夜、越前家に悲鳴が響き渡った。
声の主、すなわち元凶は言うまでもない。
何事かと駆けつけた家族の目に映ったのは台所でオーブンを開いたまま硬直している巴の姿だった。
「人騒がせな声、出さないでくれる?」
本人に何事も無いことを確認したリョーマが毒づいたが、巴の耳には入っていない。
一方、台所に漂っている臭いで奈々子は悲鳴の原因を悟る。
「ああ、焦がしちゃったんだ」
その台詞に、巴が初めてこちらを向いて情けない表情を見せた。
「奈々子さん……あ、すいませんおじさんおばさん。
大丈夫です。ご迷惑おかけしました。後片付けはちゃんとします」
さすがに居候生活も1年以上続くとここらへんの対応も慣れたものだ。
倫子も軽い注意をした程度で自室に戻る。
二人が去ると、巴はため息をつきながらオーブンの中身を取り出した。
「……炭?」
リョーマの感想は辛辣ではあるがあながち間違いともいいきれない。
元々チョコレートケーキなので黒いといえば黒いのだが表面が明らかに焦げている。
料理は得意な巴だったがお菓子作りは慣れていない。
繊細さ正確さが要求されるお菓子作りなのに油断した。
これは到底人に出せはしない。
「ま、まあ、もう一度作り直せばいいじゃないですか。ね?」
落ち込んでいる巴を励まそうとそう言った奈々子だったがその発言は無意味だった。
「……もう、材料がありません」
「店ももう閉まってるだろうしね」
時計を見ると、確かにもう中学生が外に出る時間ではない。
万事休すと言うヤツだ。
「巴さん……」
「後片付け、しなきゃですね」
心配そうな顔をする奈々子に無理に笑顔を向けると、台所に広げた道具を洗いはじめる。
奈々子が手伝おうとしてくれたがやんわりと断った。
その様子を見て、気遣いつつも、奈々子も自室へと戻る。
「去年みたいに市販のにしておけばよかったのに。変に見栄張ったりするから」
なぜか一人残ったリョーマが食卓の椅子に座って悪態をついた。
「うるさいなあ、去年市販だったから今年頑張りたかったんじゃない!
……リョーマ君、何してるの?」
反論すべく振り返った巴の目に映ったのは、先ほどの失敗作を型から外しているリョーマだった。
側面の生地の一部をつまんで口に入れる。
「もう渡せないんでしょ、コレ。
コゲ部分取ったら食えない事もないし、もらっていい?
今腹減ってるんだよね。……毒じゃない限り口に出来るくらいには」
「え、……あ、うん。ありがとう」
リョーマなりの気遣いなのだ。
そう感じた巴は思わず礼を言ったがリョーマは「別にお前の為じゃないし」とそっけなく言うと残りの菓子を持って、自室に去っていく。
くだらない。
お菓子会社の戦略に流されて。
半泣きになるほどのことじゃない。
なのに、なんで俺がフォローしてやってるんだよ。
自分で勝手にやった行動に自分で腹を立てながら、私室でリョーマは先ほどの菓子の残りを口に入れた。
一見甘く、優しげに見えてその実苦味のあるそれを、さながら今夜の自分のようだと思いながら。
|