髪を整えて、バッグ用意して。
あ、服もこれじゃダメだ。
靴はどうしよう。
「ああ、もう時間がない〜!」
「赤月うるさい」
時計を見て悲鳴をあげた巴に、リョーマがクレームをつける。
ばたばたと大騒ぎしている巴と裏腹に、リョーマはあくびなんかしながらのんびりと今から朝食にとりかかるところだ。
それもそのはず。本日は日曜日である。
部活も休みである今日、朝から慌てる理由は何一つない。
巴も、さっきまでは同様だった。
さっき、一本の電話が架かってくるまでは。
いきなりの電話は、その中身もいきなりだった。
『おはよう、巴。
今青春台の駅にいるんだけど』
声の主、佐伯はあっけらかんとそう告げた。
面食らったのは巴である。
「せ、青春台って青春台ですか?」
『うん、君の住んでいる青春台』
他に青春台があるかどうかは知らないが思わずそんなバカな質問をしてしまうほど突然だった。
『え、で、いきなりどうしたんですか?』
訳が解らず尋ねた巴を、佐伯の解答はさらに混乱させた。
『デートのお誘いに来たんだけど』
「え!? あの、え、誰を」
先程に輪をかけてバカな質問である。
だけど、佐伯は楽しそうにその質問にも答えた。
『もちろん、巴をだよ』
快活に答えられても、返答に困る。
一体今自分に何が起きているのか。
あれ、実は私まだ寝てる?
両手で握りしめていた携帯から左手を離し、頬をつねってみる。
痛い。
「私、そんな約束してましたっけ?」
「してないよ。
で、巴。今日は空いてるかな?」
明らかに話す順番がおかしい。
それって真っ先に言うべき台詞じゃないんだろうか。
「空いてますけど……」
で、今の状況と言うわけである。
別に急がないでいいよ、とは言ってくれたのだけれど急がないわけには行かない。
到着するまでの時間=待たせている時間なのだから。
慌てて家を飛び出して、すぐに忘れ物に気が付いて Uターンして。
再び駆け足で駅前まで向かう。
全力で走ったおかげで、予想よりもずっと早く駅前に到着した。
佐伯が待っている、と言っていたコーヒーショップも目の前に見える。
店内に駆け込もうとして、咄嗟に立ち止まり、ガラスに映った自分の姿を確認する。
さっき直したはずの髪が、走ったせいでハネている。
ああ、もう。
慌てて手ぐしで髪を整えて、改めて店内に入る。
一歩店に入った瞬間に、佐伯と目があった。
その表情を見て、嫌な予感を感じて後ろを振り返る。
店の中からは、とても、よく外が見えた。
「…………お待たせしました」
見えてた、絶対に見てた。
店の前で身だしなみチェックしてた間抜けな姿を。
「いや、早かったよ」
にこやかに言う佐伯は、それに触れないけど明らかに口の端が笑ってる。
「……見てました、よね?」
「何を?」
「とぼけないでください!
っていうか、いきなり呼び出すのはナシですよ!」
恥ずかしいの半分で声を荒げた巴に、佐伯はごめんごめん、と軽く笑い、お詫び代わりに巴にドリンクを買って来てくれた。
ありがたくいただきながらも、巴は憤懣やるかたない思いでいっぱいである。
「サエさんがあせらせるから悪いんですよ」
「だからゆっくりでいいって言ったのに」
「そんな言葉、鵜呑みにできるはずないじゃないですか。
女の子は支度に時間がかかるんですよ。
ちゃんと、前もって言ってくれないと困ります」
走ったせいで暑い。
冷たいジュースはあっという間になくなっていく。
「うん、そうだろうな、とは思ったんだけどね」
「確信犯ですか」
それはそうだろう。
そつのない佐伯が、そんな基本的な見落としをするなんて、ありえない。
「うん。
けど、急に巴に会いたくなったから」
「…………う」
その台詞は反則だ。
どう反応したらいいかもわからないで、巴はストローで無為にグラスの中の氷をかき回す。
「要するにまあ、俺のワガママ。
許してもらえないかな?」
本当にこの人は卑怯者だ。
そんな切り札を出されたら、こちらは怒れない。
我侭勝手を嬉しいと思ってしまう時点でこちらの負けだ。
だから、せめて小さな反撃を試みる。
「許しませんよ」
じろり、と上目遣いに見ると少しだけ困ったような佐伯の顔が見えた。
「怒ってます。
……だから、今日1日かけて償ってくださいね、サエさん?」
|