プロローグ






 ついこの間まで厚いコートを身にまとっていたのに、今は少し動くと汗ばむほどになった。
 桜がもう満開だ。
 春休みもまもなく終わる。新学期が近づいてきたことを実感する。
 とはいえ、青学テニス部員は休み中も部活で足しげく学校に通いつめてはいるのだが。



 今日も不二は制服を身にまとい、青学の敷地内にいた。



 昨日練習試合をしたばかりなので、本日の部活はミーティングのみだった。
 だがせっかくなので、ついでに学校の桜をファインダーに納めようと愛用のカメラを片手に敷地内を歩いているという訳だ。


 幸い、今日は好天だ。
 青い空に薄桃色の桜の花が良く映える。
 これと決めた一枝にピントを合わせシャッターを切る。

 と、シャッター音と同時に妙な音が不二の耳に入った。



「……?」



 耳をすます。
 すぐ横からガサガサと葉ずれの音がする。

 しかし風は吹いてない。
 不審に思って顔をあげようとしたのと、目の前に人が降って来たのが同時だった。

 不二が立っていた場所のすぐよこに植わっている広葉樹。
 その上から降りて……いや、落ちて、と言った方が正しい。
 着地の時に衝撃を殺し損ねて、うめき声を上げながらうずくまっている。
 さらに驚いたことに、女の子だった。


「……大丈夫?」


 とりあえず、当たり障りなく声をかけてみる。
 不二の声に、相手が顔をあげる。
 青学の制服ではない。私服だ。


「あ、すいません、大丈夫です。
 人がいるとは思ってなかったんで」


 それは着地失敗に対する言い訳なのだろうか。
 まったく下を確認しないで木から飛び降りたのだとしたら、不二は間一髪で難を逃れたということなのだろうか。
 少女は決まりの悪さを隠すように笑いながら不二に向かってぺこりと頭を下げる。
 彼女がいた木は桜の木ではないけれど、風に吹かれて飛んできたのだろう。髪に桜の花びらが1枚からまっている。



「僕はいいけど……何をしていたの?」
「木に登ってました」


 それはわかってる。


「お父さんが学生時代、よくこの上でサボってたって聞いたんでどんな感じなのかな、って」
「ああ、キミのお父さん、青学のOBなんだ」
「そうなんです」



 青学の歴史は長い。
 それを知識としては知っているけれど、こうして話に聞くとその時間の長さを実感する。
 今ここにある木は彼女の父親がまだ少年だった頃にも、同じようにここにそびえていたのだ。
 その上から見る光景は、今とどう違うのだろう、そしてどこが変っていないのだろう。



「で、登ってみた感想は?」
「テニスコートがよく見えました。
 ただ、今日は部活やってないんですね。それだけがちょっと残念です」


 正確には、部活はやっていたけれどコートを使っていないのだが。
 そういえば去年他校から偵察が来ていたとき、何人かこの木に登っていたような気がする。


「お父さん、テニス部員だったのかい?」
「はい、それもありますけど、私も四月からテニス部に入ろうと思っているんで。
 ……とは言っても、選手じゃなくてマネージャーになりたいんですけどね」


 そう、ひどく嬉しそうに言う。
 四月からの新生活が楽しみでならないのだろう。


「マネージャー……選手じゃなくて」
「マネージャーです。男子テニス部の顧問の先生も誘ってくれましたし」
「竜崎先生が?」


 不二は首をひねったが、少女は肯定の返事を返すのみで不二の不審気な様子には気が付かない。
 彼女に事実を言ってよいものかどうか考え、やはり告げておいた方がいいだろうと判断し、不二が口を開きかける。



「不二、こんなところにいたのか」



「あ、じゃあ私はこれで!」

 別方向から声をかけられ、不二がそちらに振り返る間に、少女はさっと姿を消してしまった。
 慌ててそちらに視線を戻すも、もう姿は小さくなってしまっている。
 足が早い。
 どちらかといえばマネージャーを務めるよりも選手として活動する方が向いているんじゃないだろうか。


「不二?」
「ああ、ゴメン乾。
 ちょっとさっきの子と話をしていたから……」
「誰かいたのか。俺の方からは見えなかったが」


 乾が首をかしげる。
 丁度死角に入っていたようだ。
 ならば説明をしてもしょうがない。
 不二だって何も知らないのだから。本当に彼女がそこにいたのかも。


「ねえ、乾。
 うちはマネージャーはとらない主義なんだったよね」
「ああ。竜崎先生の方針でマネージャーは募集していない。それがどうかしたか?」


 やっぱり。
 もし彼女が青学テニス部の戸を叩いたとしても、マネージャーとして男子テニス部に入ることはままならない。
 しかしそれにしては竜崎の事を知っているかのような話し振りだったのが気になるのだが。

 竜崎に聞いてみれば、全てわかるのかもしれない。
 けれど、なんとなくそんな気にならなかった。
 もう少し、新学期になればわかることなのかもしれないし、わからなければそれはそれでいい。


 強い風が吹いた。
 桜の花が空に舞う。


「ねえ、四月にはどんな新入部員が入ってくるかな」
「ああ、楽しみだな。
 ……そういえば、来年度はミクスドが新たに導入されるらしいからそれに伴ってレギュラーの枠も増えるようだ」
「そうなの?」
「もっとも不二、お前にはあまり関係のない話かもしれないがな」



 ミクスド導入。
 マネージャー志望の少女。

 不二には関わりのなさそうだったその二点がなにやら気になったのは、予感なのかもしれなかった。







10.5巻を引っ張り出しましたがこの見取り図よくわかんないですねー。
とりあえず青学は1925年中等部創立らしいです。
ちなみにこの後巴ちゃんは道に迷うと思われます。そして桜乃に遭遇すると……。

2009.4.10.

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