聖ルドルフスクール組が利用している自由の森テニススクールに、闖入者が入り込んでもう、随分になる。 今ではもうすっかりメンバーの中に溶け込んで、逆に彼女の着ているユニフォームが青学のものであることに違和感を感じるくらいだ。 その彼女――赤月巴は今、観月に何ごとか話しかけ、ご不興を被っている。 また何か迂濶なことでも言ったのだろう。 野生の勘と勢いだけで行動しているんじゃないかと思わせる彼女の言動は、完璧主義の観月とは正反対だ。 よってこんな光景は日常茶飯事である。 そして、これもまたいつもの如く巴に軽く流されている。 今回もうやむやのまま巴は無理に観月の腕を取ってコートに引っ張っていった。 観月とラリーがしたいらしい。 対して観月は、赤い顔で抗議しているが、馬耳東風という奴である。 やがて諦めると、軽く捕まれた腕に一瞬目をやって、小さくため息をつく。 コートの反対側に向かっている彼女は気付かない。 これは特別だからじゃない。 何か特別な感情があって自分に関わっているわけじゃない。 そう自分にいい聞かせているのが聞こえてくるようだ。 「ばかだなぁ」 つい、そんな呟きが木更津の口から洩れる。 誰でもいいのなら、スクールに来る前に観月にわざわざ連絡をする必要なんてない。 巴がいつも誘いをかけるのは観月だ。 そんなことにも気付かない。 対して、巴はそんな自分に自覚もないのだろう。 ただ無邪気にここに来ては観月に笑顔を見せる。 自分の想いにも、観月の気持ちにも気付かない。 前に進まない巴。 前に進めない観月。 中ぶらりんのまま前に進まない二人。 「……本当、バカだよね」 「ん? 淳、何か言っただーね?」 再度の小さな呟きを聞き咎めた柳沢がこちらを向く。 くすくすと笑って木更津は視線の先の二人を指差した。 「あの二人。 いい加減つきあっちゃえばいいのにね」 観月と巴の姿を認めると、柳沢は肩をわざとらしくすくめてみせる。 スクール組の連中には観月の想いは周知の事実となりつつある。 「ま、所詮ヒトゴトだーね。 くっついたからって観月が口やかましくなくなるわけでもないだろうし。 ……けど、赤月は知らないんじゃなかったっけか?」 「何を」 「観月が、赤月を俺たちとの練習に誘った最初の理由」 「あ」 策士観月が巴をスクール組に引き込んだそもそもの理由。 青学のテニス部員としての立場は情報収集に役立つ。そう判断して彼女に近づいた時には観月は今の現状など予想もしなかったろう。 「まあ、結局役にたったとは思えないだーね」 「……そうだね」 むしろ諸刃の剣を取り込んだと言える。 青学とスクールでの異なるメンバーとの練習に参加した結果、初心者だった彼女は青学ミクスドの中心選手にまでのしあがっている。 手強い敵を自ら産出してしまったというわけだ。 目論んでいた成果は果たせなかったものの、観月の中でこの事実は重いのだろう。 結果はどうあれ、事実として彼は巴を利用するつもりだったのだから。 ……もし。 もし、彼女にこの事実を突きつけたらどうなるだろう? 君が慕っている観月は、計算づくで君に近づいたのだと。 さすがの彼女も、いくばくかのショックを受けるのだろうか。 「ま、知ったところで何も変わんないでしょ」 柳沢の言葉があまりにタイミングが良かったので一瞬自分の考えが口に出ていたのかと驚いたが、偶然だった。 「何ヵ月か前ならまだしも、今そんなこと聞いたって、逆に納得するだけだーね」 確かにそうだ。 観月の人となりを知りきっている今なら、ショックを受けるよりむしろ納得するだろう。 それで何かが変わることなんてあり得そうもない。 いや、ひょっとしたらもうとっくの昔に彼女はなにもかも知っているのかもしれない。 わかってる。 きっと知っていたとしても知らなかったとしても、彼女は何も変わらない。 それだけ今の観月を信じているから。 自分が何か言ったとしても、それを思い知らされるだけだろう。 だからいっそ、今の曖昧な関係ではなくはっきりとした事実を突きつけて欲しいのに。 そうじゃないといつまでも儚い期待を胸に抱き続けてしまう。 外からの景色は、事実をあからさまに映しているのに。 「淳?」 「いや、なんでもないよ。 じゃあこっちも練習再開しようか」 そう言って立ち上がると、雑念を振り払うようにハチマキを締めなおすと、木更津はラケットを振ってコートに向かって歩き出した。 |