学校の帰り道、夕日でオレンジに染まるこの街を眺めるのが好きだったな。
そんなことを巴がぽつりとこの間呟いていた。
夏にみんなで寄り道をした事も、 秋にどちらが桃城の自転車の後ろに乗るか二人で言い争った事も、 冬に冷気を肌に感じながら一緒に学校へと走った事も。
きっと、ずっと忘れない。
「はい、どうぞー」
巴の声に、彼女の部屋の扉を開く。 一瞬、その広さに驚いた。
ガランとした空間。
元々、巴はそれほど荷物を持ち込んでいなかったので、片付けた私物の量は大した事はない。 なのでこんなに空虚な印象を受けるとは思わなかった。
そして、その空っぽの空間の真ん中に、こちらに背を向けかばんに最後の荷物を詰め込んでいる巴の姿があった。
「どうしたの? リョーマくん」
手を休めて巴がこちらを向き訊ねる。 内心の動揺をさとられないように顔を背けて答える。
「別に。様子見に来てみただけ」
明日。 明日彼女はこの家を立ち去る。 ルドルフの寮に入るのだ。
それ以上は何も言わず巴の背後に腰を下ろす。 巴もまた荷物整理に戻る。
「なんだかさあ、リョーマくん」 「……なに」 「大体の荷物送っちゃったら、部屋ががらんどうになってちょっと寂しくなっちゃった」
自分がさっき思った、その同じ気持ちを、なんのてらいもなく口にする。
「たった1年だったのにね。 もうすっかり自分の部屋になってたんだなあって……!」
不意に巴の言葉が途切れた。 突然リョーマが膝立ちで後ろから巴を抱き締めたからだ。
「え、あの、リリリリョーマくん?」
うわずった声。硬直した身体。頬に当たる髪。
「俺さ、お前のこと、嫌いじゃなかったよ」
するりと出た言葉。 今、伝えようと思ってた訳じゃない。 ただ自然に口からこぼれ出ていた。
「……うん。 私はリョーマくんのこと、好きだったよ」 「え」
あっさりと返される言葉。
「嫌いだったら、1年も一緒に生活できないよ。 まあ、初めて会った時にはこれからどうしようって思ったけど」
続けられた言葉に思わず吐息が漏れる。
「ああ、そういう意味」
「え、……あ。 あ、うん、深い意味じゃなくって! 変な言い方しちゃった? 私」
リョーマの言わんとする意味を理解して、慌てて巴が弁解する。 どうでもいいけどあまり暴れられると髪がくすぐったい。
「じゃあ、そういう意味では?」 「…………」
沈黙。
困ってる。 けど、話題を変えてなんてやらないし、この手を放したりもしない。
「か、考えたことない」 「だったら、今考えればいいじゃん」
再び沈黙。
考えたこともないってのはちょっとショックだったけど、即答で否定されるよりは可能性があるんだろうか。
「今じゃなきゃダメ?」 「ダメ」 「せめて、ちょっとの間ひとりで考えさせてってのは……」 「ダメ。答えるまで放してやんない」 「〜〜〜っ!」
だって、今しかないじゃないか。
今までは、近すぎて。 これからは、遠すぎて。
『今』のこのチャンスを逃したら、きっとずっと言えないし、訊けない。 お互いの本音なんて。 こんな風に触れる事だって、出来なかったし、出来ない。
離れてしまうから、なんだって言える。 明日からの気まずい思いを気にしなくていい。
この最後の機会だけは、絶対に逃がさない。
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