今日も暑い。
焦げるような日光が佐伯の肌を指す。
目を瞑っていても目蓋の向こうに強い光を感じる。
確か日陰を選んで寝転がっていたはずだが、いつの間にか影は佐伯の側から離れて行ってしまっている。
そんなに長い間寝ていたのだろうか。
しかし暑い。
もう旧暦ではとっくに秋だ。
全国大会も終わった。
佐伯の気分としてももう夏は終わった。
なのに、なんだこの暑さは。
勝手な事を思いながら半ば意地のように目を閉じ続ける。
通常夏の大会が終われば三年は引退だ。
だがここ六角ではそもそも部活とは関係なく、子供の頃から集まってテニスをしているメンバーが大半なので大会が終わった今も彼らは部活とは関係なくテニスをしに集まってくる。
結果、あまり変化がない。
佐伯だって惰眠をむさぼるくらいならばクーラーの効いた部屋で公式の一つも覚えた方が受験生としては正解だとは思うのだがもはやこれは習性というヤツである。
「あ、いたいた。サエさーん」
この声は剣太郎だ。
こちらに駆け寄ってくる足音。
足音はもう一人分。
樹かダビデといったところか。
「んー、どうかしたのかい剣太郎」
そう言いながらゆっくりと薄目を開けた佐伯は、強い日光に目が慣れる前に耳に飛び込んできた声に跳ね起きた。
「こんにちは、佐伯さん!」
真っ暗だった視界がクリアになるにつれはっきり認識できるその姿。
「え、巴!?」
剣太郎の隣にいるのはやはり巴。
楽しげに二人笑いながらこちらを見下ろしている。
「はい、巴です。びっくりしました?」
楽しそうに巴が言う。
驚いた。
完全に油断していた。
本当に突然何をしでかすかわからない。
素っ頓狂な声をあげてしまった自分をごまかすように軽く頭を掻いた。
「サエさん、どうかしたのか」
巴の姿を認めて、他の部員も集まってくる。
「あー、赤月なのねー」
「クスクス、どうしたの。スパイ?」
天根はともかく、本当に殆んどの三年が参加している。
彼らに巴はにこりと笑うと肩にかけていたバッグからラケットを取り出した。
「そりゃ当然、天根さんに倣って氷帝ならぬ六角百人斬りに!」
「よし、受けて立つ」
巴の言葉に天根も負けじと自慢の柄の長いラケットを構える。
「バカダビデ、本気にすんな。
大体赤月はダブルスプレイヤーだろうが」
黒羽が軽く天根の頭を小突く。
「じゃあ僕がパートナーになろうか?」
「亮まで混ぜっかえすなよ。
そもそもうちは氷帝と違って百人も部員がいねえよ」
「ははは、突っ込みが忙しいねバネさん」
「サエ……楽しんでるだろテメ」
実際問題、見ていると楽しい。
「まあ、本当の理由はコレなんですけどね。
グリップテープの巻き方、教えてもらいに」
巴が先ほどのラケットを逆にしてみせる。
一見したところではキレイに見えるが、確かにオジイほどには上手くない。
「あー……オジィに用事かぁ」
困ったように頭をかいた黒羽に、巴が不審そうに首をかしげる。
他のメンバーも微妙な表情だ。
「どうかしたんですか?」
ある程度予測されているであろう答えを、口にする。
「オジィ、今日はちょっと出かけてていないんだよ。
タイミングが悪かったね」
「えぇ〜っ!」
がっくりと肩を落とした巴だったが、またすぐに元気よく顔をあげる。
この変わり身の早さは本当に感心する。
「……まあ、いないんじゃしょうがないですよね。
せっかく来たんだし、私も練習に混ぜてもらってもいいですか?」
「ああ、かまわないぜ」
にっこりと黒羽が笑顔で言う。
誰も、もちろん異論はない。
喜ぶ巴をつれて、コートに戻った。
「あー、楽しかった!
やっぱいつもと違う人たちと練習するのって新鮮でいいですよね!」
大きく伸びをして振り返ると、巴がそんなことを言う。
西日が彼女の顔をオレンジに染める。
こんなにも暑いのに、日が暮れるのだけは早くなった。
「そうだね。俺達も楽しかったよ。
……ところで巴、一つ訊いてもいいかな?」
「はい?」
「本当に、今日はオジィに会うためにうちに来たの?」
巴が大きく目を見開いた。
「どうして、ですか?」
「だってオジィがいないって聞いた時、あまりに立ち直りが早かったから。
ひょっとしてグリップテープ云々ってのはただの口実だったのかな、って。間違ってたらゴメン」
先手をうって謝ると、ふるふると慌てて巴が首を振る。
つい、とその髪の傍をトンボが掠め飛んだ。
「……驚いただけです。
間違いなんかじゃ、ないですから」
一旦立ち止まっていた足を、再び駅の方へとゆっくり踏み出す。
歩きながら、再び口を開く。
「完全なウソじゃ、ないんですよ。
ただ、それは口実の一つで、本当は……六角の皆さんに、会いたかっただけなんです」
「俺達に?」
「はい。
全国大会が終わって……三年の先輩が引退しちゃって、ちょっと寂しかったんです。
そしたら、葵くんから六角は三年生も練習に参加してるって聞いて。
前と変わってないって、そういう雰囲気の中に入りたかったんです」
もちろん、全く前と同じなんて思ってない。
急激にではなくても、少しずつ六角だって変わっていく。
三年だって段々と練習に参加する人数は減っていくのだろう。
そんなことはわかっていて、それでも尚少しだけ錯覚したかったのだと巴は照れたように笑った。
ここは何も変わっていない、そういう幻想を。
「今日だけです。
こんなセンチな気分で押しかけたりするのは。
本当に、練習の邪魔しちゃってすいませんでした」
「いや、邪魔だなんてことはないよ。
……こっちこそありがとう」
「へ?」
ずっと抱いていた少し気怠い感傷を、突如現れた巴が吹き飛ばしてた。
そう、もう夏は終わるのだ。
先に足を進めなければ、前に進めない。
言われたお礼の意味がわからないで戸惑う巴に、佐伯は何も言わないでただ笑うと、巴の少し先を歩く。
海の方向から吹いてきた風は、もう秋の風だった。
|