部活の後部室に残っておしゃべりにいそしんでいた部員たちが一人、また一人と帰宅していく。 いつもの見慣れた風景だ。
「大石先輩、お疲れ様っス」 「ああ、お疲れさま。あまり寄り道ばかりするんじゃないぞ?」
最後のグループが会釈して去って行くのを見送ると、大石は部室を一通り見渡して扉を閉め、鍵をかける。 この一年間の日課だ。 明日で引退なので、この役割もまた後輩に引き継ぐことになる。
いつまでも部室に残っている部員をせき立てることも、もうない。 なんだかもう引退してしまったような気分になっていることに気がついて大石は苦笑する。 引退は明日なのに。
鍵を鞄にしまいこんで部室に背をむける。 と。
「大石先輩、お疲れ様でした!」
巴が、そこに立っていた。
「巴……どうしたんだ?」
尋ねる大石に、巴はなんでそんなことを訊かれるのかわからない、といったように首を傾ける。
「大石先輩を待ってたんですけど?」 「俺を? 何か用でもあったのか? だったら部活の休憩時間にでも言ってくれればよかったのに」
鍵の管理をしている大石が帰る時間を待っていたら遅くなるのはわかりきっている。 巴は女の子なのに。
そう思ったので当然のように言った言葉だったのだが、すると巴は今度は拗ねたように唇をとがらせる。
「違いますよ。 先輩の仕事が終わるのを待ってたんじゃないですか!」
「え、どうして?」
困惑に近い表情を見せる大石に何を当たり前の事を、といった調子で巴が言い放つ。
「だって、今日は大石先輩の最後のお仕事の日でしょう? そりゃあ一応明日もありますけど、いつもみたいに先輩がみんなを追い立てて部室に鍵をかけるのは今日が最後じゃないですか。 それに、絶対に私が一番最初にいいたかったんです」
そういうとおもむろに巴は大石の正面に立つと、ぺこりと頭をさげた。
「大石先輩、いままでありがとうございました。 お疲れ様!」
下げた頭をあげるとちらりと舌を出す。
「……本当は一番乗りしたかったからフライングの理由をこじつけただけかもです」
そんな巴に大石も笑顔になる。 明日でも済むその言葉を告げる為にいままで待っていてくれたその気持ちが嬉しい。
「ありがとう、巴。嬉しいよ。 しかし本当にもう遅いぞ。送っていくよ」 「え、あ、すいません。 却って迷惑かけちゃいますね」
恐縮したように言う巴。
しかし迷惑な筈がない。 先も言ったように鍵の管理の問題もあり、巴と帰宅することなどほとんどなかった大石にとってこれは降って湧いた尭幸に近い。
「あ、そうだ、大石先輩」
歩き出した巴が、ふいに立ち止まる。
「私、これからもテニス頑張ります。 で、いつか大石先輩の本当のパートナーになりたいです」
負担をかけてしまうこともかけられてしまう事もなく、二人分以上の力を出せるように。 本当の意味でのダブルスパートナーに。
そう笑顔で告げる巴。 今日、本当に告げたかった言葉。小さな決意宣言。 それで、特別な会話は終わり。 肩を並べて二人で帰宅の途につく。
明日からは、それまでのほんの少しの準備期間。 寂しがるよりも、そう思おう。
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