「赤月」 「はい、なんですか?」
振り向いた巴にいつもの無表情で柳が指摘する。
「携帯が鳴っているぞ」
「え、あっ! すいません、すぐ止めます!」
柳の言葉に初めて気がついたのだろう。 雑踏の中での携帯の音は周囲に紛れて気付きにくい事がままある。 慌てて鞄から携帯を取り出し、すぐに音を止める。
無造作に止めてしまった事に、少々の疑問を覚えたのでそのまま尋ねてみる。
「出なくてもよかったのか?」
ひょっとして自分が傍にいるから気を使ったのだろうかと一瞬思ったが巴はそういう気遣いをするタイプではない。 一瞬、何を言われているのか理解できていない風の表情を浮かべた巴だったがすぐに先程の携帯の事だと気がついたらしい。
「大丈夫ですよ、アラームですから」
「アラーム?」 「はい、時間を設定しているとその時間に音が鳴る……」
何を勘違いしたのかアラームの説明を始めた巴をやんわりと押し留める。
「いや、アラームは知っている。 この時間にアラームということは、何か予定でもあったのか?」
こんな半端な時間になるアラームといえば予測されるのはそんなことくらいだ。 が、柳の予想に反して巴は首を横に振った。
「いいえ、別にこれといった用事はないんですよ。 ただ最近帰りが遅くなって心配をかけることが多かったんで……そろそろ帰らないといけない時間に鳴るように設定しているだけで……」
語尾が小さくなる。 巴が若干残念そうに携帯の画面を見つめる。
その言葉に柳も自分の腕時計で時間を確認する。
なるほど、確かに帰宅を視野に入れなければならない時刻だ。
が。
いつもなら大人しく別れを告げてもよいところだが、今日に限ってはそんな気になれない。 なんとなく、もう少し一緒にいたい。
居候で、意外に几帳面なところがある彼女は帰宅する前に一度家に連絡を入れるだろう。
「あ、帰る前に家に連絡しますんでちょっと待ってくださいね」
予測どおり、彼女が二つ折の携帯を再び開く。 常に予測不能の彼女のことでもこの程度ならわかる。 越前家の番号を押し、コールし始めたところで、おもむろに柳は巴の手から携帯を抜き取った。
「え、や、柳さん?」
慌てたような巴に構わずその携帯を耳に当てた。
数回の呼び出し音の後、女性が出る。 越前の母親か、もしくはもう一人一緒に住んでいるという越前の従姉だろう。 まあしかしそんなことはどうでもいい。
「こんにちは、自分は立海大付属中学の柳と申すものです。 現在赤月巴さんとご一緒していますが少々帰りが遅くなってしまいそうなので。 ええ、帰りは自分が家まで送り届けますので、ご報告をと。はい。では」
通話終了。
「これでよし」
巴に携帯を返す。 しばし呆然と成り行きを見守ってしまっていた巴だったが我に返って抗議する。
「これでよしって……な、なんてことを!」
「ん? やはり帰るのか?」
意外そうな口調で言う柳。 なんだか読まれきっている気がするのが悔しい。 ここで意地を張って『帰る』といってしまうことはたやすいのだけれど。
「…………ちゃんと宣言どおり、送ってってくださいよ」
不承不承といった感じの巴の言葉に、柳は微かに笑った。
「ああ、それは当然だ」
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