観月が中等部から高等部にあがる事によって変化したもの。 校舎と寮の位置。 一部の外部入学生徒。 そしてもうひとつ。 今まで最上級生であった身が一気に最下級生になってしまった事。 これはつまり、今までのように自由に自分の予定を突き通す事が出来ない、と言う事で。 「そういった理由で。申し訳ありません」 そうやって観月に頭を下げられると、巴に何も言える筈もない。 高等部の特別練習日と巴の誕生日、それが今回見事に重なった。 休日なので一日観月と一緒にいられる、と思いきや休日であったが為に一日会えないという皮肉な結果。 とは言え、目の前で頭を下げて謝る観月に落ち度はまったくない。 部活を優先するのも当然だ。 「じゃあ、先にお祝いしちゃいましょう!」 と、前倒しで誕生日祝をしてもらったのが先週の事。 観月の前できき分け良い彼女を通した巴は、 今、早川に愚痴りまくっていた。 「あーあ、せっかくの誕生日にヒトリかあ」 「そんなに当日に祝って欲しかったんならそう言えばよかったじゃない」 「……そんなワガママ言いたくない」 「じゃ、我慢しなさい」 ばっさりと早川が切り捨てる。 そもそも彼女はこういった非生産的会話が好きではない。 それでも、いささかなげやりではあるが一応巴の相手をしてやっているのは、結局のところ選択肢がひとつしかなかった彼女がここで愚痴るくらいしかうっぷんのはけ口がないのだとわかっているからだ。 「楓ちゃん、明日の予定は?」 「別に何もないから自主練習に費やすつもりだけど」 相変わらず練習熱心である。 もっとも、それに関しては巴も大差ない。 勢いよく顔を上げる。 「じゃあ、一緒に行こう!」 「あら、私はさしずめ観月さんの代理、なのかしら?」 意地悪く言う早川に巴が頬を膨らませる。 当然、わざと言ったのだが。 「そんなんじゃないって!」 「はいはい。 ほら、貴方まだお風呂入ってないんじゃないの? もうすぐ利用時間が終わるわよ」 早川の言葉を聞いて時計に目を遣り、慌てて立ち上がる。 「うわ! ホントだ! 急がないと!」 慌ただしく入浴準備を整える巴に、 「慌ててお風呂に入るのはいいけど、あがったらちゃんと髪乾かしてから寝なさいよ。 全館冷房なんだから濡れたままじゃ風邪引くわよ」 早川がさながら母親のように声をかけたが、聞こえているのかいないのか、巴は猛ダッシュで部屋を飛び出して言った。 ……先に廊下は走るな、と忠告した方がよかったかもしれない。 そして翌朝。 部屋中、いや寮内に響きわたったのは早川の怒号だった。 「アンタねえ、人の忠告をなんだと思ってるのよ!」 彼女が怒るのも無理はない。 忠告を受けたその日に巴はうかつにも睡魔に負けて髪を乾かすことなく濡れ髪のまま眠りこんでしまい、まんまと風邪を引いて寝込んでいるのだから。 「うぅ、反省してます……」 情けない声をだす巴に、早川は容赦ない罵声をあびせる。 「当たり前よ! 言っとくけど、私に感染したりしたらただじゃおかないから」 そう言うと、巴の額にタオルでくるんだ保冷剤をのせると、傍らに置いてあった自分のスポーツバックを持って立ち上がった。 「あれ、楓ちゃんどっか行っちゃうの?」 「昨日も言ったでしょ。自主練習」 いいながら振り返ると巴がさながら捨てられた子犬のような目でこちらを見ている。 「……寂しい」 一瞬迷う素振りを見せた早川だったが、すぐに思いなおすと「自業自得よ」ともっともな台詞を投げかけて部屋を去った。 扉の閉まる音。 廊下を去っていく早川の足音。 それが段々と小さくなり、消える。 静寂の中で、自分の熱っぽい息を吐く音だけが耳につく。 そういえば、熱出したのも久しぶりだな。 観月さんは、今頃どうしてるかなあ。 もう部活に行ったのかな。今日は特別練習だって言ってたし。 初めて今日予定がつぶれていて良かった、と思った。 観月と約束をしていたら、心配をかけていただろうし、自分のがっかり具合だって今の比じゃなかっただろうから。 そんなことを考えている間に、ゆっくりと巴は眠りについていた。 額に当たる冷たい感触に、意識が戻る。 人の気配にうっすらと瞼を開く。 「おや、起こしてしまいましたか?」 耳に心地いい声。 視界に入ったその姿に、一気に覚醒する。 「み、みみみみみ観月さん!?」 慌てて顔をあげた拍子にタオルが落ちた。 どうやら保冷剤を取り替えてくれていたらしい。 熱があるのに勢いにまかせて急に起き上がったりした為、めまいに襲われる。 「大丈夫ですか? 巴くん」 かけられた声に、我に返る。 夢じゃない、本当に本物の観月だ。 「……観月さん?」 「なんですか?」 「今、何時ですか?」 「1時を少し過ぎたあたりですね」 時計に目を遣り観月が答える。 平静を装っているが、なんとなく巴の狼狽ぶりを楽しんでいる節がある。 そうわかっていても訳がわからないので尋ねずにはいられない。 巴に腹芸などできる筈がないのだ。 「観月さん、部活は? なんでこんなところにいるんですか?」 巴の質問に、観月は巴が机の上に置いていた携帯電話を手にとって渡した。 受け取ると、メール着信を示す青いランプが点灯している。 「キミの質問の答えは、おそらくこの中です」 二つ折りの携帯を開く。 発信元は、……早川。 そして、ルドルフテニス部の皆。 「一年に一度の事ですからね。 特例としてボクも彼らの思惑に乗ったわけですが……」 ここで、観月が言葉を途切れさせる。 「キミは病人なわけですし、ボクがここにいる事が落ち着かないと言うことであれば遠慮なく言ってください。 ただ、本音の答えを。 その答えが肯定でも否定でも、ボクに対する気遣いや遠慮はなしにして正直な気持ちだけで答えてください」 しばらく、返事がなかった。 巴は携帯電話の画面を凝視したままだ。 やがて、ゆっくりと携帯を閉じると、観月のほうを向く。 「観月さん、私、果報者ですねぇ」 そんな事を言ってなんともうれしそうな顔を見せる。 自分だけの力でその表情を引き出したわけでないことは若干複雑だが、彼女のそんな顔を見られるのは素直に嬉しい。 せっかくの誕生日に風邪で寝込んでしまっている不運よりも、皆にこうして想われている幸福を喜ぶ事ができる。 それが彼女の最大の長所なのだろう。 「……正直なところ、観月さんが傍にいたら、緊張してもったいなくておちおち寝ていられないです。 でも……観月さんが傍にいてくれたら、嬉しいです。ここにいてもらってもいいですか?」 考え考え口にした巴の言葉に、観月はにっこり微笑んだ。 「んふっ、当然ですよ。 ああそうだ、言い忘れていました。巴くん……」 そう言うと、観月は他にこの場に誰も彼らの言葉を聞く人がいないにもかかわらず、巴の耳元に顔を寄せ、小さな声で囁いた。 ――― HAPPY BIRTHDAY!! ――― |