「あああっ! しまった!」
二階から響いてきた悲鳴のような声のあと、乱暴に階段を駆け下りる音。
そしてそのまま足音は廊下に移り、居間の襖を開いて巴が姿を見せる。
「赤月、うるさい」
一人で何を大騒ぎしているのか。
リョーマが抗議の声を上げるが、巴の耳にはまったく入っていない。
「な、菜々子さん、今日って郵便局……しまってますよね」
「今日はやってないわねえ」
菜々子の返答に、巴が頭を抱える。
今日は元旦だ。開いているわけがない。
「あああ、やっぱり……」
「どうかしたんですか?」
「ね、年賀状、出すの忘れてまして」
成る程。
自分に届いた年賀状を見て初めて気がついたといったところか。
年末ギリギリまでテニス三昧ですっかり失念していたらしい。
「私が余分に買っておいた年賀状の余りなら、まだ何枚か残ってますけど」
「本当ですか? でも、多分足りないかも……」
「コンビニ行けば売ってるんじゃないの」
「あ、そうか、ありがとうリョーマくん!」
勢いよく顔をあげると入ってきたときと同じようにせわしなく居間を後にする。
しばらく後、「ただいま!」と元気な声とともに再び巴が姿を見せた。
息が弾み、鼻の頭が赤い。
「随分早かったですね、巴さん」
「走ってきましたから!」
見れば分かる。
とりあえず、無事年賀状は入手できたらしい。
巴が買ってきた年賀状を一瞥した菜々子がおや、という顔をする。
「無地の年賀状しかありませんでした?」
「いえ、そういうわけじゃなかったんですけど、せっかくだから手書きしようかと思って」
「そうですか。大変だったからパソコンもお貸ししますからね」
一枚一枚手書き。それは大変そうだ。
どうしてそんなに持っているのかといいたくなるほどの大量のカラフルなペンを居間に持ち込んで巴は年賀状の作成を始めている。
「……ムダに手をかけるよりも元旦に着いた方が良かったんじゃないの」
「うるさいなぁ。それができなかったからせめて誠意だけは見せたいじゃない」
「ふーん」
誠意、ね。
今朝方越前家に届いた年賀状はやはり居間で仕分けされていたので巴に届いた年賀状の送り主をいくつかリョーマは知っている。
その殆どが知っている名前だ。
……そして、その大部分が、男だ。
まあ、ミクスド選手は男子と一緒に練習しているんだし。
先輩達から年賀状が届くのは別に不思議でもなんでもないけど。
他校の奴らだって、休日にたまに練習をしている事くらいは知っているけど。
そもそもコイツが誰から年賀状を貰おうが関係ないんだけど。
こうやって丁寧に年賀状を書いているのを見るのはなんとなく面白くない。
自分には関係ないんだけど。
それでもその場にいるだけで不快指数が上がるのでリョーマは居間から離れ、自室に行く。
当たり前だが誰もいなかった自室は空気が冷え切っている。
暖房器具を付け、ゲーム機を手に取ってみるがまだ暖まりきっていない部屋では指がかじかんでどうにもならない。
本当に、面白くない。
早々にゲームをすることを諦め、なんとなく手近にあった漫画を手にとってほんやりと読んでいると、しばらくして部屋のドアがノックされた。
「何」
「リョーマくん、ちょっといいかな」
「どうぞ」
扉の向こうから巴が姿を見せる。
「年賀状は」
「さっき全部書き終えたから、今から出しに行くの」
時計を見ると、いつの間にか随分時間が経っている。
そんなに熱中して漫画を読んでいたつもりはないんだけど。
「で?」
「はい、これ」
巴が差し出したのは一枚の年賀状だった。
「リョーマ君のぶん」
「……俺の分?」
カラフルなペンで描かれた年賀状には確かに自分の名前が書いてある。
そして、その文面に書かれているのと同じ言葉を巴が口にした。
「今年もよろしく、リョーマ君」
同じ家にいるのに、わざわざ。
これも『誠意』というヤツか。
「俺、お前に年賀状なんて出してないんだけど」
「知ってるよ。でも去年一番お世話になったのはリョーマくんでしょ」
「ま、そうだけどね」
「……そこは普通否定するところなんだけど」
まあ、リョーマ君だもんね、とよくわからない納得のしかたをすると、巴は「年賀状を投函してくるね」、とリョーマに背を向けた。
その背中が一歩、二歩遠ざかる。
「赤月」
リョーマの声に巴が振り返る。
何か思う前に声が出ていたので、咄嗟に何を言うべきか迷ったが、結局リョーマの言った言葉も同じだった。
「今年もよろしく」
巴はこちらに笑顔を見せると、再び背中を向け去って行った。
さっきよりはよほど落ち着いた足音。
その姿が階段の向こうに消えてしまう前にリョーマは自室の扉を閉める。
いつのまにか、部屋の中は随分と温かくなっていた。
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