入学式の今日は幸いな事に快晴だった。

 桜は例年通り式の日より先に散ってしまっているが、新緑が目に眩しい。
 そして、真新しい制服に身を包んだ柳生は入学式に出たその足で、巴と待ち合わせをした公園へと向かっていた。



『明日、できれば式のあとすぐに会えませんか?』

 そんな連絡が彼女から入ったのは昨日の事である。
 式の後は別に予定もない。柳生に否やのある筈がない。



 ひょっとしてテニス以外で彼女から誘いがあったのは初めてではないだろうか。



 距離のせいもあるが、基本的に二人で会う理由はほとんどがテニスだ。
 それはそれでまったくかまわないのだけれど。



 学校から歩いてほどなく、柳生は目的地に到着した。
 そう、距離が離れていると言うのに学校傍の公園を彼女は指定してきていた。
 彼女に遠出を強いているのは大変申し訳がないけれど、彼女から是非に、との指定なので反対も出来なかった。





 彼女の姿はまだ見えない。



 この公園に入ってすぐに見える大きな樹の下。
 ゴツゴツとした樹の表面は、ひょっとしたら木登りに向いているのかもしれない。そんなことを柳生は思う。
 もっとも、この公園は遊具のある類の公園ではないので子どもの姿はまばらで、木登りをする子ども自体少なくなっている昨今、そんな事に意味はないのかもしれない。

 公園内でも、この樹の下をわざわざ巴は指定していた。
 ほかにももっと便のいい場所や判りやすい場所はいくらでもある。
 となると、きっとここを指定したという事も何か意味があるのだろう。




 ひょっとしたら、樹の上に既にいるとか。


 ……おおいにあり得ますね。




 そう思いはしたものの、驚かそうというのが彼女の意向なら、わざわざそれを壊してしまうことはない、と柳生は頭上を確認することは止めた。
 そしてもうひとつの可能性、彼女が普通に公園に現れた場合に姿を見せるであろう方向に目をむける。







 と。




 何か、白い物が柳生の視界を横切った。


 ひとつ。
 またひとつ。


 続けざまにはらはらと。


 その一枚を手のひらに受ける。

 小さな花びら。


 …………桜?




 しかしここいらの桜はとうに散っている。
 いやそれ以前に、柳生の前に生えているこの樹はそもそも桜ではない。



 ひらり、はらりと舞う花びら。



 ついに柳生は樹の上を見上げた。



「巴さん、やはり、貴方でしたか」


 樹の上には、想像通り巴がいた。

 柳生と目が合うと、うれしそうに微笑んで地上へと降りてくる。
 予想よりずっと早いそのスピードに思わずドキリとするが、慣れているのだろう、危なげなく地面に、柳生の目前に到達する。




「驚きました?」

 最初に発した言葉がそれだった。



「ええ。まさか桜の花びらが降ってくるとは思いませんでした」
「じゃあ、成功ですね!」

 柳生の言葉に満足そうな笑みを見せる。
 いたずらが成功した時の子供を思わせる無邪気な笑顔。


「しかし、この花びらは……?」


 柳生が一番の疑問を口にすると、待ってましたとばかりに巴が反応を見せる。

「だって、入学式といえばやっぱり桜じゃないですか!
 だから、探してきたんです。
 まだ咲いている桜の花を。……あ、当然咲いている花を直接摘んできたんじゃないですよ?
 散っている花びらのきれいなのを選ってきたんです」


 わざわざ、そこまでして。
 まだ咲いている桜を探すのも手間ならば、踏み散らかされていない花弁をこれだけ集めるのも相当な手間だっただろう。
 それを、今日入学式を迎えた自分のために行なってくれたのかと思うと、少しの申し訳なさと、それ以上の嬉しさが湧いてくる。


 ソメイヨシノよりも若干色の濃い花弁。


「これは……山桜ですね」
「あ、よく知ってますね、柳生さん!
 私も花びらを集めている時に教えてもらったんです。ちょっと咲くのが遅いんだって」
「ええ、昔は桜といえば山桜だったそうですよ」



 山桜といえば、以前どこかで聞いた話を思い出した。


「桜の樹は、一度桜が植わっていた場所では根付きにくいんだそうです。
 だから、何十年か、何百年か先には今の桜の名所では、桜が見られなくなるかもしれないんだそうですよ。
 ……申し訳ありません、折角見せていただいた桜なのに、妙な話を聞かせてしまいましたね」


 儚く散る桜は、その季節だけでなく大局的にも、また、儚い存在なのだろう。
 途方もなく先の話なのだろうが、それを思うと少し寂しい。



 そんな感傷的な気分になってしまった柳生に気がついたのだろうか、巴がにっこりと笑う。


「柳生さん、
 もしそうなっても、また私は柳生さんの為に桜を見つけてきますよ。絶対」


 屈託の無い言葉。
 遥か先の話だというのに。



 きっと彼女の言葉に嘘はないだろう。
 また、こうして自分を幸せにしてくれるのだろう。





「ええ、そうですね。
 ……ただ、その時は、一人ではなく、一緒に捜しに行きましょう、桜を」


 微笑んでそう言うと、柳生はそっと巴の髪に付いていた一枚の桜の花びらを摘み取った。


 幻の桜吹雪の名残を。







入学シーズンまでお取り置きしてました。
紳士はネタが出にくい〜、と言っていましたところ、突然急に情景が頭に浮かびましたもので。
車の運転中に(笑)。←運転に集中しなさい
桜は桜のあとには根付かない、というのは実話です。
又聞きで詳しくは知らないんですが、そのせいで吉野山の桜等は年々弱っていってしまっているそうで……。

戻る