よく分からない人。
これがリョーマの赤月京四郎に対する印象である。
父、越前南次郎の友人である彼は巴が越前家に居候するようになる前、ひいては越前家がアメリカに居た頃から稀にではあるが父に会いに来ていたような記憶がある。
もっとも、『父親の友人』なんてものは限りなく路傍の石に近い。自分に関わりのない他人である。
従ってリョーマが個人として京四郎を認識したのは巴が来てからの事だ。
巴が来てから京四郎がこの家を訪問してくる頻度も当然ながら増えた。しかし何度顔を合わせても京四郎への評価は変わらないのである。
「ねえ、ちょっといい?」
リョーマの言葉に京四郎は片眉を少し上げる。
リョーマが京四郎に自分から話しかけたのはこれが初めてだ。
と、言うのもリョーマと京四郎が同じ空間にいる時、それは必ず巴もしくは南次郎がその場にいる。
巴がいれば京四郎とは久しぶりの親子の時間なのだろうからわざわざ邪魔をするつもりはないし、南次郎が同席しているということは高確率で京四郎は酔っている。
顔を合わせている割には会話をする機会がないのだ。
なのだが、今日は違った。
京四郎が訪ねてきたとき、折悪しく南次郎は(彼にしては非常に珍しいことに)所用で出かけていた。
巴もスクールに自主練習に向かったところだ。
せめて巴だけでも、と電話してみたが出ない。電源を切っているのかはたまた気が付いていないのか。
なんにせよメールだけはしておいたからおっつけ戻ってくるだろう。
そう思って京四郎を家に上げたが、彼を一人客間に残してじゃあ、と自室に戻るわけにもいかない。
とりあえず茶だけは出した。
お茶の淹れ方なんて知らないから適当に淹れたそれはたいして美味くもないだろうが京四郎は喉でも渇いていたのかちびちびと湯呑を口に運んでいる。
そんなタイミングでの事だった。
「何かな?」
言いながら湯呑をテーブルに置く。
地顔なのかなんなのか、その表情はなにやら笑みを含んでいるような気がするのがリョーマはどうも気にかかる。
認めたくはないが、娘とは正反対にイマイチ感情が読めないこの男の目がリョーマは少し苦手だ。
しかしそんな事を言っていられない。こんなチャンスは早々訪れるとも思えないのだから。
「アンタ、なんで赤月を青学にいれたわけ?」
目の前にいる男も『赤月』ではあるのだがもちろんそんな馬鹿馬鹿しい注釈は入れない。
「赤月はわかってなかったみたいだけど、青学のテニス部にマネージャーがいない事なんてアンタは知ってたんでしょ」
「そう言われても、恩師に『うちのテニス部にくれ』と言われちゃ断るわけにもいかんだろ」
「…………」
巴や南次郎ほど京四郎のことをよく知っているわけではないリョーマであるが、これだけは確信がある。
京四郎は恩師の言葉ひとつで物事を左右されるようなタマではない。
もし万が一そうだとしてもその場合は巴に仔細を言い含めるだろう。実際に行ったようなだまし討ちではなく。
リョーマの非難めいた沈黙に京四郎は一人軽く笑うと再び湯呑を手に取った。
一口茶を口に含む。
「リョーマ君、君は巴の将来の夢の話を聞いたことがあるかな」
「……スポーツドクター、でしょ。アンタと同じ」
聞いたことがあるどころか耳にタコができるレベルだ。
思わず知らず顔をしかめてしまう。
「そう。ずーっと昔からあの子の将来の夢は同じだ。私と同じ道をあの子は歩みたがってる」
「だったら」
猶更どうして青学に入学させてテニス部でプレイヤーとして歩む道を進ませたのか。
「ずっとだよ。
女の子の将来の夢なんて毎日変わったって不思議はない。
けれど、巴の夢は昔からずっと同じだ。私と同じ医者になる、そればかり」
それの何が悪いのかリョーマにはわからない。
自分の娘が親と同じ道を歩もうとするのはうれしい事なんじゃないんだろうか。
「あの子はね、他に何も知らないんだよ。
スポーツドクターになる事しか考えてこなかったから他の道をまったく見ようともしなかった」
そんな時に竜崎コーチからの申し出があったのだと言う。
そのままを伝えれば巴は断るかもしれない。だから何も言わずに京四郎は巴を青学へ送り出した。
彼女にスポーツドクター以外の道を指し示す為に。
湯呑を口に運ぼうとして、途中で京四郎が再びそれをテーブルに戻す。
中身は既にカラだ。
まだ欲しそうだったのでリョーマは急須とポット、ついでに台所にあった煎餅を持ってきて無造作にテーブルに置く。
京四郎が自分で入れているお茶はリョーマよりもずいぶんと丁寧な淹れ方だった。
「……けど、結局一年以上テニスをやってもあいつの夢は変わらないみたいだけど」
相も変わらず巴は「お父さんみたいなスポーツドクター兼トレーナーになりたい」とことあるごとに口にしている。
それがリョーマには些か面白くないので自然言葉がとげとげしくなる。
もっともそれに気付いたのか気付いていないのか、京四郎の返答はのんびりとしたものだった。
「そうみたいだねえ。それならそれで構わないさ」
言いながら、煎餅を一枚手に取る。
ボリボリという咀嚼音と迎合するように携帯のバイブ音が響く。
口に煎餅を加えたままで京四郎が上着のポケットをまさぐった。
画面を開くと内容を確認したのか、すぐにまた閉じる。
「意味なくない?」
「巴の夢は巴の夢だよ。それを決めるのは俺じゃない。
ただ他にも可能性があることを指し示したかっただけだからね。
将来スポーツドクターを目指すのなら選手経験があるのはプラスにもなる。それに……」
「それに?」
聞き返したリョーマに、京四郎は口の端だけを釣り上げる嫌な笑い方をする。
「サムライジュニア、君に出会えただろ?」
「…………っ!」
一瞬で頭に血がのぼる。
どこまで何を知っているのか、この親父。
必死で平静を装うがそれが成功しているかどうかは京四郎の表情を見るまでもない。
「ああ、さっき巴からメールが来たよ。まもなく帰ってくるそうだ」
何食わぬ顔で話題を変えた京四郎に、リョーマは低い声で呟くように言った。
「アンタってさ……」
「何がかな?」
「ホント、キツネオヤジだよね」
外で物音がした。駆けてくるような足音。
巴が帰ってきたのだろう。
「褒め言葉として、受け取っておくよ」
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