手に取った瞬間、いきなり景気よく鳴り出した携帯を危うく観月は取り落としそうになった。 心臓に悪い。 よりにもよって今日、こんなタイミングで電話をしてきたのは一体どこの誰だ。 下らない用件だったら容赦しない。 腹立たしい思いで携帯のディスプレイを見た観月はそこでまた携帯を落としそうになる。 普段の彼には到底ありえない様子で急いで通話ボタンを押すとそれまで急かすように鳴り響いていた着信音に替わって元気のいい声が耳に届く。 「おはようございます、観月さん!」 「おはようございます、巴くん。今日は…」 スクールの練習は休みですよ。 そう続けようとした観月だったが、巴の声の背後に微かに聞こえた声と物音が気になった。 もしやと思うと同時に部屋の扉がノックされる。 「改めて、おはようございます!」 携帯を片手に扉を開くと、やはり同じように携帯を手にした巴の姿。 真正面にいる彼女の口元と、観月の耳元から同時に同じ声が届く。 「巴くん! どうしてここに…!」 言いかけたところで自室のドアを開けている事に気付き慌てて後ろ手に扉を閉める。 「妙に素早くドアを閉めただーね? 何かマズイものでもあるだーね。エロ本とか」 「……なっ!!」 「くすくす、そうなの観月?」 巴の両横から柳沢と木更津が口を出す。 「そんな訳ないでしょう! 貴殿方と一緒にしないでください!」 寮の人間の許可がないと部外者は寮内に入ることは出来ない。 当たり前だが自分は彼女を呼び入れていない。 となると当然、自分以外の誰か……今一緒にいるところを見るとこの二人が巴をここに招き入れたのだろう。 それがなお一層観月には面白くない。 なので自然声にはいつもよりトゲが混じる。 「さあ。どうだか怪しいもんだーね」 「大丈夫ですよ観月さん、別に偏見とか持ちませんから」 「だ、か、ら、違うと言っているでしょう」 フォローのつもりなのか知らないが、ナナメ方向にズレた巴の発言に観月はどっと疲れを覚えながら反論する。 巴はともかく後の二人はこちらがムキになる程面白がるという事はわかっているのだが。 「で、一体ボクに何の用ですか?」 半眼で言う観月の顔にはありありと「不機嫌」と書いてある。 それに巴は気が付いているのかいないのか。 「観月さん、今日はお暇ですか?」 「は? 別に暇をもてあましているというわけじゃありませんよ。 …………まあ、何か時間に追われている用事があるわけではありませんが」 そう言うと、巴の顔がぱっと輝いた。 多分、彼女の耳には前半の『暇をもてあましているわけじゃない』という部分は入っていない。 「じゃあ、前の約束は今日有効ですか?」 「約束?」 「お茶をごちそうしてくれるって、前に観月さん約束してくれましたよね」 情けないことだが言われてやっとはっきりなんの話だか理解した。 観月の誕生日の時の話だ。 確かにあの時巴にいずれもらった茶器で彼女にお茶を淹れると約束した。 しかし何故今頃になって突然そんな話を持ち出すのか。 ……しかも、今日。 「ダメですか?」 観月の表情に一瞬浮かんだ困惑を感じ取ったのか、巴の声のトーンが下がる。 彼女のこういう様子に、観月は弱い。 もとより断る理由はないのだが。 「かまいませんよ。 ただし、巴くんだけですが」 「ケチくさいだーね」 「……柳沢君、その口、縫い付けられたいんですか?」 若干の余裕を取り戻した観月が、静かに言うと、ピタリと柳沢が口を閉じる。 「くすくす、柳沢、引き際ってモノをそろそろ覚えないとね。 じゃあ赤月、僕らはこれで」 「あ、はい。 木更津さん、柳沢さん、ありがとうございました!」 にっこり笑って手を振る木更津に、ぺこりと巴が頭を下げる。 なにが『ありがとう』なのかよくわからないがなんとなく面白くなかったので早々に扉を閉める。 「あれ、部屋に入っちゃってよかったんですか?」 「ティーセットはここにありますからね」 「でも、さっきは――」 慌てて扉を閉めて、見られないようにしていたのに。 観月に薦められるままに座卓の前に腰を下ろした巴は散らかった部屋でも想像していたのだろうか、不思議そうに部屋に視線を一巡りさせる。 「それより巴くん」 「はい?」 引き出しからいくつか茶葉を出して検討しながら観月が口を開く。 「ボクにお茶を淹れてもらうのが本日の目的だったのですか?」 「はい」 「じゃあ、どうしてボクにまず連絡をいただけなかったんでしょうか。 訪ねてみたがボクは不在だった、そういう可能性は大いにあったでしょう」 ポットのお湯をカップに注いで暖める。 そういえばこの部屋には砂糖の類はない。 渋みの少ない茶葉を選んだつもりだが、大丈夫だろうか。 「そうですね。 でも、観月さんが驚くかな、って思って。 いなかったときは……運がなかったと潔く諦めようかと」 「確かに、驚きましたけどね……あともう一つ。 どうして今日なんですか?」 ポットにお湯を注ぎ、時計で蒸らす時間を確認する。 茶葉が開き、紅茶の香りが部屋中に広がっていく。 観月の質問の意図を測りかねた巴が、不思議そうな顔を見せる。 それが観月には歯がゆい。 「だからですね。今日は、巴くん……キミの誕生日でしょう?」 そういうと、観月は机の上に手を伸ばし、そこにおいてあった包み――シンプルな包装ではあるが明らかにプレゼントの包装だ――を驚きに目を見開いている巴の手に握らせた。 先ほどはこれを見られないために必死になって扉を閉めたものの、案外それは目に付くものではなかったらしい。 「お誕生日、おめでとうございます」 「え? あ、ありがとうございますっ! ……観月さん知ってたんですかぁ?」 いささか間の抜けた声を巴があげる。 本当に心底予想外だったらしい。 「知っていましたよ」 「はぁ〜、観月さんにはなんでもお見通しなんですねぇ」 「まさか。ボクが知っていたのは今日がキミの誕生日だというその事実だけですよ」 だから、キミを呼び出そうとして携帯電話を手に取った瞬間にその当の本人からかかってきた電話にどれほど驚いたか。 あげく扉のすぐ向こうから。 計算違いも甚だしい。 キミに関してはボクの予測はまったく役に立たない。 予測どころか、こうしてキミを目の前にしてもまだ何もわからない。 「今日が、誕生日だからですよ」 「?」 「お茶の約束をもらったのが、観月さんの誕生日じゃないですか。 だから、できればそれは私の誕生日がいいなって、ずっと思ってたんです」 それが今年の自分自身への誕生日プレゼントなんです、と。 そう言って巴は少し照れながら笑った。 「…………」 「あ、すいません、勝手に決めちゃって」 「……………いえ、そんなことはいいんですが。 だったら尚更、事前に連絡をして欲しかったですね。 万一くだらない予定を入れてしまっていたとしたら後悔したでしょうから」 紅茶をカップに注いで巴に渡す。 カップを受け取った巴が嬉しそうに紅茶の赤に見惚れている。 少し猫舌なのか、慎重に冷ましながら紅茶を一口口に入れ、歓声を上げる。 これぐらいのことで喜んでもらえるのなら毎日だってキミだけの為に紅茶を淹れてあげるのに。 「観月さん、それじゃまるで私に紅茶を淹れてくれる事がすごく大事な用みたいじゃ無いですか」 「大事な用ですよ、とても。 特別な理由がなくたって、いつでも望んでくれてかまわないんですから。ただ――」 ただ。 今後ここに来るときには絶対に自分以外の誰かに頼んだりしないでくださいよ。 一旦言葉を途切れさせると、観月は一気にそう言って拗ねたような表情で視線を逸らした。 ――― HAPPY BIRTHDAY!! ――― |