掃除は全くもって好きではないがゴミ捨てはそれほど嫌いではない。
あくまでも比較的、それほど、ではあるが。
ゴミがいっぱいに入った大きなゴミ箱は別に重くはないが持ちにくい。
手が滑って引っくり返したりしないよう気をつけながら校舎から裏庭へと出ると、学ランの隙間に冷風が吹き付ける。
思わず身をすくめた。
さっさと済ませて暖かい校舎に戻ろう。
そう思いながら再びゴミ箱を持ち直した時、後ろから声がかけられた。
「あ、荒井先輩もゴミ捨てですか?
まともに掃除できないからゴミ捨てくらいしてこいーって追い出されたんですか?」
「……そりゃお前だろ赤月」
振り返った荒井の視界に映ったのは一年後輩のミクスド選手。
そして、荒井の天敵である。
「えー、私は違いますよ!
荒井先輩と一緒にしないでください!失礼ですよ」
「お前だろ失礼なのは!」
言い返すと、さっさと背を向ける。
口で争っても絶対に負ける。
これまでの間に学んだ事実だ。
どうも俺は春にこいつと出会ってからこっち赤月に頭があがらない運命らしい。
癪にさわることこの上ないが、テニスで争ったって勝った事がない。
春の時点ではラケットの持ち方すら知らなかったくせに。
才能、なんて言葉で片付けるのは好きじゃない。
けれど努力の量なら自分だって負けていないのに、とくさりたくなる事があるのもまた事実だ。
焼却炉にゴミを放り込み、片手を巴に差し出す。
「ほら」
「なんですか?」
きょとんとした顔で巴が問い返す。
察しが悪い。
イライラする。
「捨ててやるっつってんだよ。ゴミ箱貸せ」
運動神経はあるけれどトンマなこの後輩は焼却炉の中に手でも突っ込みかねない。
巴から引ったくるようにゴミ箱を受け取ると、フタを開け放したままの焼却炉に逆さ向けにしてゴミを捨てる……つもりが、思ったほどゴミが落ちてこない。
「ぎゅうぎゅうにゴミ詰め込んであるじゃねえか!
お前のクラスはものぐさばっかりか!」
「わ、私がやったんじゃないですよ!」
ゴミ捨てを面倒がった前の当番が限界まで足で圧縮したんだろう。
逆さにしても振っても落ちてくる様子のないゴミは手でかき出すしかない。
「だから、いいですよ。私やりますから」
「うるせえ! 俺がやってやるって言ってんだろうが!」
こうなるともう意地に近い。
自分のクラスのゴミ捨ては一瞬で終わったのに。
手を伸ばして底の方のゴミを引っ張りだした時、急に巴が大声を張り上げた。
「ストップ! ストップストーップ!
荒井先輩、そのまま一旦停止!」
「はあ?」
訳がわからないものの、勢いに押されて素直に動きを止める。
巴が駆け寄ると荒井からゴミ箱を奪い取る。
そのまま、その場にゴミをひっくり返した。
「お、おい」
「確かに今……」
聞いちゃいない。
呆然と見ている荒井にかまわず地べたにぶちまけたゴミを見聞していた巴が、やがて歓声をあげて何か小さな物を取り出した。
「あったーっ!
良かった〜……あ、失礼しました荒井先輩。続きお願いします」
唐突に素に戻るとゴミをかき集めてゴミ箱にまた入れて荒井に箱ごと渡す。
なんなんだ、一体。
ゴミを捨て終わると空になった箱を巴に渡す。
「じゃあな」
楽をするつもりでゴミ捨てにきたのになんだかどっと疲れたな。
そんな事を思いながら自分のクラスのゴミ箱を持って立ち去ろうとした荒井を、再び巴が呼び止めた。
「あ、ちょっと待ってください荒井先輩。あと3分」
今度はなんだ。
億劫そうに歩みを止めた荒井に巴が何か差し出した。
ボタン。
青学の校章があしらわれた。
「さっき落ちました」
その言葉に自分の胸元を見ると、確かにボタンが一つない。
そう言えばさっき腕を伸ばしたときに何かが千切れる音がしたような気がする。
……さっき、というと。
「ちょっと待て。
お前さっきの奇行はこれ探してたとか言わねえだろうな」
「これ探してたんですけど?」
当たり前のように巴が返す。
「バカじゃないのかお前!?」
「だ、だれがバカですか!
荒井先輩にだけは言われたくないですよ!」
「こんなもん、どうだっていいだろうが」
換えのボタンだって家を探せばあるだろうし、なければ一番上のボタンは普段閉めないので流用したっていい。
さもなくば購買で買ってきたっていいのだ。
そんなに必死になって探すほど価値のあるものじゃない。
しごくもっともな感想だと思うのだが、巴にとってはそうではなかったようだ。
「なに言ってるんですか!
これ、第二ボタンですよ!?
制服のボタンの中で一番大事なボタンじゃないですか!」
第二ボタン。
確かに取れたボタンは上から二番目のボタンだけど、だからと言ってどうでもいい事に代わりはない。
別に荒井だって女の子にとって男子の制服の第二ボタンが重要な意味を示していることは知っている。
けれど、卒業式を控えた三年でもない荒井にはやはり意味のないものだし、自分で認めるのは業腹だが渡す当てだってないし今後あるとも思えない。
「だからダメなんですよ荒井先輩は。
第二ボタンに代わりなんてないです。
はい、つけるから学ラン貸してください」
一刀両断。
やはり全く理解できないがとりあえず巴にとってはダメらしい。
と、そんな ことを思っていたので反応が遅れた。
「……つける?」
「はい、つけます。だから3分」
「お前が!?」
「早く貸してください。3分過ぎます」
「お前が!?」
思わず二度同じことを繰り返す。
はっきり言ってこいつにテニス以外に得意なモノがあるとは到底思えない。
……あ、そういえば意外に料理はできるんだったな、と夏の合宿を不意に思い出す。
いやいやいや、しかしそれとこれとは別問題。
「つーかなんでお前がソーイングセットなんか持ってんだよ!
オンナみたいに!」
「今の言葉、どーいう意味ですかっ!
いいから、早く、脱いでくださいっ!」
……まあ、要するに。
だから俺は赤月に最終的に頭があがらない運命らしい。
校舎内の階段に腰掛け、巴の手許に移動した自分の学ランを見る。
寒い。
なんだ今日は厄日か。
巴の手つきは予想通り危なっかしい。
「……なんでわざわざ、お前がボタン付けするんだ」
「え、だって、私のゴミ捨てを手伝ってくれたせいで取れたわけですし。……まあ、頼んで無いですけど」
「あー、そうかよ」
やっぱりコイツは一言多い。
やがて、巴がやっと学ランを荒井の手に戻す。
見てみると、意外にしっかりついている。
若干、固すぎるくらいに。
「……サンキュ」
「これで当分取れませんよ!
来年の卒業式の時に女の子にねだられた時はハサミで切ってください。
……まあ、百万分の一くらいの確率でしょうけど」
学ランを羽織りながら、ふと荒井は思い立ったことをそのまま口にしてしまった。
「お前、さっきから第二第二って言ってるけど欲しいのかコレ」
「な……、そ、そんなはずないじゃないですか! 自意識過剰にも程がありますよ! 自意識過剰っ!」
機関銃のようにまくし立てられて自分の失言を後悔する。
確かに、いまのは自意識過剰だった。
「……でも」
「あ?」
「…………荒井先輩が自分だけボタン残ってて寂しいなーとか思うんだったらその時はもらってあげてもいいです」
小声の超早口で言うと巴が駆け足で教室に戻ろうとする。
当然ながら廊下を走ることは禁じられているのだが。
「お、おい、赤月!」
呼び止めるが、振り向く気配はない。
「ゴミ箱忘れてるぞオイ! ……聞けよ人の話……」
手許に残された二つのゴミ箱を見て軽く溜息をつくと、荒井は両手にひとつずつゴミ箱を持って歩き出した。
まずは自分の教室へ。
そしてその後一年二組の教室へ。
非常に顔をあわせづらいのはこちらも同じなのだが、とりあえずこれだけは伝えておこう。
来年の卒業式、糸切ハサミは持っておいてくれ、と。
|