年末からこっち、急に寒くなった。
巴は白い息を吐くと、巻いていたマフラーに埋まるような形で首をすくめた。
鼻の頭が冷たい。
時間に余裕は充分すぎるくらいあるのだけれど、この冷気のおかげで勢い少し小走りになる。
「よ、おはようさん!」
後ろから聞こえてきた声がどんどん近くなる、と思う間もなくブレーキ音と共に巴の横に自転車が現れた。
巴の歩調に合わせて自転車で併走する相手に、巴は笑顔で挨拶した。
「桃ちゃん部長、おはようございます!」
自転車をこいでいると暑い、という理由で桃城は学ランのみの寒々しい格好だ。
なんとも桃城らしくはあるが、スピードを緩めてしまうと、寒さが堪えるだろう。
なので、ついまた巴の歩調が速くなる。
「ん、なんだ?
やけに急いでっけど今日は日直かなんかか?」
「いえ、なんにもないですけど、桃ちゃん部長が寒そうだなーって思って」
「別に今は暑いくらいだけどな。
……気になるんなら、いっそ乗ってくか?」
そう言って、自転車の後ろをあごで指し示す。
それはそれで申し訳ないのだけど、少し考えてから巴は好意に甘えることにした。
後部車輪軸に足をかけて、両手を桃城の肩にかけたところで、桃城に先に行ってもらっても良かったんだ、と思い至ったが気が付かなかったフリをすることにした。
せっかく会えたのに、それじゃ寂しい。
「もういいかー?」
「あ、はい、準備オッケーです!」
「よっしゃ、行くぜー!」
言うと同時に桃城が自転車をこぎだす。
後ろに大きい荷物が増えたのに、まったく抵抗を感じている様子がない。
さすがである。
「そういえば今日が初乗りですね」
「んあ?」
「今年最初です、ここに立つの」
「あー、そうだな」
大して興味もなさそうに桃城が相槌を打つ。
去年の春に青学に入学してから、この自転車に何回乗っただろう。
もう数えきれない。
気軽に乗せてくれるので横着してしまうが、一般より大きい巴は決して軽くないのに。
考えないようにしているが、きっとリョーマが乗っている時より負担が大きいだろう。
「……うん!」
「なんだ?」
「決めました、今年は体力つけて桃ちゃん部長を逆に後ろに乗せられるようになりますね!」
勢いこんで言うと、自転車が急ブレーキをかけて止まった。
桃城がこちらに振り向く。
「は?」
「どうしたんですか、桃ちゃん部長」
忘れ物でも思い出したのかと思って尋ねると、大声が返ってきた。
肩越しに呆れた目線が向けられる。
「そりゃこっちのセリフだっての!
なにいきなりトンチキなこと言い出すんだよ!
危うくペダル踏み外すとこだったっての」
それは危ない。
しかし、トンチキ?
「何がトンチキですか。
そりゃ今は無理かもしれないですけど、頑張ってランニングや筋トレしたら……」
「そっちじゃねえ!」
反論しかけた巴に、即座に桃城が修正を入れる。
話が長くなるのなら、自転車を降りた方がいいだろうか。
そんなよそ事を考えていると、考えを読んだかのようにまた桃城が前を向いてペダルに足をかける。
再び、自転車がゆっくりと走り出した。
「俺は絶対にお前に乗せてもらったりしねえっての!」
「えー、なんでですか。
女の後輩に乗せてもらうのは格好悪いとかですか?」
「違ぇよ! ……いや、違う事もねえけど。
とにかく、お前は今年も俺の後ろ乗ってりゃいいんだよ」
「えー、なんですか、それ」
一方的な桃の台詞に、巴は頬を膨らませて抗議するがそもそもどんな顔をしてみせようと桃城には見えない。
いい考えだと思ったのに。
「じゃあ、桃ちゃん部長は何か今年の抱負とかありますか?」
「俺かぁ?
まあ、青学の全国ニ連覇だな」
「それじゃテニス部全員同じ目標ですよ。
個人的には他にあったりましせんか?」
「他?
そうだなぁ……ないこともねえけど、言わねぇ」
「なんでですか!?」
「うるせぇ、言わねえったら言わねえ!」
自転車はやがて緩い坂道に差し掛かり、冷たい追い風が顔に当たる。
「ひゃー、冷たい。
……桃先輩、本当に寒くないですか?
マフラーくらいしたらいいのに」
「だからチャリこいでっから暑いんだって。
まあ、乗るまでは寒いけどな」
「でも、寒そうですよ。
耳なんか真っ赤になっちゃってるし」
「のわぁっ!!」
何気なく触ると、奇声があがった。
「おま、いきなり触んな!」
「あ、すいません。
でも、手袋してるからあったかいかなー、と思いまして」
しかし確かにいきなり触るのはまずかった。
けど、そこまで驚かなくてもいいのに。
「イヤマフみたいに桃ちゃん部長の耳、ずっと押さえてましょうか?」
「バカ言え! てか、手ぇ放すなよ! 危ねえだろうが!」
手を肩に戻すと、おもむろに桃城が学ランのボタンを一つ余計に外す。
本当に暑いみたいだ。
心なしかさっきより顔も赤い気がする。
自転車はフラフラと蛇行しながら、学校へと入って行った。
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