衣替えにはなったけれど、学ランを着込むにはまだ少し暑い。
そんな季節のある日のことだ。
巴が居間の机の上に広げたのは、小ぶりの毛糸玉がいくつかに、二本の編み棒。
暖かみのある薄いグレーの毛糸。
それを菜々子に差し示しつつ二人で手編みの本らしきものを眺めながら何を作ろうか相談している。
とは言ってもどうやら製作に携わるのは巴一人で、奈々子は指導役といったところらしい。
別に聞き耳を立てているわけではないが、二人が楽しげに話している声は嫌でも耳に入る。
なので、これが巴にとって初めての編み物らしいということもリョーマは知っている。
だから若干まだ早い(ような気がリョーマにはする)こんな時期からはじめているのだろう。
その日から、越前家の中で見る巴の姿は、かならずその手に編み棒を握っている。
そして、二言目には「奈々子さん〜!」だ。
毎日毎日。
飽きずに続けているのは立派と言えないこともないが編み物に関してなどなんの知識もないリョーマにもはっきりとわかるくらい巴は不器用だった。
一目編むごとに何事かトラブルを引き起こしてブツブツ何事か言いながら格闘している。
初めはものめずらしそうにやって来ては巴を焦らせていたカルピンも、今はもう毛糸玉で遊ばせてはくれないのを知っているので寄っても来ない。
編んでは戻し、編んでは戻しを繰り返しているのですっかり毛糸はヒヨヒヨだ。
それでも、いっこう諦める気配はない。
半月ほどして、その物体はどうやらマフラーのようだと見当がついた。
同じ幅で編んでいくだけだから簡単なのだろう。
とは言っても、巴の編んでいるそれはどうみても同じ幅のものとは思えないが。
それでも、ほんの少し、初めの頃よりもマシになった、のかもしれない。
学校にも持ち込んで、休み時間に小坂田の指導を受けながら編んでいる。
奈々子と比べ、容赦がないので教室には連日罵声が響いているわけだが。
今日も、巴はもたもたと編み針を動かしている。
……本当に熱心だ。
見ていると、巴と目が合った。
「ん、どうかしたの? リョーマ君」
「……別に。上達しないね」
ほっといてよ、と巴が口を尖らせる。
そして、また視線と意識を手許に集中させる。
上達しないけど、着実に前には進んでいる。
グレーの毛糸玉は三つ目に突入した。
そうやって、毛糸玉が小さくなっていくごとに、口に上らせることのない言葉がリョーマの胸の奥に澱んでいく。
『で、それは誰の為に編んでるわけ?』
訊いてしまえば、きっと楽になれるんだろう。
だけど、どうしてもその言葉は出てこない。
渡す相手には、やはり秘密にしたりしているんだろうか。
もやもやとした気分と、理不尽なイラツキ。
このところずっとこればかりだ。
そんな、停滞しているリョーマの気分とは裏腹に、少しずつマフラーは長さを増していく。
「よしっ! 完成!」
ついにある日、奈々子に教えてもらいながら最後の房付けを追えた巴が、満足そうにマフラーを高く掲げた。
そして、早速自分の首に巻いてみる。
やっぱり、幅が狭くなったり広くなったり、編み目が緩いところやきつすぎる場所があったりして見栄えがいいとは言いがたいマフラーであったが、巻いてみるとそれほどおかしなところは目に付かない。
「頑張りましたね、巴さん」
「はい、奈々子さんもありがとうございました!
ねえねえリョーマくん、どう? 似合う?」
嬉しげにマフラーを見せびらかしてくる。
「不恰好」
チラリと一瞥すると一言で言い放つ。
巴が不機嫌そうにリョーマを見下ろしているのが視界に入った。
「別に、リョーマくんがほめてくれるなんて思ってなかったけどね。
不恰好でも自分が使うんだからいいんだもん」
「……自分で使うんだ?」
思わず聞き返したリョーマに、巴は当たり前と言った風に頷く。
「初めて作るのに、誰かのために作るなんて無茶、できないよ」
いわれて見れば、当たり前の言葉。
拍子抜けをするくらいに。
「それとも……リョーマ君、欲しかった?」
「なっ、……んなわけないじゃんそんなブサイクなマフラー」
「ほら、やっぱりそうでしょ」
やっぱりって言うのは、その答が予想できたというだけのセリフなのか。
それともリョーマのその答が予想できたから自分用の編み物なのか。
当然、その答を聞けるはずもない。
「さあ、次は何編もうかなー。
奈々子さん、お勧めとかあります?」
マフラーを翻すと、奈々子に向き直り、早くも次の計画を立て始める。
それが、また自分用なのか、それとも別の誰かの為の物なのか。
当然、訊ける筈もない。
リョーマは内心はやく春が来てくれる事を祈っていた。
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