土曜夜。
余程の用事がない限り、この時間に手塚は予定をいれることはない。
かと言って、何か行動を起こすわけでもない。
彼は、ただ待機するのみだ。
「手塚先輩、今大丈夫ですか?」
日付変更線と時差を越えて、巴の声が届くのを。
彼女の部活が休みの日曜にたまにかかってくる電話。
その内容は大半がテニスに関するものである。
サーブの成功率が上がった、ドライブボレーがうまく決まらない、等々。
その一つ一つに対し、手塚は有効と思われるアドバイスをする。
本当は、この行為にそれほど意味がないであろうことはわかっている。
口伝てに聞いたところで実際にそのプレイを見ていない以上、真に的確なアドバイスなど出来得る筈もない。
それでも、巴は頻繁に手塚に電話をいれ、手塚は毎週その電話を待つ。
「ありがとうございました!」
「いや、別に構わない。
……ところで、青学の皆は変わりないか」
会話の終わり際、いつも手塚は同じ質問をする。
対して、巴の回答もまた余談が多々入り混じるものの、肯定の答自体は常に変わらない。
「はい、皆頑張ってます。
次の新人戦もバッチリですよ!」
その答えが本当なのかは手塚にはわからない。
たとえ巴が手塚を慮ってごまかしていたとしても、きっと手塚には見破ることはできないだろう。
自分は大石のように気を配ることは出来ないし、不二のように鋭くもない。
顔も見えない電話口でなにかを見抜くことなど出来やしないことは誰より自分が一番よくわかっている。
電話口から聴こえる巴の声は元気がいい。
それなのに、彼女の声を聴いて手塚の脳裏に浮かぶのは、いつも正反対の――涙を堪えるような表情だ。
泣いてしまわないように力をこめているせいで怒っているようにも見える目。
けれど無理に口許には笑みをつくり、明るい声を出す。
出国のその日、最後に見た彼女の顔。
あの表情が今も目に焼き付いて離れない。
「……赤月」
「はい?」
すぐ側にいた時は、ここまで彼女のことを考えていただろうか。
その心情を想ったことがあっただろうか。
後悔なのか、ないものねだりなのか。それは手塚にもわからない。
定型文のような質問の後は大抵会話を終了させてしまう手塚が言葉を継いだので、若干疑問系の様な返答を巴が返す。
何か期待されたのかもしれないが、あいにくと手塚に会話の引き出しはあまり無い。
「頑張っているんだな」
「はい」
普段はまるで繰り返しのような会話に変化が生じた為、様子を窺うように、しかしきっぱりと巴が返事をする。
「だって、手塚先輩が帰ってきた時に胸を張って出迎えたいですから」
自分は自分で強くなる為に全力を尽くしたと、一筋の曇りもなくそう言えるように。
そう、電話の向こうで巴が言う。
耳に届く声はこんなに近いけれど、彼女自身は遥か海の彼方だ。
手を伸ばせば巴に触れることさえ出来そうな気もするのに、それは錯覚に過ぎない。
今は巴の実質的な支えになる事は出来ない。
自分自身で前に進むしかないのだ。巴も、自分も。
「ああ、そうだな。俺も同感だ。
帰国した時にお前に恥じない選手となっていようと思う」
「私に、ですか?」
少し不思議そうな声。
何故自分に、とでも言いたげな口調。
「お前に、だ。
俺がお前のパートナーとしてふさわしくあるように努力しようと思う」
次に会ったときには告げられるのかもしれない。
出発の時には気付けなかったこの想いを。
そうあれば、この目に焼きついた彼女の泣き顔は、笑顔に上書きできるのだろうか。
電話機を耳から放し、そんなことを思った。
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