ひとつ、深呼吸する。 大きく息を吐いて改めて前を見、意を決して右手を伸ばす……。 「あのー」 「なんだよ!」 横から裕太の顔を窺い見ながら巴が怪訝そうに言う。 「実家に入るのにどうしてそんなに緊張してるんですか?」 そう、今裕太がいるのは自分の家の前である。 どこからか(などと言うまでもなく出所はわかりきっているが)巴のことを聞きつけた由美子が是非連れて来てほしいと裕太に言ってきたのだ。 ちなみに巴は由美子が占いをしてくれる、というのでほいほいと喜んでやってきた。 深く何か考えることもなく。 「う、うるせぇな! 家帰るだけだったら緊張なんかしねえよ」 「……私がいるからですか? やっぱり迷惑だったんじゃ」 鈍いっつーかズレてるっつーか。 「そういう意味じゃねえって! 大体呼んだのは姉貴なんだし……」 そう言ったところで不意に玄関の扉が開く。 中から現れたのは由美子だ。 「ちょっと、ごちゃごちゃ騒いでいないでさっさと入りなさいよ」 「な……気づいてたんなら早く言えよ姉貴!」 「だって面白そうだったから」 返す言葉もない弟を尻目に由美子は巴の方へ向き直る。 「あなたが巴さん?」 「あ、はい。不二先輩と裕太さんにはいつもお世話になってます」 巴が慌ててぺこり、と頭を下げる。 「やだ想像通りかわいい!」 「や、そんな! お姉さんみたいに綺麗なに褒めてもらえるような顔じゃないですよ!」 赤面し慌てて手を横に振って否定するが、その仕草さえも由美子のツボにはまってしまったらしい。 さておき巴の手を引いて邸内に招き入れる。 完全に置き去り感漂う裕太も仕方なく後に続く。 「やあ、いらっしゃい、モエりん」 リビングにはくつろいだ様子で読書をしていた不二が顔をあげ、二人に会釈する。 「あ、不二先輩お邪魔します」 「ってなんで兄貴までいるんだよ!?」 「いやだなぁ裕太、ボクが自分の家にいるのがどうしておかしいのかな」 「こないだ電話した時、今日は出かけるって言ってたじゃねえか!」 「だってこっちの方が面白そうだから」 明瞭簡潔。 なんと言おうと不二にはカエルの面になんとやらである。 そして言うまでもなくいつものことである。 「じゃ、ここ座って」 「はい」 「さて、何を占いましょうか?」 巴の向かいに座ると由美子は商売道具のカードを広げる。 さすがにプロなだけあって本格的だ。 「じゃあ全体運で」 「えーっ!? 恋愛運じゃないの?」 珈琲を入れていた裕太が由美子の言葉に思わず顔を上げると同じように反応した不二の姿が目に入る。 当の巴はあっけらかんとした反応だ。 「恋愛運ですか? んー、これから素敵な出会いがあるか、とかですかね」 これからかよ! 不二がどういう表情をしているのか見たくないのでカップを運ぶことに集中する。 動揺を悟られないようにしながらテーブルにカップを置く。 自然仏頂面になってしまうのは仕方がない。 「これからかぁ。うちの弟たちじゃダメなのかしら?」 「姉貴!?」 カードを混ぜながら笑顔でとんでもないことを言う。 「え、そ、そんな! ダメとか以前にありえませんよ! テニスで散々お世話になってるのに畏れ多い」 「……そうなの?」 「はい!」 「今日は本当にありがとうございました! 楽しかったです!」 「じゃあね、モエりん」 「こちらこそ、また気軽に遊びに来てね」 帰り際、玄関口でぺこりと巴が頭を下げる。 由美子の言葉に嬉しそうに顔を輝かせた。 「本当ですか!?」 「もちろん! 弟たちナシでもまったく問題ないわよ?」 「ほら巴、もう帰んぞ」 和やかな会話を裕太がぶった切る。 名残惜しそうに手を振りつつ巴が外に出て、裕太の手で扉が締められる。 「姉さん、随分彼女が気に入ったみたいだね」 「ええ、周助ももっと早く会わせてくれればよかったのに」 「……ボク?」 不二の言葉に返答を返さず由美子は大仰にため息をつく。 「あーあ、それにしても『あり得ない』とか言われちゃうなんて、うちの弟たちはダメねえ」 「だから姉さん、『弟たち』じゃなくて『裕太』でしょ」 由美子は聞く耳持たず鼻歌を歌いながらテーブルを片づける。 それを見ながら不二はひとつ、困ったようにため息をついた。 |