今日も快晴だ。
オーストラリアに着いて数日。初めての海外で時差ボケに悩まされたりもしたが、それも初日だけの事。
今は周りの何もかもが興味深くてしょうがない。
そして、今日は待ちに待ったU-16の大会当日だ。
体調も万全。
気合いも充分。
きっと今日はいい試合が出来る。
そう確信して、巴は元気よくホテルの部屋を出る。
向かった先は彼女のパートナーである手塚の部屋だ。
階を隔てた手塚の部屋のチャイムを鳴らすと、程なくして扉が開き、手塚が顔を見せる。
「おはようございます、手塚先輩!」
「おはよう」
そして二人で朝食に向かう。
毎日、巴が手塚の部屋を訪れる。手塚はいつも彼女を待たせる事なく扉を開く。
準備は多分手塚の方が早いのだと思う。
しかし、手塚は部屋でいつも巴を待っている。
彼から巴を迎えに行く事もしない。
それをした場合、万が一彼女が寝過ごしていたりしたら軽いパニックに陥る可能性をよく知っているからだろう。
ともあれ、それがここ最近のお決まりの朝の光景である。
「いよいよ、今日ですね!」
「そうだな」
もちろん、二人でいるからと言って話が弾む事もない。
一方的に放す巴に手塚が返答を返す。
しかしこれが二人の平常運転である。
「試合までまだかなり時間はある。軽く打つか」
「はい! 是非!」
食後のコーヒーを飲みながら、何気なく言った手塚の言葉に巴が勢い良く返事を返す。
元々一人でも練習しようと思っていたのだ。
あまりに元気良く返答したためか、手塚に『試合前なので軽くだぞ』と念を押された。
一度部屋に戻り、支度を整えて外に出る。
ウォーミングアップを済ませて、ラケットを握るとコートに出る。
国が違えど、コートでやる事は同じだ。
先ほどの言葉どおり、ハードな練習は今日は禁物だ。
「この辺りで止しておくか」
ともすればヒートアップして加減を忘れてしまう巴に手塚が終了を告げる。
軽く打ち合う程度の練習はハードな練習になれた身には若干物足りないくらいだが、すぐに試合会場で思い切り打てる。急く必要はない。
タオルで汗をぬぐい、並んでベンチに腰掛ける。
「もうすぐ、試合なんですねぇ……」
「そうだな」
朝食前とさほど変わらない会話を繰り返す。
「本当に、これが最後の最後なんですよね」
そう、呟いた。
全国大会、Jr.選抜。そしてU−16。
その度「これが手塚と組んで出場できる最後の試合だ」と思っていた。
初めて出場した地区大会の時にはこんなに長くペアを組めるなんて思っても見なかった。
しかし今度こそ本当にもう最後だ。
手塚は卒業し、本格的にアメリカで活動を始めるのだろう。
「赤月」
手塚が、巴の名を呼ぶ。
アメリカに留学した時には受話器越し以外から声を聞くことなんてもうないのかと、そうも考えていた。
その声が紡いだ言葉は巴にとって意外なものだった。
「俺は、お前にとってよいパートナーだっただろうか」
「……はい?」
何を言っているんだろう。
そんな事を思う巴だったが、手塚は大真面目だ。
「ダブルスの経験は俺も少ない。
もっと、経験豊富な選手と組んだ方がお前のためだったのではないかと、時折思う」
ダブルスはお互いの呼吸が大切だが、手塚と巴では初めから長くても一年しか組めなかった。
それならば一、二年の選手と組ませた方が良かったのではないか。
しかも引退と同時に手塚はアメリカに留学したので三月のJr.選抜合宿まで5ヶ月あまり、練習すらともにする事はなかった。
けれど、それでもJr.選抜選手に選ばれて一時帰国した手塚の選んだ道はシングルスでの出場ではなく巴とのミクスド、その一つしか端から存在しなかった。
迷う余地もなく。
らしくもない手塚の弱音とも思える言葉に、巴は彼女にしては珍しく少し考えてから口を開く。
「それは……私の方こそ言いたいんですけど。
手塚先輩、中学最後の一年を私とのミクスドで潰してしまって良かったんですか?
私のせいで、落とさないでいい試合だって負けちゃったことだってあるじゃないですか」
シングルスで全国トップクラスの実力を誇る手塚と組むミクスド。
重圧にならないはずはない。
なんどもくじけそうになった。諦めようとしたことだって一回や二回じゃない。
けれど、そのつど手塚は巴に手を差し伸べ続けてくれた。
そう、アメリカに留学する時だって、人生の重大事なのに、巴に相談して意見を聞いてくれた。
「でも、部長はずっと見捨てないでくれたから……アメリカからだって電話でアドバイスくれたりしたから、私も負けずに頑張ろうって思えたんです」
気を抜くと、つい『部長』という単語が口をついて出る。
一人なら脱落してしまったかもしれない。
けれど、自分を信じてくれている人がいる。
傍にいなくても、向いている方向は同じだと思える。だから、頑張れる。
「いいか悪いかなんて、そんな事を言えるほどえらい人間じゃないですけど、手塚先輩じゃないと、私、きっとここにいません」
「……そうか」
「ありがとうございました」
「礼は必要ない。お前が今、ここでこうしているのは俺の力ではなくお前自身の努力の結果だ」
四角四面の手塚の返答に、巴は苦笑する。
「でも、ミクスドは一人じゃ出来ませんから。やっぱり手塚先輩がいたからですよ。
次一緒にテニスが出来るのは、いつになるかはわかりませんけど……やっぱり、パートナーが手塚先輩で良かったって思いますから」
巴は過去形で感謝の意を述べた。
合宿最終日に、これからもペアを組みたい、そう手塚が言ってくれたのは本当に嬉しかった。
けれどこの大会が終わってしまえば巴は日本に戻り、そして手塚は再びアメリカへ行く。
『次』なんていつくるのか見当もつかない。
だから、きっとこれが一区切り。
そんな巴の思いを知ってか知らずか。
「俺にとって赤月、お前は最高の、そしてただ一人のパートナーだ」
最大の賛辞を手塚は口にした。
最高にして唯一の。
自分は、手塚と同じコートに立つ資格のある選手なのだと。
予想外の言葉に視界が滲みそうになる。
ダメだ。まだ試合前なんだから。泣くのはすべてが終わったあとでいい。
涙を振り払うように勢い良く立ち上がる。
「そろそろ行きましょうか!」
「ああ、そうだな」
促されるようにして立ち上がった手塚がなにげなく巴の方を振り返る。
そしていつもと変わらない口調でこう言った。
「赤月、俺はテニス以外の点でもお前にパートナーであって欲しいと、そう思っている。かまわないだろうか」
「はい! …………え!?」
本当に、本日は快晴だ。
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