「青学テニス部は大丈夫です。だから、アメリカに行って来てください!」
そうやって手塚部長の背中最後に押したのはあいつらしい。
それがどういう思いからだったのかなんて知らない。
手塚が左手首にはめた腕時計にちらりと目線をやった。
そろそろ時間だ。
青学テニス部の面々の顔を見渡す。
巴の言ったとおり、彼らは手塚がいなくても充分うまくやっていけるだろう。
「赤月、お前は青学の柱を支える存在になれ」
最後に、巴に向かって言われたその言葉に巴も力強く返事を返す。
「はい! 手塚先輩も頑張ってください!」
それで終わり。
手塚は一度も振り返る事なく出国ゲートを抜けていった。
少なくとも、青学メンバーが見ている前では。
「さて、帰るとしますか」
「やっぱダッシュしなきゃいけないワケ?」
手塚の姿が見えなくなると、レギュラー達もやがて踵を返しだす。
なにしろ手塚が最後に課した罰でダッシュで帰校だ。早くすませてしまうに限る。
ふと、先輩たちと一緒に歩きかけたリョーマの動きが止まる。
「桃先輩、すいません。ちょっと」
「ん? ……あー……分かった。
お前らの分は明日のランニング追加で勘弁しといてやるよ」
一瞬怪訝な表情を見せた桃城もすぐに察して頷く。
「越前、頼んだよ」
不二がリョーマの肩を軽く叩く。
そうして、皆が去って行った。
残ったのは、一人だけ。
巴は、まるで、とうに視界から消え去った手塚の姿が見えるかのように出国ゲートを凝視したままだった。
固まってしまったかのように動かなかった彼女の唇が、不意に開く。
「……どうしてリョーマくん帰らないの」
なんだ。
俺がいるのに気づいてはいたんだ。
「お前が、帰らないから」
巴は、こちらを見ない。出国ゲートから視線を動かさない。
リョーマも敢えて巴の正面にまわろうとしなかったので、端から見ると妙な光景だ。
「別に放っとけばいいじゃない」
もっともだ。
いつも一緒に行動しているわけじゃない。
でも。
「だって、お前が泣いてるから」
「泣いてない」
巴が即座に反論する。
確かに彼女の目に涙はない。
けど。
「泣いてる。
手塚先輩が留学するって決まった時から、ずっと」
巴が振り返った。
「泣いて、ない」
ずるい。
いつも無関心で何を言っても冷めた反応しか返さないくせに、こんな時に優しいのは、ずるい。
泣いてないのに。
初めて留学の話を聞いた時も、それからもずっと、泣かずにやってきたのに。平気なのに。
だってこれは嬉しいことの筈なんだから。
手塚先輩は今よりもっともっと上に行けるようになるんだから。
手塚先輩がたとえ留学をしなくたって、部活を引退した時点で自分とのペアは解消されている。
だから、巴にはなんの不満もある筈がない。
置いていかれたみたいに思うのは、寂しいなんて思うのは、ただの私のワガママだ。
だから、泣かない。絶対に。
そう、決めてたのに。
「ほら、帰るよ」
そう言ってリョーマの左手が巴の右手首を掴む。
いつもラケットを握っているリョーマの左手は、少しタコが出来ていて固く、思ったより少し大きかった。
「っく、うっ……」
そして、手のひらから伝わる体温があたたかくて、巴は子供のように泣きじゃくった。
中一にもなって、いや、外見だけならそれ以上にも見える図体で小さな子供のように泣いている巴は周囲の注目を集めた。
当然、その手を引いているリョーマも同じだ。
視線が痛い。
恥ずかしい。
格好悪い。
手塚先輩はずるい。
誰よりも高みを目指して、あっさりとコイツの手を放した。
コイツはそこまで強くないのに。
だけど、それを俺が言っても何の意味もない。
これは赤月と手塚先輩の問題だ。
俺には理解できないだけで、きっと二人の間では決着がついていることなんだ。
だから普段はくだらない事で大騒ぎする赤月が弱みを見せなかった。
そんなことは分かってる。
俺にはどうしようもない。
ただこうしてコイツの手を引いてやるしかできない。
だから、この手を放す気にはならなかった。
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