関東大会、青学は優勝という最高の形で悲願の全国大会出場を果たすことができた。
しかし、それは同時に全国二連覇を誇り、常勝と謳われた立海に土がついたことを意味している。
病室の扉を軽くノックする。
「どうぞ」
中からすぐに返答があり、巴は扉を開く。
窓際に据えられたベッドの上、幸村はいつものように巴に笑顔を見せた。
大抵ベッドの周りには立海の誰かしらがいるのだが、珍しく今日は巴の他は誰もいない。
「手術成功、おめでとうございます!」
ことさらに明るい声を出しながら手に持っていた花束を差し出す。
若干小ぶりのそれを受けとると、幸村もまた巴に祝いの言葉を告げた。
「ありがとう。
巴も、関東大会優勝おめでとう」
「あ、……ありがとうございます」
やっぱりこの話題は避けられないか。
内心、ため息をつく。
巴は決勝で立海を打ち破った青学の選手だ。
お祝いを言いたい相手ではないだろう。
顔を出さない方がいいのかもしれない、とは思ったのだけれど、それはそれとしてやはり手術成功のお祝いは言いたかった。
「……」
「…………」
ベッドの傍らに置いてある椅子に腰掛けたものの、会話が途切れた。
しまった。
テニスの話題を封じてしまうと何を話していいやらわからない。
いつもテニスの話題をとっかかりにしてはいるが、最終的には全く関係のない話をしていることもザラなのに、いざ別の話、と意識すると上手くいかない。
と、先ほど渡した小さな花束が目に映る。
「あ、お花! 花瓶に挿しておきますね!
花瓶ここでしたっけ?」
「うん、その棚の下」
幸村に背を向け、備え付けられている棚の戸を開き、花瓶を取り出す。
二本あったので棚の上に花瓶を両方置き、さてどちらがいいかと思案していると、不意に背中に重みがかかる。
「幸村さん?」
幸村が、もたれ掛かるように背中に額をあてている。
「具合でも、悪くなりましたか?」
「いや」
「悪いけど、もう少しこのままいいかな。
巴の顔を見ていたら、ちょっと弱音を吐きそうだから。
……らしくないな」
背中なので、幸村の顔は見えない。
症例の少ない難病のため、その道の第一人者である京四郎からある程度の情報は入る。
なので、術後の経過が驚く程早い事や、既にリハビリも開始していることなど、あらかたの状況を巴は把握している。
他校生の誰より。ひょっとすると立海の部員よりも。
リハビリの成果は着実に上がっている。
関係者が驚くほどにその速度は早い。
しかし。それは、あくまで一般的に、の話だ。
どれだけ第三者から見て回復が早かろうが、成果があがっていようが、関係がないのだ。
その当事者にとっては。
回復が早い。
そう言われる度に逆に心の中には焦りばかりが付きまとってくる。
これで早いのならば、復帰までにはどれだけかかる?
関東大会、自分がいたなら勝てたかも知れないと思うのは傲慢な考えだろうか。
いや、それもかつての自分なら、だ。
今の自分がいたところで足手纏い以外にならないことは本人が誰より理解している。
贅沢だ。
テニスが出来なくなるかもしれない、そういわれていた術前と比べれば遥かに恵まれているのに、理性では理解していても感情がついていかない。
元の自分を追い求める。
もう、既にそんなものは存在しないのに。
「……ごめん。すぐに、いつもの俺に戻るから」
「無理に戻らなくてもいいですよ」
ぽつり、とつぶやくように言った言葉に返された台詞に少し驚いて幸村は顔をあげた。
背中を向けている巴の表情は見えない。
「らしくない幸村さんだって、やっぱり幸村さんなんですから。
弱音はいてくれるのは、嬉しいです。
私に何ができるわけじゃないですけど、グチのはけ口でもなんでも、使っちゃってください」
焦るの当たり前なんですから。
そう締めくくる。
励ましの言葉のようなものは、何もない。
それでいて、巴の言葉は幸村に力をくれる。
何が出来るわけじゃない、なんてものじゃない。
きっと自分は、彼女に守られている。
「……ありがとう」
結局、はっきりと弱音を口にはしなかった幸村に、巴は少しおどけたように言う。
「じゃあ、もう私後ろ向いてもいいですか?」
「んー……ダメ。
悪いけど、もう少し向こう向いててくれるかな」
「えーっ、どうしてですか!?」
抗議する巴に、ただ幸村は笑い声だけを返す。
顔が緩んでいるから、にやけた顔を見せたくないだけなんだけど。
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