チリ、チリン。
微かに耳に響いた音に海堂は目線を下にやった。
鈴の音。
咄嗟に頭に浮かんだのは首輪に鈴をつけた猫だったのだけれど、目に見える範囲に猫の姿はない。
内心ほんの少しがっかりする。
「海堂先輩、なに探してるんですか?」
なので、いきなり巴の姿が目に入ってきたので驚いた。
今の姿を見られていたのは非常に体裁が悪い。
誤魔化すように巴を睨みつけるが、もとより巴にこの手は通用しない。
「どうかしましたか?」
巴が少し大げさに首を傾げると、再びチリン、と音がした。
「……お前か、その鈴の音は」
巴が肩に提げていたバッグを振るとチリ、チリリ、とせわしなく鈴がなる。
「あ、これのことですか」
バッグの内ポケットから取り出したのは家のものであろう鍵。
直径1センチほどの鈴が付けられている。
「家の鍵なんですけど、しょっちゅうカバンの中で行方不明になるんで、すぐ分かるように鈴付けたんです」
指先で振るとチリン、て澄んだ音が響く。
なるほど、これならとりあえず『ある』ということだけはすぐに判るだろう。
「ネコの鈴じゃないんです、残念ながら」
……何故判ったのだろう。
「別に俺は何も言ってねえ」
「あ、違うんですか。すいません、てっきりそうかと」
違わないのだけれど。
わかっていて言ってるのかそうでないのか海堂にはわからない。
とりあえず、この会話を終わらせるに限る。
「いいから、さっさと着替えてこい。もう部活始まるぞ」
「はい!じゃ、またあとで!」
それこそ猫のようにしなやかに部室の方へと駆けていく。
チリチリと鳴り響く鈴の音はたちまち小さくなり、やがて聴こえなくなった。
季節が過ぎ、そんななんでもない出来事も記憶の向こうに消えていく。
すっかり忘れていたそんなことを思い出したのは、やはり鈴の音のせいだった。
「あ、ネコ」
鈴の音に海堂が振り返るのと、リョーマが小さな声を上げたのは同時だった。
学校周辺のどこかの家の飼い猫なのだろう、薄茶のトラ猫がコートの側を横切っている。
首輪につけられた小さな鈴が、その動きにあわせてチリン、と小さな音を奏でる。
「あぶねえなぁ。
んなところにいたらボールぶつかっちまうぞ」
桃城のその言葉が判った訳ではないだろうが、猫はにゃあ、と一声鳴くと駆け足でその場を去って行った。
前と逆だ。
鈴の音を鳴らして駆け寄ってきていた少女はもうここにはいない。
他校に行ってしまった彼女とは、試合等で顔をあわせることはある。
けれど、もうあの鈴の音を聞くことはない。
それなのに、咄嗟に連想したのは、彼女の姿だった。
「……海堂部長、どうかしたんスか」
リョーマの声で、初めて自分が呆然と猫の去って行った先を眺めていたことに気が付く。
バンダナを締めなおし、気持ちを切り替える。
「なんでもない。……ランニング、行くぞ」
ひょっとしたら、あのなんでもない日々の会話は、とても大切なものだったのかもしれない。
そんな否定しきれない思いを抱えながら。
チリ、チリチリン。
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