あげかけた手を下ろし、開きかけた口を閉じる。
菊丸は黙ってその場をあとにした。
偶然見かけた大石の姿。
彼一人なら菊丸だって躊躇なく声をかける。
それをしなかったのは、彼が一人ではなかったからだ。
大石の隣には、巴がいた。
楽しそうに会話を弾ませている二人の間に入る気にはなれなかった。
別に迷惑がられると思ってるわけじゃない。
近寄って行けば、それが当然のように二人は菊丸を会話の中に入れるだろう。
それでも、そこに入る気にはなれない。
本人は気付いていないけれど、はたから見ていると手にとるようにわかる。
大石が巴を特別に意識していることが。
そして、多分巴も。
「……ちぇ」
淋しいんじゃない。悔しいんでもない。
ただ、ここのところ二人を見ると胸の奥にもやもやとした感情が湧いてくる。
大石がいい奴なのはわかってるし、巴だって菊丸は気に入っている。
その二人がくっついて不満なんてあるわけないのに。
やっぱり、これは『淋しい』なんだろうか。
微妙に違うような気がするんだけど。
そんなことをつらつらと考えていたからか、不意に背中を叩かれるまで背後に誰か近づいていることに気が付かなかった。
「菊丸先輩! こんなとこで何してるんですか?」
「へ? あれ、赤月?」
「はい、赤月です」
背中を叩いたのは、さっきまで部室前で大石と談笑していたはずの巴。
菊丸が一旦部室のそばまで行きながら引き返したことなんて知るよしもない。
「……大石は?」
「へ? 大石先輩ならさっき竜崎先生に用があるって職員室行きましたけど……?」
しごくあっさりと答えられる。
そんな巴を見ながら、ぼんやりと菊丸は思う。
いつも元気で明るくて真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐで。
大石は、時に跡部や亜久津にケンカを売るくらいに直情的な巴の一面も知ってるんだろうか。
必要と決めたら誰が相手でも一歩も引かない芯の強さを、知ってるんだろうか。
知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。
逆に、菊丸が知らない巴の別な側面を大石は知ってるのかもしれない。
いつにない様子でぼーっと巴を見ている菊丸に対して、微妙な表情を浮かべながらも巴も何も言わずにその場に居る。
「なぁ、モエりんはさ、大石のこと好きなの?」
口に出してしまった言葉にあっけらかんと巴が答える。
「はい、好きですよ。」
あまりにもサラリと返された言葉。
「優しくて、頼りになる青学の副部長ですもん。キライなわけがないじゃないですか。
あ、もちろん菊丸先輩のことも好きですよ」
続けられた言葉に、軽く溜息をつく。
『好き』は『好き』でも、若干、意味合いが違う。
「なんですか、そのタメイキ」
「…………ガキ」
「ちょ、なんですか菊丸先輩、いきなりその暴言は!」
「べぇっつにー」
頬を膨らませて抗議する巴に対抗するように、菊丸もそっぽを向く。
「本当に、今日はなんか変ですよ、菊丸先輩」
心配そうに菊丸を見あげた巴の両頬を、菊丸は軽く引っ張った。
「ひゃっ! いひゃい!」
「変じゃないよん。ほれ、練習、練習!」
彼女を安心させるために笑って見せると、足早に部室へと走っていく。
好きだと言ってもらえるのは、嬉しい。
それなのに、微かに胸の奥に感じる痛みは、きっと別な意味の『好き』が欲しいからだ。
だけど、それは一人しかもらえない。
だったら、今のままでいい。
きっと。
そう、自分に言い聞かせるように心の中で繰り返した。
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