こえのレベルなので怨めしげに謙也が睨み付けているが、当然意に介す様子は皆無である。 「あー、それは……」 なんと言っていいものやら。 いらんこと聞いた、と思っている白石に、千歳と石田は何も聞いていない振りを決め込んだ。 しかし、気を使ってくれるだけ白石はマシである。 「え、ほんま!? ってケンヤそれこっちの子? せやったらメッチャ早いんちゃうん!」 興味津々で会話に乱入してくる金太郎は容赦ない。 悪気がないだけにある意味財前よりタチが悪い。 「さすが浪速のスピードスター。面目躍如ですやん」 ……前言撤回。どっちもどっち。 言葉の刃が痛い。 「やかましわ……」 言い返す口調にも覇気がない。 「なんや、ほんまに落ち込んどるな」 「ダメージ、デカかったみたいやな」 だから、丸聞こえやって。 「で、誰なん相手」 こういう時にアッサリと皆が訊きたくても黙ってることを聞いてしまう空気の読めなさは金太郎最大の武器である。 ほんま勘弁してくれ。 「ちょ、金ちゃん、そのへんにしたり」 「えー、なんでぇ。 白石も知りたいんちゃうん」 事実図星であろうが白石はさすがにそこで肯定はしない。 「青学の赤月」 いきなりの言葉に全員が声の方を見る。 発信源は一氏。 「……ちゃうかった?」 「…………」 ピンポイントを突かれて咄嗟に返す言葉を持たない。 この沈黙は、肯定と同じだ。 挙げ句、 「あ、やっぱり」 「ひねりないですねー、忍足先輩」 この反応は何事か。 「いや、だってそれしかないやん」 「いかにもやんなぁ」 そんなに自分の好みは分かりやすいのだろうか。 軽く自己嫌悪する。 もっとも、謙也とて会った瞬間からいきなり惚れたわけではないのだけど。 準決勝のオーダー変更を告げられた時謙也がに思ったのは「ああ、やっぱり」と、それだけだった。 ある程度予想されていたとは言え、この苦境を乗り越えようと思うのならば千歳を担ぎ出すしかない。 それくらいは、わかっていた。 けど、それは理性だけの話であって、感情はまた別だ。 選手ん中で、一番最初に切り捨てられんのは、俺か。 わかってることやけど、やりきれんこと。 そんなことで頭が一杯になっていたので、そこに青学の一年ミクスド選手、巴が通りがかったことには、気がついてはいても、気にもしなかった。 どうでもよかったのだ。 ただ、すぐに四天宝寺のベンチには戻りたくなくて、しばらくそこに佇んでいると、巴がもう一度こちらに走ってくるのが見えた。 そのまま通り過ぎるのかと思いきや、予想外にこちらへと歩を進めてくる。 誰かと口を聞くような気分でもなかったので素知らぬ振りを決め込んだ謙也の鼻先に、いきなり何かが突き付けられた。 なんや、……フルーツ牛乳? まさしくフルーツ牛乳だ。 明るい黄色の紙パックを差し出しているのは当然巴だが、その意図が謙也にはさっぱりわからない。 「……良かったら、どうぞ」 そう言って、そのままフルーツ牛乳を謙也に押し付けた。 そしてそのまま再び駆けて行く。 呆然とそれを見送っていると、くるりとこちらを振り返った。 「もうすぐ、試合、始まりますよ!」 毒気を抜かれるとはこの事だ。 いきなりやってきてわけのわからない事をして去っていく。 手にフルーツ牛乳を握っていなかったら夢かと思ったかもしれない。 ずっと握りしめていてもしょうがないので、とりあえずストローの袋を破り、一口、口に含む。 甘い。 もう随分こんなもん飲んでへん。 季節柄、清涼飲料水なら一気飲みしただろうがフルーツ牛乳ではそんな気にもならない。 格別美味いとも思われなかったが、パックが空になる頃に、不思議と気が落ち着いていることに謙也は気付いた。 現状が何か変わった訳でもないけれど、さっきまでの嵐のように荒れ狂っていたどうしようもない感情は、凪いでいる。 そこでやっと、巴は自分を気遣ってくれていたのだということに思い至った。 そんなに、落ち込んだ姿を見せていたのだろうか、と自問する。 「けど、なんでフルーツ牛乳やねん」 一人呟くと、空になったパックを握り潰して手近なゴミ箱に投げた。 それだけ。 ただそれだけのなんでもない出来事。 謙也だってそう思っていた。 試合後、巴の姿を見つけて声をかけた時も、ただ礼を言うだけのつもりだった。 わけがわからないなりに、役には立ったので。 しかし、謙也の姿を認めた巴が 「あ、元気そうですね。よかった」 と、笑顔を見せた瞬間、謙也の頭の中からは言うつもりだった言葉は全て消え失せ、代わりに口から出たのは 「俺とつきあわへん?」 という、自分でもバカだとしか思えない性急なセリフだった。 「え、あ、あの、……え?」 いきなりのセリフを理解すると同時に顔を真っ赤にして動揺をあらわにした巴だったけれど、その断り文句はちゃんと言葉を選んだものだった。 「え、えーっと、ありがとうございます。 けど、私全然忍足さんのこと知らないし、お付き合いとかそういうのは、ムリです。 すいませんっ!」 そういうと、逃げるように青学選手の元に走って行った。 なんにも知らない。 そりゃそうだ。 けど。 「俺は、それだけで充分やってんけどな……」 ほんのちっぽけな気づかい。 何も知らなくても、それだけ知っていれば充分だと。 「自分がよかならそれでよかたい。 そぎゃんことなかか?」 つぶやくように言った言葉を耳聡く捉えた千歳が、ぽつりとそういうと、唇の端だけを吊り上げて笑った。 つられて、謙也も微かな笑みを返す。 そうだ。 それで十分だ。 「赤月!」 試合を終えた後、掛けられた声に振り返った巴が謙也の姿を認めて一瞬戸惑うような表情を見せる。 構わず、彼女の側まで駆け寄った。 「優勝、おめでとう」 「あ、ありがとう……ございます」 ぺこり、と頭を下げる。 巴が頭を上げると、目の前に携帯電話が差し出されていた。 「アドレス、教えてくれへんかな」 「へ?」 「俺のことなんも知らん、言うんやったら知って欲しい、っちゅーこと。 誰か好きなヤツがおるとかやったらしゃあないけど、そうとちゃうんやったら」 引いたら、本当に終る。 だから、絶対に引いたらへん。 「もうちょい、チャンス、くれへん?」 |