午前二時。 ふ、と時計を見て予想外の時刻にリョーマは目を見開いた。 ヤバい。 夢中になりすぎた、と慌ててゲーム機をしまい込む。 明日は学校も部活も休みだから、とつい油断をしすぎたようだ。 すぐにベッドに入ろうと思ったものの、喉の渇きを覚えたので水分を求めてそっと自室を出る。 当然家の中はしんと静まり返っている。 実際は眠りについているだけなのはわかっているけど、もう少し各寝室の側に寄れば、寝息が聞こえてくるんだろうことは分かりきっているけど、まるでここにリョーマしかいないかのように。 あまり大きな音を出してしまわないように注意を払いながら、台所で水を飲む。 コップを流し台に置き、きびすを返す。 自室に戻ろうとしたその時、何の気なしにそちらを向いたのは、何かを感じたわけでもなんでもなく、本当にただの偶然だった。 明かりもついていない縁側。 人の気配を感じたわけじゃない。 ガラス戸の向こう、庭先に立ち空を見上げているシルエット。 月のない夜だけど、明かりの灯っていない屋内よりも外の方がほんのわずかに明るい。 星の光なのだろうか。 その微かな光を浴びて、巴は立っていた。 「……こんな時間に何やってるの」 周りが静かなのでガラス戸を開けるカラカラという音がやけに響く。 声をかけると巴がゆっくり振り返った。 暗い空間に巴の長い髪がふわりとなびくのが微かに見える。 「リョーマくんこそ、こんな時間までゲームやってたの?」 巴の言葉に、憮然とする。 実際問題その通りなのだが見透かされている感がどうにも面白くない。 「質問してるの、俺なんだけど」 「あ、ゴメン。 さっきなんか目が覚めちゃったんだけど、こんな時間なら星が良く見えそうだなって思って」 「ふーん」 「きれいだよ。リョーマくんもおいでよ」 普段は良く通る元気な声で話す巴も、こんな時間ではさすがに声のトーンを下げる。 ささやくよりも少し大きい、それがリョーマの耳に新鮮で、もう少し聴いていたくて、誘い掛けに応えリョーマも戸の向こうに一歩を踏み出す。 巴の横に立ち、同じように空を見上げる。 寺の敷地内にあるリョーマの家は街灯の光があまり届かない。 家の灯りがないとこんなに星が綺麗に見える事をリョーマは初めて知った。 「お前の家も、こんな風に星が見えるの」 「ううん、比じゃないよ」 「……ふーん」 あっさりと否定の答えが返る。 比じゃない、か。 アメリカの空はどうだったかな。随分長い間夜空なんて見なかったから、あまり記憶にない。 「でも、岐阜の家ももうずっと帰ってないなあ」 呟くように言った巴の言葉にドキリとする。 別に、大した意味で言ったセリフじゃないことくらい判っているのに。 こんな風に巴の何気ない言葉にびくつくようになったのはいつからだろう。 「流れ星が見えたら、地区大会の必勝祈願ができるのにね」 「星に願わなきゃ勝てないの」 「そんなわけないじゃない」 きっと、知ってしまったからだ。 今が永遠には続かないことを。 「地区大会か……リョーマくんと初めてペア組んでから、もう一年経つんだね」 今気が付いたというようにしみじみと巴が言う。 地区大会で、テニスを始めたばかりのど素人だった巴と慣れないペアを組まされたあの時からもう一年。 息も合わず、足手まといにしか思えなかったパートナーとそのまま都大会、関東大会、全国と、ずっと一緒に組んできた。 すぐに解消するつもりだったペア。 なのに。 いずれ失われてしまうかもしれないそれが、ひどく苦しい。 「ねえ、リョーマくん」 「なに」 「こんな風に、ずっと一緒にいれたらいいね」 いつもより静かな声で、星明かりの下で巴が発したその言葉は、リョーマの胸を突いた。 「……ずっと?」 「うん」 「こんな風に?」 「そう」 嘘つき。 こうやってずっと一緒にいられるのは、今だけだ。 それを一番知ってるくせにそんな夢のような事を言う。 巴は卑怯だ。 「……本気で言ってんの、それ」 巴が最終的に見据えている先は『選手』ではない。 最終着地点が違う。 進む道が違う以上、ずっと一緒はあり得ない。 早ければ高校で、遅くても大学に入れば巴は競技から離れてしまうだろう。 テニスプレーヤーとスポーツドクター。 どちらか一つを選ぶ時、巴は迷い無く後者を選ぶ。だってそれが彼女のずっと抱いていた夢だから。 わかってる。 わかってるから、だから言わないで欲しい。 夢を見させるような事は。 言葉にありありと不機嫌をにじませたリョーマに、巴はきょとんとした表情を向けたあと、断言した。 「うん、本気だよ。 ずっとリョーマくんと一緒にいたいよ。 来年も、再来年も、ずっと、こんな風に一緒に並んで星をみられればいいなって……そう思わない?」 そう言って、リョーマに微笑みかける。 四六時中一緒にいたいわけじゃない。同じ道を歩きたいわけじゃない。 ただ、こうして隣に。 シンプルに単純な願い。 『こんな風に』の捉え方の違いに、リョーマは苦笑いした。 そして、ほんの少しだけ不安そうにリョーマの目を見る巴に、わざとこんな風に言ってみる。 「俺はやだ。絶対に」 「え」 言うと同時に巴に顔を寄せ、唇でこめかみに触れる。 この一年で、随分巴の目の高さとリョーマの目の高さは近くなった。 きっと、来年の今頃は彼女を見下ろせる。 「…………!?」 想定外のリョーマの台詞と行動に情報処理能力が追いつかず、一瞬呆けた顔を見せた巴に、口の端だけで笑ってみせる。 どうせ星明りの下だ。赤くなっているのなんてわからない。 「い、いきなり、何!」 「だから」 声のトーンがいつものように高くなりそうだったので、人差し指を口にあて、今の時間を再認識させる。 「こんな程度のことでも人目を気にしなきゃいけないような、『今』みたいな風じゃ、やだ」 「……な、それって」 「自分で考えれば? それくらい。 あーあ、もう寝よ。お前も明日休みだからっていつまでも起きてないでもう寝たら」 そう言って、家へと歩き出す。 後ろから巴が付いてきながら、家人を慮って小声で抗議する。 「まだ当分寝付けないようにしたのは、リョーマくんでしょ!?」 「さあ」 もしも流星が見えたとしたら、自分が願う事は、一つだ。 『いつまでも、一緒にいられますように』 進む道が変わっても、今とカタチが違っても。 星に願わなくても、叶える、叶えたい願い。 |