休日、スクール練習のあとに観月は駅まで巴を送る。 もうすっかりこれは習慣化している行為だ。 寮とは若干方向がずれているが大した距離でもない。 その少しの時間に、その日の練習内容の反省や、最近の徒然のことなどを話す。 大体において前者が観月であり後者が巴である。 春から始まったそんなやりとりも、じきに季節を一巡りする。 そんな冬のある日に、唐突に巴が言った。 「観月さん、観月さんは恋したことありますか?」 「……は?」 巴の質問はただ純然たる好奇心によるものが殆どだが、それだけにタチが悪い。 いきなり何を。 観月は内心の動揺を押し隠すように咳払いをする。 「今度は誰に何を吹き込まれたんですか?」 「いや、そういうんじゃないんですけど、この間の合宿の時にですね、柳沢さん達に『初恋もまだなのはおかしい』ってバカにされちゃいまして で、観月さんはどうなのかなーって」 やっぱり吹き込まれている。 無邪気に尋ねてくる巴に、観月は微かに眉を顰める。 本当に微かなので、巴が気づくことはない。 「…………」 「…………」 「…………」 「……言っておきますが、いくら待っても答えは返しませんよ」 「え〜、観月さんのケチ」 やっぱり中学生にもなって初恋もまだなんておかしいのかなぁ、なんてことを小声で巴がつぶやく。 観月に対しての言葉ではなく、独り言のようだ。 恋ならしてる。 したことがある、ではなく今現在真っ最中だ。 今隣にいる巴に特別な感情を抱いている自分を自覚してから随分になる。 けれど、彼女は恋をしたことがないと言う。 なら、こうやって隣同士で歩いていても意識はしない。 電話がかかってきても、緊張したりしない。 ふとした時に無意識に姿を探したりしない。 ……自分とは違って。 それは何だか少し癪に障る事実である。 もっとも、別の誰かの名前を挙げて恋をしているなどといわれるよりはずっといいのだけれど。 交差点に差し掛かったところで今まで風を遮っていた生垣が途切れ、冬の風が直撃する。 その冷気に思わず巴が首をすくめた。 信号は、赤。 長い髪が、風に舞った。 「あ」 何気なく観月が手を伸ばし、巴の髪に触れた。 こめかみの辺りに、指が当たる。 突然伸ばされた手に驚いたのか、大きく眼を見開いたまま巴が動きを止める。 「おそらくさっきの風に運ばれてきたんですね。 枯葉が、髪についていましたよ」 そう言って小さな枯葉の欠片を巴に見せると手を放す。 観月の指先から、枯葉は再び風にのって舞い上がり、視界から姿を消す。 信号が、青に変る。 「ん? どうかしましたか、巴くん」 歩き出そうとした観月が、巴が立ち止まったままなのに気が付いて振り返る。 観月の言葉に我に返った巴が、慌てて横断歩道を渡りだす。 「…………た」 「はい?」 単に言葉が聞き取れなかったので怪訝な表情を浮かべた観月に、巴は目を逸らしながら赤い顔でぼそりとつぶやくように言った。 「……一瞬、キスされるのかと思いました」 ……思考停止。 再読込。 読み込み終了。 「……はあ!? な、何を言っているんですかキミは! そんなわけないじゃありませんか! それともなんですか、キミはボクが同意もなしにそんなことをする人間だと思っているんですか!?」 リトマス試験紙のようにたちまちのうちに赤い顔になった観月がまくしたてる。 元々肌の色が白いので、はたから見てもハッキリとわかる。 「いえ、あの、スイマセン別にそういうつもりじゃなくて! ちょっと、ビックリしたっていうか、その……失礼しました!」 「まったく……同意が無いうちはそんなことしませんよ」 「え」 その台詞はまるで。 巴が、観月の顔を見上げる。 「何か?」 「あ、いえ、いえ何も!」 巴の言葉に再び前を向いて歩き出した観月の頬は赤い。 けれど、それはさっきからずっとだ。 多分、今のは自分の勘違いだろう、と巴は一人首を振った。 自意識過剰も甚だしい。 さっき『そんなわけがない』と言われたばかりなのに。 横断歩道を渡り終える頃に青信号が点滅を始めた。 そこから駅までの間、ぎこちなく、そしてなんだか食い違ったちぐはぐな会話を繰り広げ、改札で分かれてから別々の場所で二人、同じように溜息をついた。 溜息の理由を、その名を彼は知っている。 その溜息の意味も、動揺の理由も、彼女はまだ知らない。 |